地球の水の循環を知りたい

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筑波宇宙センター内にある展示館「スペースドーム」を見学する高柳潤さん(右)と山本晃輔(左)。 写真は世界中の雨を捉えるGPM主衛星の展示前にて。

わたしのJAXA訪問記 vol.5

地球の水の
循環を知りたい

訪れた人:高柳潤
(ヘアスタイリスト/
omotesando atelier代表)

ひとりの生活は、
巡り巡って、
地球規模の
大きな変化につながる

雨粒や雪、あるいは海面や大気中の水蒸気から、地球上の水を捉えるふたつの衛星、GPM主衛星と水循環変動観測衛星「しずく」(GCOM-W)。それらを運用し、地球上にさまざまな形で存在する水を網羅的に観測・解析することを目指す JAXA筑波宇宙センターに、日々お客さまの髪を洗浄するなかで、地球の水に関心を寄せてきたヘアスタイリスト・高柳潤さんが訪れた。

地球観測研究センターが運用する温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」(GOSAT)の実寸大模型の前で話す山本(左)と高柳さん(右)。
地球観測研究センターが運用する温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」(GOSAT)の実寸大模型の前で話す山本(左)と高柳さん(右)。

「この水は流れ着いた先で、どんな影響を与えているのだろう?」。東京・表参道にあるヘアサロン・omotesando atelier代表の高柳潤さんは、普段お客さまの髪を洗い流し、整えていくなかでそんな問いを抱いた。

髪を洗浄した水は排水溝を伝って下水処理施設へ。その後、川に流れて海にまでたどり着く。温められると水蒸気となって大気へ。上空で冷やされることで雨に変わり、また私たちのもとに降り注ぐ。こうした地球規模の水の循環を宇宙から捉えているのが、JAXAが運用する地球観測衛星だ。それぞれの衛星が搭載するセンサを用いて、降雨の分布やその強さ、海面温度などさまざまな視点から、地球上にある水を観測している。

私たちが生活のなかで利用する水は、宇宙からどのように捉えられるのか。その関わりを探ろうと、高柳さんとともにJAXA筑波宇宙センターの中にある、地球観測研究センターを訪れた。

スペースドーム内にて「GPM主衛星」の模型(クリアケース内)を前に対話するふたり(左)と、その模型(右)。
スペースドーム内にて「GPM主衛星」の模型(クリアケース内)を前に対話するふたり(左)と、その模型(右)。

水の振る舞いを解きほぐす

「例えば、雨としての水、土壌に浸透する水、そこで溜まる水、蒸発して大気に戻る水、植物に吸収される水。地球上には、実にさまざまな水の振る舞いがあります」。そう話すのは、今回高柳さんを案内してくれた地球観測研究センター研究開発員で、水文学(すいもんがく)を専門とする山本晃輔だ。
「水文学というと馴染みがないかもしれませんが、『天文学』はみなさんもご存じですよね。天文学が、天体や宇宙の構造を解き明かすものであるように、水文学は水についての構造、文(あや)を解きほぐす学問。僕はそれを地球観測衛星を使うことで追究しています」。
JAXAが運用する衛星のうち、水循環に関する観測を行うのは、雨や雪を立体的に捉えるレーダー等を搭載した「GPM」主衛星と、海面や大気中の水蒸気などから放たれる微弱な電波を捉え、海面水温や土壌水分、雲の水分量など、さまざまな角度から水を観測する水循環変動観測衛星「しずく」のふたつ。地球観測研究センターではさらに、海外の宇宙機関が運用する衛星のデータも集約し、リアルタイムでの地球全球の観測データをカバーしている。
「現在の水循環を捉えた観測データを蓄積していくことで、 例えば、近い未来、地球温暖化が進行した場合に水はどう増減するのかなど、予測やシミュレーションを行うことができるようになります。そのためには、降雨や土壌水分、大気中の水蒸気といったそれぞれの水の状態とその量を、宇宙から正確に観測すること。刻一刻と変わる水の姿を解き明かしていくことが大切です」

