遠くに行くなら、 みんなで。
H3ロケット・
小型月着陸実証機(SLIM)の
ミッションを担うJAXA職員が答える
10の質問
H3ロケットと小型月着陸実証機(SLIM)。2つのミッションは、対談にも登場した両プロジェクトマネージャ(以下、プロマネ)の岡田と坂井を筆頭に、JAXA内部だけでなく、大学や民間企業も含めた多くのチームメンバーに支えられてきた。
ここでは、ミッション成功に貢献し、さらにそれぞれに次ぐ今後のミッションを担うJAXA
職員4人から、ひとりでは決してたどり着けない、遠い宇宙に立ち向かったチームの姿に迫る。
ミッション中のこぼれ話も、こっそり、マンガテイストでご紹介。
H3プロジェクトマネージャ・有田誠に聞く、10の質問
宇宙輸送技術部門
H3プロジェクトマネージャ
有田 誠
ARITA Makoto
神奈川県出身。H-II、H-IIA、H-IIBロケットの開発を経て、H3プロジェクトの立ち上げに関わる。2015年からサブマネージャを務め、2024年4月にプロジェクトマネージャに就任。3号機から新たな体制で打ち上げ業務を行う。小さい頃からロケット大好き少年。
Q 1
自身が担当した役割を教えてください。
A 1
試験機2号機までサブマネージャとして岡田プロマネの補佐や、 ロケット機体の構造系、補助ロケットである「SRB-3」の開発を指揮してきました。また、H3を事業として成り立たせる枠組み作りや、実際の売り込みへの協力なども担いました。
Q 2
ミッションを遂行されるなかで、もっとも興奮した瞬間はなんですか?
A 2
やはり、試験機2号機で搭載した「VEP-4」というダミー衛星がうまく分離したときです。すべてのミッションを完璧にこなし、これまでの、特に失敗からの1年の苦労がすべて吹き飛び、泣きながら笑って、会社の垣根を越えて抱き合いました。
Q 3
ミッションの最中、支えになったアイテムや人物などを教えてください。
A 3
心が折れそうなところ、それでも懸命に頑張っていた仲間たちの姿。
Q 4
プロマネの岡田は、どのような存在でしたか?
A 4
プロジェクトマネジメントのプロ中のプロ。自分が矢面に立って引っ張っていくリーダー。それとは全く関係ありませんが、時々大切な物を失くします。たいていは自分のカバンの中にあったりするのですが、見つかるまでは皆を巻き込んで大騒ぎ。そんな子どものような愛嬌もある人です。
Q 5
ミッションはJAXA内部だけでなく、民間企業も含めた多くのチームメンバーによって進んできました。その一員として、チームのために意識していたことはありますか?
A 5
チーム内やメーカーさんとの間でギクシャクするようなときに、その隙間を埋めるのがわたしの役目だったかもしれません。ときには、話し込んで終電を逃したこともありましたね。
Q 6
日頃、開発・運用するなかで、デスクに欠かせない「アイテム」はありますか?
A 6
パソコン、マウス、老眼を救う大きめのモニタ。
Q 7
ミッション中に、ゲン担ぎとして行ったことはありますか?
A 7
担げるような「ゲン」を覚えていないです(笑)。
Q 8
H3ロケットでは今後、3号機の打ち上げが控えています(*)。これから、取り組んでいく挑戦について教えてください。
(*)2024年5月現在。H3ロケットは6月末に打ち上げ予定。
A 8
H3をより洗練させるために、試験機の打ち上げで得た経験をいかした改良を行っています。3号機でも期待の大きな衛星を載せるので、細心の注意を払いながら予定された軌道に、正確に衛星を送り届けたいと日々取り組んでいます。
Q 9
ロケットやSLIMのような宇宙機を、開発・運用する面白さ・難しさについて教えてください。
A 9
人間が開発した道具のなかで、極めて短時間に集中的に、しかもコントロールされた状態でこんなにも膨大なエネルギーを解放するのは、ロケットをおいて他にはないと思います。そんな人類の生み出す最高の装置のひとつに携わっている面白さがありますね。だからこそ少しでも気を抜けば、内包した強大なエネルギーが牙をむく。いわゆる魔物という奴に向き合う難しさも常にあります。
Q 10
自分にとって「宇宙」とは、どんな存在ですか?
