わたしたちの日本科学未来館 訪問記
「宇宙や科学を展示空間に編む。その創造性とプロセスを知りたい」
「宇宙や科学を展示空間に編む。
その創造性とプロセスを知りたい」
- 訪れた人:
- 河村耕平JAXA第一宇宙技術部門
地球観測研究センター研究開発員
江藤由貴JAXA第一宇宙技術部門 衛星利用運用センター研究開発員
- 案内人 :
- 森田菜絵日本科学未来館
展示ディレクター
櫛田康晴日本科学未来館 展示ディレクター
2025年春、日本科学未来館は新たな常設展示『未読の宇宙』を公開した。巨大な観測・実験装置を駆使し、研究者たちがいかに宇宙を読み解こうとしているのか。その最前線を体験できる展示だ。訪れたのは、JAXA第一宇宙技術部門地球観測センターと衛星利用運用センターの研究開発員、地球観測研究センターの河村耕平と江藤由貴。最先端科学とその営みを、来館者が鑑賞体験として味わえるよう編んだ展示の背景に触れた。
宇宙は、私を含む世界そのもの
初代館長は元JAXA宇宙飛行士・毛利衛氏。館内には国際宇宙ステーション(ISS)の展示が置かれるなど、JAXAとも関わりの深い日本科学未来館(以下、未来館)。その5階の最奥に位置する新常設展示『未読の宇宙』の入り口に据えられているのは、「霧箱」(写真2)と呼ばれる装置だ。私たちの身のまわりには目には見えない粒子が飛び交っている。その宇宙から降り注ぐ高エネルギー粒子や大気中の放射性元素が放つ放射線を可視化する霧箱は、今この瞬間も届き続ける宇宙との見えないつながりを体感させてくれる。
霧箱の背後にある壁面には、私たちの生活と物質、天体、そして宇宙を響き合わせる言葉が連なり、俳優・池松壮亮とモデル/歌手・甲田益也子の朗読が空間に奥行きを添える。冒頭を飾るのは、宮沢賢治『春と修羅・序』の一節。科学を扱う展示に文学を据える演出は、ひときわ印象的だ。展示ディレクターの森田菜絵さんは、その意図を次にように説明する。
「チームみんなで感覚に響く空間や伝達方法をどう作り出せるかを考え抜いてきました。その一つの表れとして詩を採用しています。“感覚に響く”とは、未知の現象や極大・極小のスケールに向き合ったときに生まれる、言葉にしがたい心の動き──いわばエモさ、です」
同じく展示ディレクターの櫛田康晴さんも、制作過程を振り返る。
「設計当初は、現代までに積み重ねられてきた科学技術の歴史を集約し、膨大な情報量の"巨大な壁"をつくろうという構想もありました。しかし最終的に、言葉の展示に落ち着きました。展示の英語タイトルThe Universe: Unread
Messagesが示すように、宇宙から届くのは私たちが日常的に用いる言語とは異なる"何か"。それを読み解き、解釈しようとする営みこそが本展のテーマです。その入り口に詩を置くことで展示全体のトーンに自然に溶け込み、相性の良さを改めて実感しています」
芸術と科学、ふたつの探究の近接
マインドセットとなる壁面の小路を抜けると、メインゾーンへ。「未来館の5階の最奥にある『未読の宇宙』は、1階のシンボルゾーン──シンボル展示『ジオ・コスモス』が浮かぶ空間と同様に、ゆったりと滞在できる余白を残したいと考えました」と森田さんが語るメインゾーンは、階段状の什器に囲まれ、腰を下ろして展示全体見渡せる構造になっている。
その空間の中心に並ぶのは4つの体験装置。宇宙から届くさまざまな波長の光をとらえる「多波長観測」、近年注目を集める「ニュートリノ観測」と「重力波観測」、そして粒子加速器を用いた「加速器実験」だ。これら4つの最先端研究をテーマにした体験装置を通じて、研究者たちがどのように宇宙を読み解こうとしているかを体感していく。櫛田さんは語る。
「未来館の展示は、展示した瞬間に“過去”になるという宿命があります。けれど『未読の宇宙』で扱う天文学はどれも研究のスパンが長く、“マルチメッセンジャー天文学”として今まさに進展している最中です。『未読』という言葉に込めた通り、まだわからないことが多く残されているということ。そして、宇宙を探るこの4つのアプローチが、これからも人類にとって重要であり続けるだろうと確信しています」
空間を360度取り囲むスクリーン『マルチメッセンジャー・ビジョン』には、これらの観測から得られた科学データが音や映像となって立ち現れ、「情報」が「鑑賞」へと転じながら頭上を駆け巡る。科学的知識を一方向に伝えるのではなく、“宇宙を浴びる”体験として提示されたこの映像作品は、データビジュアライズを得意とするアーティストとの協働によって実現した。森田さんは振り返る。