GPM主衛星が立体的に捉えたハリケーンをVR空間で体感する高柳さん。青い点は雨粒を示し、グラデーションが濃いところであるほど大きな雨粒が存在している。雨粒の大きさを実観測に基づいて再現することで、ハリケーンや台風のより詳細な分析が可能となる。
GPM主衛星が立体的に捉えたハリケーンをVR空間で体感する高柳さん。青い点は雨粒を示し、グラデーションが濃いところであるほど大きな雨粒が存在している。雨粒の大きさを実観測に基づいて再現することで、ハリケーンや台風のより詳細な分析が可能となる。

人間の営みが、自然環境を変容させる。
その「確からしい根拠」

水は、さまざまな振る舞いを見せる。一方で、地球上を循環する水の量自体は、我々が生きている時間スケールではほぼ一定とみなすことができる。つまり今、蛇口から出てくる水は太古からほとんど変わらず、他の生物とも共有し、利用し続けてきた水だ。高柳さんが感じていたのは、そうした水を「私たち人間が、日常的に使う食器用洗剤や洗濯用洗剤、シャンプーなどによって汚してしまっているのではないか」ということだった。多くの洗剤には、石油系合成界面活性剤や漂白剤をはじめ、さまざまな化学成分が含まれている。その中には、生分解性が低いために微生物が分解できなかったり、分解に時間のかかるような物質もあり、そのぶん自然環境への負荷が大きいとされている。その影響は、宇宙からはどのように見えているのだろう。

山本は言う。「洗剤から受けた影響のみを、衛星からわかりやすく観測することは難しいかもしれません。しかしそうした人間の営みが、どのように自然環境を変化させたかを捉えることはできます。『赤潮』の観測などはそのひとつの例と言えるでしょう」。赤潮とは、海水中の微生物が大量発生することで、海が赤っぽく見える現象だ。それが河口から近いところで起きているという事実を、気候変動観測衛星「しきさい」が観測した。「しきさい」はJAXA第一宇宙技術部門が運用する、地球の陸域、大気、海洋、雪氷までさまざまな対象を観測する衛星だ。

2018年、中国地方の日本海側で観測された赤潮の様子。人間の目から見える色に近づけたもの(左)と、大気の光を補正し、プランクトンが集まった場合に反映されやすい「赤」の波長を目出させたもの(右)。 2018年、中国地方の日本海側で観測された赤潮の様子。人間の目から見える色に近づけたもの(左)と、大気の光を補正し、プランクトンが集まった場合に反映されやすい「赤」の波長を目出させたもの(右)。
2018年、中国地方の日本海側で観測された赤潮の様子。人間の目から見える色に近づけたもの(左)と、大気の光を補正し、プランクトンが集まった場合に反映されやすい「赤」の波長を目出させたもの(右)。

「2018年の観測事例における赤潮発生には、海域周辺で海面水温が周囲よりも高かったことが影響していると言われていますが、人間活動による排水が流れ込んだことで、微生物にとって栄養素が高い海になっていた可能性も考えられます。ただ、地球のシステムはかなり複雑なので、微生物が大量に発生しているということが自然環境の『悪化』であると、言い切ることは難しいです。プランクトンがいることで魚が集い、一時的にそこが豊かな漁場となる場合もあります。しかし自然環境の『変化』のトリガーのひとつが、人間活動でもあることは間違いありません。こうした人間の営みによる影響を理解するための、確からしい根拠を提供することが僕たちの役割だと思っています」

滞りのない循環は、健やかさにつながる

高柳さんが心を打たれたという、長野県安曇野市の川。北アルプスに降り積もる雪がゆっくりと時間をかけて微生物に分解され、地層に濾過されることで、青く透き通ったミネラルバランスのよい水となっている。
高柳さんが心を打たれたという、長野県安曇野市の川。北アルプスに降り積もる雪がゆっくりと時間をかけて微生物に分解され、地層に濾過されることで、青く透き通ったミネラルバランスのよい水となっている。