A 10
本当は、土星を直接近くで見てみたいのです。ボイジャーやカッシーニなどのかつての探査機が届けてくれた、あの雄大なリングや土星本体の画像を見るだけで胸がワクワクします。残念ながら、私が生きているうちには実現しないでしょうけど......。
【ウェブ限定】加えて聞きたい、5つの質問!
Q 11
H3ロケット以前に、これまで関わってきたミッションについて教えてください。
A 11
H-II、J-I、J-II、H-IIA、H-IIBと5機種のロケットに関わってきました。H-IIは初の全段国産の大型ロケット。J-Iは、今のイプシロンの先駆けのようなロケットで、わたしのロケット屋としての基礎を作ってくれたロケットです。
J-IIは、後にGXと呼ばれた先進的な構想でしたが、途中で開発中止に。H-IIAは1号機打上げの直前から開発に参加し、エンジンや固体ロケットブースター(SRB)と呼ばれる補助ロケットの改良、6号機の失敗からのリターントゥーフライトと呼ばれる「飛行再開」ミッション、最強型と言われた「H-IIA 204形態」の開発などを手がけました。H-IIBではそれまでの集大成として開発のまとめ役を担い、宇宙ステーション補給機「こうのとり」(HTV)を載せた1号機を無事に打ち上げました。
Q 12
幼少期はどんな子どもでしたか? 現在にまでつながるエピソードがあれば教えてください。
A 12
5歳くらいのときにアポロ11号が月に降り立ったのを、おぼろげながらに覚えています。それもあって、小学生では学芸会でアポロの月旅行を劇で再現、中学生ではロケットの勉強を始めるなど、いつの間にか宇宙開発を志すようになっていました。
Q 13
今回のミッションで、自分がもっともこだわった点と苦労した点を教えてください。
A 13
H3ロケットは、民間企業でも打ち上げができるよう開発を進めてきました。売れるロケットにするために、打ち上げ事業を行う立場に立って、彼らが運用するだけでなく進化させ得るロケットにすることを、彼らと共に考えていく姿勢を強く意識していました。一方で、苦労した点。というと少し違うかもしれませんが、試験機1号機の失敗で先進光学衛星「だいち3号」を失ってしまったことが、最も残念で申し訳なく思っています。
Q 14
日頃の激務のなかで、息抜きや気分転換として行っていたことはありますか?
A 14
種子島じゅうを10kmほど歩き回ること。
Q 15
最後に、ご自身のなりたい研究者像・開発者像を教えてください。
A 15
ここまで多くのロケット開発の現場に携わらせていただきました。もちろん、犠牲にしてきたものも少なくはないと思いますが、打ち上げ成功を心から共に喜べる仲間たちにも恵まれています。今後、若者たちがより素晴らしいロケットを開発し、日本や世界の宇宙開発に貢献できるよう、サポートしていければと思っています。
SLIMプロジェクトチーム・伊藤琢博に聞く、10の質問
宇宙科学研究所
SLIMプロジェクトチーム
伊藤 琢博
ITO Takahiro
三重県・桑名市出身。JAXA入社後、宇宙科学研究所に配属。宇宙機の誘導航法制御やシステムに係る研究開発に携わり、過去には世界最小の軌道投入ロケットSS-520-5号機の飛行制御、小型月着陸実証機(SLIM)の着陸降下制御などを担当。趣味は 音楽、(軽い)ジョギング。
Q 1
自身が担当した役割を教えてください。
A 1
SLIMが月面に着陸しようと降下するときの、自動操縦システムのアルゴリズム開発や、SLIMを月周回軌道に送り届けるまでの軌道コントロールなどを担当していました。
Q 2
ミッションを遂行されるなかで、もっとも興奮した瞬間はなんですか?
