基幹ロケット高度化プロジェクト メンバーコラム#2 藤田 猛

2015年11月13日(金)

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プロジェクトを振り返って

藤田 猛
鹿児島宇宙センター所長(前 基幹ロケット高度化プロジェクト プロジェクトマネージャ)

ついにできあがった打ち上げのポスターを見て、何とかここまで来れたんだなあという感慨を覚えました。

振り返ると、高度化プロジェクトの種蒔きを始めたのは今から6年前です。当時は、H-IIAロケット6号機の打ち上げ失敗から立ち直った後、成功を重ね、民間移管による打ち上げサービスも軌道に乗りつつあるとともに、H-IIBロケットの開発も完了して順風満帆に洋々と進んでいるようでした。

一方で、H-IIAロケットの初号機打ち上げから10年あまりが過ぎ、世界のロケットを見渡すと日本のロケットは時流に乗り遅れたガラパゴス化が見え始めてきていました。また、現場では、それまで打ち上げの運用と開発の両輪により育んできた技術者の育成機会が途絶え、技術の伝承を危ぶむ声もあがっていました。当時はJAXA予算も右肩下がりを続け始め、財政事情がよくないこともあり、大きなロケット開発の立ち上げは大変困難な状況でした。そのような中で限られた予算で最も効率的に課題を克服できる計画をいかに立ち上げられるか、認めてもらえるか、試行錯誤の検討を繰り返していました。

振り返るとこの頃が一番大変だった時期で、いわゆる生みの苦しみを味わっていた頃だったと思います。

ポスター

追い風が吹いた

2010年6月13日「はやぶさ」帰還

「はやぶさ2」を最適な軌道に投入するために、基幹ロケット高度化技術が必要とされた

いい答えが見つからない状況の中、強い追い風となった2つの出来事がありました。「はやぶさ」帰還、それによる「はやぶさ2」計画立ち上げと、海外からのロケット打ち上げ受注を目標とする計画が設定されたことです。

いずれも高度化の成果を必要としているもので、この2つの出来事が高度化プロジェクトを立ち上げてくれたとしても過言ではなく、当時路頭に迷っていた高度化にとっては神風が吹いたようなものでした。

現在は、関係者の多大な尽力によりH3ロケットの開発が立ち上がり、本格化しています。日本のロケットの今後の一層の飛躍が期待されますが、高度化の成果はH3でも活用されるプリカーサであり繋ぎの役目を果たしています。
高度化は比較的小規模の開発プロジェクトで、チームのコアメンバーも至極コンパクトな所帯で切り盛りしてきましたが、運のいい巡り会わせや多くの方々の参画と支援によって、ここまでたどり着いています。

ロケットは打ち上げてなんぼの世界ですから、まだ何も手にしていません。関係者の努力が花開くよう、打ち上げの最後の最後まで人事を尽くしていきます。

藤田 猛(ふじた・たけし)プロフィール
高校生の頃からロケットの仕事に憧れて、航空宇宙分野の学科のある大学に進学しました。さらにロケットが比較的身近な研究室で勉強を進めていくうちに、将来の仕事に、との思いがますます強くなり、旧宇宙開発事業団(NASDA)に入社してから今年で30年です。その多くの期間をロケットの開発や打ち上げに携わってきました。
今回の高度化プロジェクトについては、立ち上げ時から開発が何とか一段落したこの6月までプロジェクトマネージャを務めました。開発の総仕上げとなる打ち上げを現場の責任者の一人として見届けることができることは大変うれしく、ありがたく思っています。
5年から10年といった長い時間を必要とする人工衛星やロケットの開発責任者であるプロマネに就けてもらえるのは、そうめったにチャンスにあたるものでもなく、いろいろな巡り会わせの要素が大きいです。

ミッションロゴ決定祝いお茶会

※ 構成を変更しました。それにより頂いていたコメントも移動いたしました。