北アルプスの麓、長野県安曇野市。高柳さんはあるとき、その雄大な自然に囲まれてヘアカットをする機会に恵まれた。1対1のプライベートセッション「oneday」を2013年から安曇野市にあるリトリート施設・穂高養生園で定期開催することになったのだ。「それが水に対して強く関心を寄せるようになったきっかけでした」と高柳さんはいう。
「人の手が入っていない原生林、2000mを超える北アルプスからの雪解け水が、ごうごうと流れる青い川。その近くでお客さまの髪を切らせていただくと、ただ髪を切っているだけなのに呼吸が楽になったり、頭の中がすっきりしたり。お客さまだけではなく、自分自身も内側からリセットされて整っていくような感覚がありました」
大自然のなかで得た感覚は、現存する美しい環境を守りたいという思いに直結した。そうして高柳さんの活動はヘアカットにとどまらず、天然由来原料を100%使用し、生分解性に優れたヘアケアシリーズ・余[yo]の開発や、「整えること」をテーマとしたイベントの開催など、多岐にわたって展開されるようになった。

omotesando atelierのサロン室。表参道の裏通りにある一軒家を改装し、2013年に開かれた(左)。高柳さんが監修を務めるヘアケアブランド・余[yo]は、人と環境に配慮した自然製法から生まれた。そのボトルには、使用されたすべての成分が記載されている(右)。
omotesando atelierのサロン室。表参道の裏通りにある一軒家を改装し、2013年に開かれた(左)。高柳さんが監修を務めるヘアケアブランド・余[yo]は、人と環境に配慮した自然製法から生まれた。そのボトルには、使用されたすべての成分が記載されている(右)。

「健やかな髪づくりには、身体全体が循環していることが大切です」と高柳さんは言う。「薮が発生した森は、本来深い土壌まで染み渡るはずの水が浅く留まり、そこに根が張り巡らされてしまうことで、新しい芽が生まれにくくなっていると聞いたことがあります。僕は人間も同様だと思っていて、実際、余裕がなかったり大きな悩みを抱えていたりする方は、どこか髪に手が通りづらく、薮のようになっていると感じます。それは、身体のどこかで循環が滞っているサインなんですね。僕たちが目指すのは、そうした髪に手を入れ、新鮮な風を通していくことで、お客さまの生活や身体の循環を整えることなのだろうと思うのです」

薮化した森について、影響を受けたという本『土中環境 忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技』を手に持つ高柳さん。
薮化した森について、影響を受けたという本『土中環境 忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技』を手に持つ高柳さん。

山本は「高柳さんと僕たちJAXA研究員の関係は、入口と出口のようなものかもしれないですね」と言う。「地球観測衛星が観測しているのは実際、一人ひとりの営みの結果だと思います。僕らが目指すのは、そうした結果としての観測データを生活者に届け、一人ひとりにご自身と向き合ってもらうこと。高柳さんはそれを生活に近しい美容という領域で、前向きに伝えようとされているのだと思います。地球規模の水循環と、身体ひとつの循環。それぞれが捉えるスケールは異なりますが、僕たちはきっと同じ方向を向いているのだと思います」

地球という自分自身を整える

「髪を通して一人の身体と向き合っていると、地球もひとつの身体と捉えられるのではないかと思うことがあります」と高柳さんは言う。「人間の頭皮や皮膚は、地球上でいうと土壌、血液は水。血液が、身体全体に新鮮な空気を届けるように、水もまた、地球を循環することで地球そのものを生かしているとも考えられるかもしれません」。それを受けて山本は「確かに水は、地球上の各地に生物の生命維持に欠かせないミネラルを運んできましたし、河川は古くから離れた都市間の交易に使われ、まさに血液のように人間社会の発展を支えてきました。ぴったりな例えですね」と言い、続けて「そう考えると、近年都市部で度々起きている氾濫は、循環が滞った状態と言えるかもしれません」と重ねる。