A 2
SLIMに搭載されていた「SORA-Q」が撮影した、SLIMも写る月面の画像には衝撃を受けました。本当に月に降りたのだと実感した瞬間です。実は、メインイベントである着陸の瞬間は緊張が張りつめており、あまり覚えていないのです。
Q 3
ミッションの最中、支えになったアイテムや人物などを教えてください。
A 3
「X JAPAN」や「LUNA SEA」の音楽。
Q 4
プロマネの坂井は、どのような存在でしたか?
A 4
冷静さと優しさを兼ね備えた人。怒る坂井さんを見たことがありません。ある会議で坂井さんが自宅でテレワークしているとき、「おかえり~♪」と子どもに話しかける声が聞こえてきたことがあります(マイクを切り忘れていたようです)。家庭での坂井さんも 優しそうです。
Q 5
ミッションはJAXA内部だけでなく、民間企業も含めた多くのチームメンバーによって進んできました。その一員として、チームのために意識していたことはありますか?
A 5
チーム内ではどうしても厳しい内容やスケジュールについて議論することもあります。そこで臆さずにきちんと発言したうえで、モチベーションを維持しながら作業できるよう、チームメンバーをフォローしたりしていました。
Q 6
日頃、開発・運用するなかで、デスクに欠かせない「アイテム」はありますか?
A 6
ブラックコーヒー。
Q 7
ミッション中に、ゲン担ぎとして行ったことはありますか?
A 7
SLIMが着陸したのは、「"月"の神酒の"海"」と呼ばれるクレーターのそば。重要なイベントのときにこそ、LUNA(月)SEA(海)のライブTシャツを着ていましたね。
Q 8
SLIMは越夜運用が引き続き行われながら、同時にSILMの技術を活かした次なるミッションも生まれていこうとしています。これから、取り組んでいく挑戦について教えてください。
A 8
SLIMで培った月面着陸技術を、より発展的な月着陸ミッションや火星への着陸探査などに応用していきます。また、SLIMで実証した完成度の高い自動操縦の技術を、例えばフォーメーションフライト(FF)と呼ばれる、複数の衛星を巨大な一つのシステムとして動作させるような技術にも応用させていきたいとも考えています。
Q 9
ロケットやSLIMのような宇宙機を、開発・運用する面白さ・難しさについて教えてください。
A 9
当然のようですが、衛星や探査機は、打ち上げた後では修理できないというところに難しさを感じます。打ち上げ後に行うかもしれない対応策は、すべて打ち上げ前に備える必要があるんです。だからこそ、宇宙機が想定どおりに動いてくれたときの喜びもひとしおなのかもしれません。
Q 10
自分にとって「宇宙」とは、どんな存在ですか?
A 10
宇宙開発は、とても人間くさい活動で、時には厳しく意見をぶつけあったり落胆したりもしますが、長い時間をかけて仲間と信頼関係を築き、最後は過去に言い合ったことも忘れて(笑)、一緒に喜ぶ。そこには宇宙以外の活動とも通じる面白さがありますね。
【ウェブ限定】加えて聞きたい、5つの質問!
Q 11
SLIM以前に、これまで関わってきたミッションについて教えてください。
A 11
「SS-520-5号機」という超小型衛星を打ち上げるロケット開発に携わっていました。その前には「PROCYON(プロキオン)」という、東京大学とISASが中心となり共同開発した、超小型深宇宙探査機の姿勢制御系開発に携わっていました。
Q 12
幼少期はどんな子どもでしたか? 現在にまでつながるエピソードがあれば教えてください。
A 12
田舎で育ったこともあり、小学生のころは毎日のように外で友達と遊んでいました。外遊びで育んだ好奇心が、研究の好奇心に繋がっている部分もあるのではと思います。
Q 13
今回のミッションで、自分がもっともこだわった点と苦労した点を教えてください。
A 13
日々探査機に送信するパラメータの準備確認では、一つのミスも見逃さないという意気込みで挑んでいました。わたしの担当は、ミスが一つあるだけで全体に悪影響を与えうるので、ある種の完璧性が求められます。地味な作業ではありますが、その積み重ねがSLIMの成功につながると考えて、メンバーと協力しながら地道に取り組みました。1回きりのチャンスで、どうすればSLIMの成功を勝ち取れるか。答えのない中で、「ここまでやったのだから、きっと上手くいく」と、関係者全員が納得できるまで議論を尽くすのには、やはり根気が入りますね。
Q 14
日頃の激務のなかで、息抜きや気分転換として行っていたことはありますか?