「アーティストと科学者の協働は、ともすると科学をエッセンス的に扱う作品にとどまることもあります。けれど互いの営みを深く理解し合うことで、より豊かな表現が立ち上がるのではないか──今回のデータビジュアライズは、その思いをチーム全体で共有できていたので、まさにそれが叶いました。制作の過程で印象的だったのは、アーティストの方々が“データの手触り”という言葉をキーワードにしていたことです。生の科学データに親しみをもって向き合い、科学者の方々とも真摯に対話してくださいました。芸術的探求で得られる実感と、研究を通じて科学者が培ってきた実感──そのふたつは思いのほか近いのかもしれません」
“未読の地球”を伝えたい
森田さん・櫛田さんの案内のもと、一通り体験をした河村は、「理屈ではなく直感的にきれいで美しい、面白いと感じられる設計に驚きました」と率直な感想を述べ、江藤もまた「“触れた記憶”とし身体に残る展示で、幅広い層に届くのだろうと感じました」と続ける。
その上で河村は、「研究機関の立場からは、“できる限り多くのことを伝えたい”という意識が働き、展示に情報を盛り込みすぎてしまうことがあります。『未読の宇宙』の制作でも、きっとそうしたせめぎ合いがあったのではないでしょうか。そこをあえてそぎ落とし、感覚に訴える構成にした。その潔さが、むしろ多くの気づきを引き出してくれる──そんな体験をさせてもらった気がします」と重ね、江藤もこう結んだ。
「小さな子どもが来場した際、情報に埋めつくされた展示なら読み切れずに終わってしまいますよね。でも感覚に届ける展示なら、その体験が科学者や技術者を志すきっかけになるかもしれない。そんな可能性を感じました」
ふたりはJAXAで、気候変動観測衛星「しきさい」(写真5)や先進レーダ衛星「だいち4号」が取得する科学データを、一般の生活者にも認知してもらいながら誰もが利用しやすいかたちに可視化するとともに、その利活用を広げるため宇宙ビジネスや農業、防災などに携わる民間企業や国の機関との調整も担っている。高度な専門性を要する過程では、常に「どうわかりやすく伝えるか」をめぐる試行錯誤が伴う。だからこそ、今回の展示にもその課題意識を重ねながら向き合っていた。
「精度の高い天気予報や災害時の迅速な状況把握は、日々蓄積される観測データがあってこそ。でも、自分たちの暮らしのために人工衛星が頭上を飛んでいることを日常的に実感するのは難しいですよね。その実感を届ける手段のひとつとして、人工衛星の位置をリアルタイムで表示するウェブサイトを制作しました。『未読の宇宙』のアプローチは、こうした試みを続ける上での参考にもなりました」と河村は語る。
サイトを見た櫛田さんは「こんなに多くのJAXAの人工衛星が、絶えず宇宙から地球を見ているとは」と驚きを示した。
衛星から送られるデータは地上の巨大アンテナで受信され、研究者の手で精緻に処理されていく。その過程で、まだ知られていない地球の姿が立ち現れる。江藤はその姿をこう表現する。「『未読の宇宙』に重ねるなら、私たち研究者は“未読の地球”──まだ読み解かれていない地球を数多く知っています。そして、それを伝えるための科学データの美しさや面白さも数多く手にしています。その美しさを宇宙や科学を日頃意識していない人にもその魅力を届けたいと努めていますが、従来のJAXAの発信だけでは限界を感じることもあります。そうした中で『未読の宇宙』のように、鑑賞者の心に直接響くアプローチはとても参考になりました」
科学はすべての人にひらかれたもの
科学がもたらす美しさやおもしろさをいかに伝えるか──。この問いは、展示ディレクターとして、森田さん自身の展示づくりの根幹にも据えられている。
「私が未来館に入った当初、『教育機関としてのいわゆる“科学館”ではなく、先端科学のかっこよさや美しさを伝えてください』というミッションを与えられました。科学は高度で専門的な知識体系を持ち、すべてを正確に理解してもらうのは容易ではありません。けれど、人類が積み重ねてきた叡智に宿る美しさやかっこよさに触れ、心を動かされる体験は誰にでもひらかれているもの。もし未来館でそうした体験を届けられれば、より多くの人が科学の営みを応援してくれるはず、と。その後、時代の流れとともに展示のターゲットや先端科学を訴求するための手法、展示体験に期待されることの幅も広がり、よりインクルーシブな方向へと変化してきました。いまも未来館はさまざまな挑戦が続いていますが、個人的にはこの最初に与えられたミッションが原点となり、展示制作をしているように思います」
森田さんの言葉に続くように、櫛田さんもまた、自身のモチベーションについて語る。