GPM主衛星や「しずく」の観測データを基に、陸上の水循環をシミュレーションしたもの。JAXAが東京大学と共同開発した「Today's Earth」というサイトから誰でもアクセスできる。「実際には川の様子を示しているのですが、パッと見ると人の血管にも見えてきますよね」と山本は言う。
GPM主衛星や「しずく」の観測データを基に、陸上の水循環をシミュレーションしたもの。JAXAが東京大学と共同開発した「Today's Earth」というサイトから誰でもアクセスできる。「実際には川の様子を示しているのですが、パッと見ると人の血管にも見えてきますよね」と山本は言う。

「山間部は山が持つ保水力によって、雨がゆっくりと土壌に染み込み、時間をかけて川に流れていきます。一方で、都市部に降る雨はアスファルトに水が染み込むはずもなく、素早く流れていくしかありません。そうした都市部では、地下に貯水槽を整備したり人工水路を作ったりすることで、水の流れを調整していますが、予想以上の大雨が降るとそれらは機能しきれずに、町に水が溢れる内水氾濫が起きてしまうこともあります。これは身体でいうところの、血管が破裂したような状態とも言えそうです」

そもそも雨は、大気中の水蒸気が上昇気流に乗って上空に運ばれ、冷やされて水滴となることで発生している。しかし温暖化が進むことで、例えば熱帯などでは上層が温まり、台風の発生頻度は減少。そのぶん上空に溜まった水蒸気が、いざ雨が発生しやすい環境となった際にひとつに集約され、近年の豪雨や台風の巨大化につながっているとも言われている。

対談の最後は、筑波宇宙センター正門すぐのロケット広場にて記念撮影。
対談の最後は、筑波宇宙センター正門すぐのロケット広場にて記念撮影。

山本は言う。「これまで人間が都市に張り巡らせてきた水路では対応できない雨が、今後ますます増えていく可能性があります。つまり地球は、血管が破裂しやすい状態にあるということ。それはいわば人間で言うところの不健康だと思いますし、自分の身体がそうなっていると考えると、シンプルに嫌ですよね。一度変化した自然環境をすぐに戻すのは難しいですが、それでも人間の小さな営みが積み重なることで、大きな変化につながることもわかっています。よりよい方向への変化をめざして、自然環境との『いい塩梅』を探っていきたいですね」。
それを受けて高柳さんは、「宇宙からの視点を持つ山本さんに、小さな生活の可能性を示唆いただけると勇気づけられます。人間にとっても地球にとっても、健やかで心地よい水が巡っていくように。地道に確かな活動を、これからも都市のなかで積み重ねていきたいと思います」と返した。ミクロとマクロ。生活と宇宙。それぞれの視点から、水の循環に向き合う営みは続いていく。

Profile

高柳潤 山本晃輔

(写真左)
ヘアスタイリスト
omotesando atelier代表
高柳潤
TAKAYANAGI Jun

東京都出身。「ととのえること」をコンセプトに、サロンワークを主体として、髪、からだ、くらしそれぞれにアプローチするサービスを展開。オウンドメディア「髪を切るということ」のプロデュース、「水と、洗うこと」をテーマとしたショップ兼ギャラリーの運営など活動の幅を広げている。

(写真右)
第一宇宙技術部門
地球観測研究センター
山本晃輔
YAMAMOTO Kosuke

徳島県出身。JAXA地球観測研究センターにてGPM(全球降水観測計画)主衛星が観測した降水データの利用研究に取り組む。大学との共同研究では、衛星データを用いた水循環シミュレーションモデルの開発にも従事。音楽が趣味で、演奏のほか、データを使った作曲にもチャレンジ中。

写真:表萌々花 文:熊谷麻那 編集:水島七恵

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