A 14
よく寝ること。
Q 15
最後に、ご自身のなりたい研究者像・開発者像を教えてください。
A 15
プロジェクトの現場で活躍するエンジニアの立場と、新たなアイデアを提案する学術研究者の立場を、両立していきたいです。
H3プロジェクトチーム・杉森大造に聞く、10の質問
宇宙輸送技術部門
H3プロジェクトチーム
杉森 大造
SUGIMORI Daizo
兵庫県出身。H3プロジェクト在籍歴は約10年。総合システムラインでシステム全体の検証計画やシステム安全を担う。趣味はクラリネットと日本酒。打ち上げで種子島宇宙センターに出張する際は 日本全国から美味しいお酒を取り寄せ、オフの時間に種子島在勤者や出張者仲間と語らいながら飲むのが最近の楽しみ。
Q 1
自身が担当した役割を教えてください。
A 1
総合システム担当として、ロケットと、ロケット打ち上げに必要な設備との繋ぎや、今後H3で打ち上げを予定している「こうのとり」(HTV)の後継機「新型宇宙ステーション補給機」とのインタフェース調整を担当しています。また、故障などの不測の事態が起こってもシステムを安全な状態で維持できるかという安全の評価も担当しています。
Q 2
ミッションを遂行されるなかで、もっとも興奮した瞬間はなんですか?
A 2
試験機2号機の成功はもちろんですが、個人的には、試験機1号機の打ち上げ前に実施した実機体を使用したエンジンの燃焼試験(CFT)です。さまざまなトラブルが発生するなかで、計画通り、25秒間、エンジンが燃焼できたときは興奮しました。
Q 3
ミッションの最中、支えになったアイテムや人物などを教えてください。
A 3
大迫力の開発試験や大きいロケットの機体にいつもわくわくさせられ、力をもらっています。
Q 4
プロマネの岡田は、どのような存在でしたか?
A 4
どんなときも一人ひとりと丁寧に話す時間を割いてくれて、新たな気づきをたくさんもらいました。「自分たちは誰のために仕事をしているか」を常に考えさせてくれる人でした。
Q 5
ミッションはJAXA内部だけでなく、民間企業も含めた多くのチームメンバーによって進んできました。その一員として、チームのために意識していたことはありますか?
A 5
先輩・後輩をはじめ、多くの人とコミュニケーションをとること。
Q 6
日頃、開発・運用するなかで、デスクに欠かせない「アイテム」はありますか?
A 6
ロケットの代表的な飛行経路が描かれた「地球儀」。
Q 7
ミッション中に、ゲン担ぎとして行ったことはありますか?
A 7
ゲン担ぎではないですが、試験で上手くいかないことがあると 「○○さんが新幹線を使うと、いつもトラブルが発生するよね〜」などと冗談を言って、深刻な状況を笑い飛ばしていました。
Q 8
H3ロケットでは今後、3号機の打ち上げが控えています(*)。これから、取り組んでいく挑戦について教えてください。
(*)2024年5月現在。H3ロケットは6月末に打ち上げ予定。
A 8
3号機を成功させられるよう機体の点検を進めるとともに、4号機以降も成功が続けられるように、いずれつまずくかもしれないちょっとした段差にも、しっかりと目を向けていきたいと思います。
Q 9
ロケットやSLIMのような宇宙機を、開発・運用する面白さ・難しさについて教えてください。
A 9
ロケットは数年をかけて開発・製造する一方で、飛行が始まると結果がわかるまでは、短いものだとたった10分程度。そこでそれまでの準備すべてが試されて、結果も明確に出るのは面白いです。試験はもちろん十全に行うものの実質的には一発本番。どこまで試験を行い、どこからは解析や技術的な評価でよいとするかには、日々難しさを感じています。
Q 10
自分にとって「宇宙」とは、どんな存在ですか?