「私はもともと生物学を専門とする研究者でした。生物学に限らず、研究分野はどんどん細分化され、先端に進むほどテーマは狭く、特化していきます。研究室にいると、その領域だけに閉じこもってしまう感覚がありました。自分が科学の世界から来ているからこそ、科学を一部の人が独占するのではなく、脱権威化して、より多くの人が科学を語り、親しみ、楽しめるようになることに強いモチベーションを感じています。そうした意味でも、今回“科学好きな人だけにフォーカスしない”コミュニケーション展示が実現できたことは、個人的にとても良かったと感じています」専門知を日常にひらき、誰もが科学を親しみ、自分の言葉で語るための「余白」を残すこと。その余白は、科学が文化として根づく未来を育むのかもしれない。
森田さん、櫛田さんの話を受け、河村はこう結んだ。
「お二人のお話を伺いながら、JAXAの中にも通じる課題意識があると感じました。JAXAでは“広報活動やJAXAの展示館の質を高めよう”という動きが始まっていて、科学と芸術の接点に関心を持つ有志が集まった組織横断のチームを立ち上がっており、私も参加しています。今日のような体験は、そのチームに持ち帰り共有していきたいと思います」
媒介者として、異なる領域をつなぐ
未来館の展示づくりでは、多様な立場や専門性を持つ人々が関わり合い、それぞれの視点を持ち寄って空間が形づくられていく。そのプロセスもまた、河村と江藤にとっても大きな学びとなっていた。
「科学を幅広い層に届けるには、少数の人間だけで表現を考えるのでは限界があります。かといって共通言語がなければコミュニケーションは成立しづらいもの。最先端の研究を社会へ届けるには、研究者と一般の人々、あるいは専門知と日常感覚、その“あいだ”をつなぐ存在が欠かせないのだと実感しました」と河村。江藤も続ける。
「その“あいだ”を担う存在が情報を整理し、異なる文脈を結びつけることで、科学を知らない人にも伝わりやすく、魅力的な表現になる。共創とは、そうした接続の積み重ねなのだと」
河村と江藤の話を受けて、森田さんは自身の役割をこう語る。
「私は直接何か表現をつくれるわけではありませんが、その“あいだ”を翻訳する部分であればお役に立てるかもしれない、と。本展の制作には、未来館のスタッフだけではなく監修の先生方や各研究機関、外部の展示設計・制作ディレクターをはじめ、建築家、編集者、デザイナー、プログラマー、AI研究者など、多様な専門家が関わっています。互いの専門性を理解し合いながら、それを十分に展示制作に活かしていただけるように対話を重ねる。そのあいだをつなぐ翻訳のような役割もまた、大きなやりがいとなっていました」
櫛田さんは、「ある意味、JAXAという機関も“翻訳者”と捉えられるのかもしれませんね」と重ねる。
「私が未来館での仕事を始めた頃、『はやぶさ2』がリュウグウに到達しました。当時は館内のフロアでも『はやぶさ2のニュース、見ました?』と来館者の方と話題を交わしたのを覚えています。自分にとっても来館者にとっても、JAXAは果てしなく遠い宇宙に探査機を送り出し、まだ見ぬ景色を見せてくれる存在。まさに宇宙と私たちの生活をつなぐ橋渡しのように思えます。これからも未来館とJAXAが共創しながら、科学の美しさをより広く、魅力的に伝える営みを続けていけたらうれしいです」
Profile
[左から]
日本科学未来館
展示ディレクター
櫛田康晴
KUSHIDA Yasuharu
福島県出身。生物学系の研究者を経て、2018年より日本科学未来館にて主に展示制作に従事。『未読の宇宙』の他、『計算機と自然、計算機の自然』『セカイは微生物に満ちている』『プラネタリー・クライシス』を担当。趣味のクラシックギターは展示BGMにも採用されたことがある。
日本科学未来館
展示ディレクター
森田菜絵
MORITA Nae
東京都出身。テレビ番組制作会社を経て、2004年より未来館にて主にドームシアターの上映コンテンツの企画・プロデュースに携わる。担当作に『暗やみの色』『BIRTHDAY』『夜はやさしい』など。『未読の宇宙』企画中の夏に、船で式根島に向かった逃避行もよい思い出。
JAXA第一宇宙技術部門
衛星利用運用センター研究開発員
江藤由貴
ETOH Yuki
福岡県出身。学生時代に電波天文学を専攻後、現在は衛星利用運用センターで電波を利用したSAR衛星をメインに観測データの利用推進を行う。科学の魅せ方にも関心が高く、国内外での旅行の際は博物館や美術館訪問がマスト。
JAXA第一宇宙技術部門
地球観測研究センター研究開発員
河村耕平
KAWAMURA Kohei
静岡県出身。地球観測研究センターでは地球観測データの配信システムの開発や維持管理、広報、宇宙教育などを担当。小学4年生の時に天体望遠鏡で星を見たり、毛利宇宙飛行士の活躍を見たりして宇宙開発に興味を持ち、宇宙歴約30年。
写真:廣田達也 編集・文:水島七恵、熊谷麻那
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