A 10
幼少期は、見えるのに届かない存在だった宇宙。今も手は届きませんが、ロケットならば「届く宇宙」があります。加えて「現時点は届かない宇宙」という線引きが、大人になって生まれましたね。
【ウェブ限定】加えて聞きたい、5つの質問!
Q 11
H3ロケット以前に、これまで関わってきたミッションについて教えてください。
A 11
以前は、宮城県・角田宇宙センターでロケットエンジンの試験設備や開発試験を担当していました。開発計画の変更で実現はしませんでしたが、ロケットの新規開発に向けて、新しい上段エンジン試験設備の検討をしたりしていました。
Q 12
幼少期はどんな子どもでしたか? 現在にまでつながるエピソードがあれば教えてください。
A 12
友人といろんな科学実験をしていました。例えば、振り子の周期はある公式によって計算できると学校で教えてもらって、本当か?と実際に実験したり。とことんやりたくなる性格で、最初は机の上で実験を始めるのですが、いつの間にか、友人のマンションの8階くらいから20m近いひもに重りをつけて振り子の周期をストップウォッチで測っていたら、「危ないからダメだ」と怒られたりしていました(笑)。
Q 13
今回のミッションで、自分がもっともこだわった点と苦労した点を教えてください。
A 13
ロケットの打ち上げは、リフトオフ直前の数秒間の対応が命取りになります。だからこそ、その数秒間のコントロールについては特にこだわりました。一方、今回の開発では、自分の専門分野ではない電気系に関わるトラブルも多く発生したので、その議論についていくのには苦労しました。
Q 14
日頃の激務のなかで、息抜きや気分転換として行っていたことはありますか?
A 14
子どもと公園で遊ぶこと、会社の先輩や同僚と日本酒を飲みに行くこと。
Q 15
最後に、ご自身のなりたい研究者像・開発者像を教えてください。
A 15
宇宙開発のエンジニアはスポーツのような要素があり、一人ひとりの専門技術力と、それを最大限生かすチームワークで成り立っています。だからこそ、ロケットの専門的な技術力を磨くとともに、様々な研究者・開発者と円滑にコミュニケーションをとり、周りの人と協働できるために必要な力を身につけていきたいと思っているところです。
SLIMプロジェクトチーム・宮澤優に聞く、10の質問
宇宙科学研究所
宇宙探査イノベーションハブ
宮澤 優
MIYAZAWA Yu
山形県米沢市出身。宇宙探査イノベーションハブにて、企業・大学の方々と共同で将来の宇宙探査に革新をもたらすエネルギー領域の研究開発に取り組む。SLIMでは、電源系とシステムマネジメントを担当。2年前から始めた硬式テニスにはまっている。
Q 1
自身が担当した役割を教えてください。
A 1
SLIMに電力供給を行う電源系機器の開発と、システムマネジメントを担当しました。運用中は、探査機に送るコマンドを指示する役割を担当していました。
Q 2
ミッションを遂行されるなかで、もっとも興奮した瞬間はなんですか?
A 2
月面へ着陸した後、一旦の休眠を経て、SLIMの復活を確認したとき。想定よりも復活を確認できたタイミングが遅かった分、分光カメラの観測運用ができるとわかったときは、チーム一同喜びました。
Q 3
ミッションの最中、支えになったアイテムや人物などを教えてください。
A 3
応援してくれる家族。
Q 4
プロマネの坂井は、どのような存在でしたか?
A 4
家族思いで温和なプロマネ。SLIMの運用が始まる前、運用が忙しい時の家庭と仕事の両立について相談すると、徹夜明けで子どもを送迎したときのことなどを聞かせてくれました。それから印象的だったのは、あと数分で着陸運用が始まるというとき、坂井プロマネからチーム全員に向けて語られた「歴史に残るミッションのために力を貸してください。責任は取りますから」というようなメッセージ。おかげで、みんなが自信を持って運用に入れました。
Q 5
ミッションはJAXA内部だけでなく、民間企業も含めた多くのチームメンバーによって進んできました。その一員として、チームのために意識していたことはありますか?
A 5
役割や年齢を鑑みても、ベテランと若手の間の中堅的ポジションだったので、どちらの世代とも積極的にコミュニケーションを取ることを心掛けました。
Q 6
日頃、開発・運用するなかで、デスクに欠かせない「アイテム」はありますか?
A 6
ブラックコーヒー。
Q 7
ミッション中に、ゲン担ぎとして行ったことはありますか?
A 7
重要イベントでは、いつもの赤ジャケットではなく、青が入ったカラフルなチームジャケットを着ること。
Q 8
SLIMは越夜運用が引き続き行われながら、同時にSILMの技術を活かした次なるミッションも生まれていこうとしています。これから、取り組んでいく挑戦について教えてください。
A 8
今は少し立場が変わり、大学や民間企業のみなさんと協力して、 探査に革新を巻き起こす技術開発を目指す業務を行っています。SLIMの開発・運用を通して学んだ、困難に挑戦していく大切さを、ここでも活かしていきたいと思います。
Q 9
ロケットやSLIMのような宇宙機を、開発・運用する面白さ・難しさについて教えてください。
A 9
宇宙環境を地上で完全に再現することはできないので、地上で模擬・検証しきれないなかで、軌道上で確実に動作するものを作り上げる難しさを感じています。そんな難しい開発・運用に協力して取り組むなかで、チームとしてパワーアップしていくのを感じるのが面白いところでもあります。
Q 10
自分にとって「宇宙」とは、どんな存在ですか?
A 10
昔は宇宙への漠然とした「憧れ」を抱いていましたが、今はJAXAだけでなく、大学・企業のみなさんが、宇宙科学の発展や探査の実現に向けて、地道に頑張っているのを見ているので、 宇宙をずっと身近に感じています。
加えて聞きたい、5つの質問!
Q 11
SLIM以前に、これまで関わってきたミッションについて教えてください。
A 11
小型科学衛星シリーズ「ひさき」「あらせ」に携わってきました。「ひさき」は衛星の各部品の開発が終わった後の総合試験から運用まで、「あらせ」は各部品の開発から総合試験まで。開発から運用まで携わったのはSLIMが初めてでした。
Q 12
幼少期はどんな子どもでしたか? 現在にまでつながるエピソードがあれば教えてください。
A 12
のんびりした子どもでした。両親が積極的に科学館などに連れて行ってくれたのが、今に繋がっているのかもしれません。高校の修学旅行ではJAXA筑波宇宙センターに行き、そこで打ち上げ前のISS「きぼう」モジュールに感動しました。
Q 13
今回のミッションで、自分がもっともこだわった点と苦労した点を教えてください。
A 13
SLIMの電源にかかわる開発の中で、総合試験の終盤にミッション全体に影響をする重要な課題が見つかり、その解決にはとても苦労しました。原因究明から解決まで苦しい期間が続きましたが、プロジェクトメンバー全体で知恵を出し合って乗り越えました。地上試験で苦労した分、軌道上では安定した動作をしてくれて、とても安心しました。
Q 14
日頃の激務のなかで、息抜きや気分転換として行っていたことはありますか?
A 14
開発が佳境なときに通い始めたテニススクール。週1回夜に練習したのが気分転換になりました。
Q 15
最後に、ご自身のなりたい研究者像・開発者像を教えてください。
A 15
失敗を恐れずに、好奇心と責任感を持って新しいことに挑戦する。または、そのような挑戦をサポートできる人。
イラスト:キムラユキ 文:熊谷麻那
著作権表記のない画像は全て©JAXAです。