対話の多層性、映画と宇宙活動

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左:濱口竜介 (撮影:高橋マナミ) 右:小野田勝美 (撮影:深作ヘスス)

対談
Multi-layers of dialogue,cinema and space activities
対話の多層性、
映画と宇宙活動

濱口竜介映画監督・脚本家

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小野田勝美JAXAワシントン駐在員事務所長

東京とワシントンD.C.がオンラインでつながった2024年2月某日。映画監督の濱口竜介さんが、米州地域におけるJAXA代表である小野田勝美と対談した。あいだにあるものは、映画と宇宙活動。最新作『悪は存在しない』がベネチア国際映画祭審査員大賞を受賞。濱口作品に包まれた人間の奥行きと、かつて国同士の技術競争の場でありながら、今では国際協力の手本でもある宇宙活動がもたらす未来から見つめる、私たちの世界。

記号的な表現から自由になる身体

米国主導の「アルテミス計画」の主要な要素の一つで、月面有人探査の中継拠点となる「Gateway」(ゲートウェイ)において、JAXAは国際居住棟の環境制御・生命維持装置の開発などを担当する。画像はゲートウェイとゲートウェイ補給機のイメージ画像(※補給機の画像はHTV-X)。

米国主導の「アルテミス計画」の主要な要素の一つで、月面有人探査の中継拠点となる「Gateway」(ゲートウェイ)において、JAXAは国際居住棟の環境制御・生命維持装置の開発などを担当する。画像はゲートウェイとゲートウェイ補給機のイメージ画像(※補給機の画像はHTV-X)。

小野田

トランプ政権からバイデン政権へと政策が転換する激動の時期をワシントンで越えてきましたが、この時期に駐在できて本当によかったなと思っています。というのも人類による宇宙活動もまた激動の時期を迎えているんです。そのひとつに米国が主導する「アルテミス計画」がありますが、これは2026年までに人類を再び月面に立たせ、将来の火星有人探査につなげていこうというもので、日本もこの計画に参画しています。宇宙活動というと日米には長い協力の歴史がありますが、これほど大きな協力協定は、30年に一度あるかないか。それを実現する場面に立ち会い、今も計画に関わる交渉や調整を行っています。

2023年12月にワシントンD.C.で開催された国家宇宙会議。そこに集った各国宇宙機関の駐在員代表と小野田。この会議で2020年代に米国の宇宙飛行士とともに、国際パートナーである宇宙飛行士を月面に着陸させることを発表した。

2023年12月にワシントンD.C.で開催された国家宇宙会議。そこに集った各国宇宙機関の駐在員代表と小野田。この会議で2020年代に米国の宇宙飛行士とともに、国際パートナーである宇宙飛行士を月面に着陸させることを発表した。

濱口

宇宙活動は国際政治の場でもあるでしょうし、自分には想像もつかないうねりのなかに小野田さんは立たれているのでしょうね。

小野田

エキサイティングな日々を送っています。そんな私に映画を観て、語るセンスはまったくありませんが、今回こうして対談の機会をいただき、濱口さんの最新作という『悪は存在しない』をはじめ、過去の作品もこの機会に改めて拝見しまして、衝撃を受けました。観ながら20歳を過ぎた頃に初めて行った北海道で食べた蟹を思い出しました。これまで自分が食べていた蟹は蟹ではなかった!その衝撃と同じぐらいのものを濱口さんの映画から受けまして。自分が観てきた映画と、濱口さんの映画はまったく別のものに感じたのです。

濱口さんの最新作『悪は存在しない』は、2024年4月26日(金)から全国公開。© 2023 NEOPA / Fictive

濱口さんの最新作『悪は存在しない』は、2024年4月26日(金)から全国公開。© 2023 NEOPA / Fictive

濱口

よくわからないけれど、とてもありがたい気がする例えですね(笑)。

小野田

すみません(笑)。『悪は存在しない』は「観る」というよりも、本を「読む」という行為に近いものがありました。広く開けられた行間には喜怒哀楽では読み解けない無言の感情が含まれているようで、水面下にあるものを想像する余地が残されていました。また行間はとても日本的なものにも感じましたが、濱口さんの作品が国際的に評価される背景には、この行間を一人ひとりに想像させるところにあるのでは?と。濱口さんは行間を考えながら映画を作っているのか。それとも作る過程で自然とそうなっていくのか。そのあたりどうでしょう?日々、コミュニケーション業務に携わる身としてはとても気になりました。

❶『悪は存在しない』の出発点は、映画『ドライブ・マイ・カー』で音楽監督を務めた石橋英子さんから自身のライブ用映像を依頼されたことに端を発する。それが発展し、石橋さんのための無音の映像『GIFT』(画像)と、長編映画『悪は存在しない』の2つの作品が生まれた。写真は2月24日に京都ロームシアターで行われた石橋さんの即興演奏による公演『GIFT」の様子。Photo by Shuhei Kojima

『悪は存在しない』の出発点は、映画『ドライブ・マイ・カー』で音楽監督を務めた石橋英子さんから自身のライブ用映像を依頼されたことに端を発する。それが発展し、石橋さんのための無音の映像『GIFT』(画像)と、長編映画『悪は存在しない』の2つの作品が生まれた。写真は2月24日に京都ロームシアターで行われた石橋さんの即興演奏による公演『GIFT」の様子。Photo by Shuhei Kojima

濱口

考えるというよりは、結果としてだんだんそうなっていったというのが一番近いと思います。それなりに長く映画を作っていると、自分のなかに「こういうものが観たい/観たくない」というものが出てきますが、映画作りのなかで育ててきたそうした自分の快・不快の基準が、気がついたら国際的にも通じるものになっていたというのが実感です。

小野田

観たいものを撮るためにどういう準備をしているのでしょう?

濱口

例えば撮影現場で俳優の演技を見ながら、「なんとなく、この感じはあんまり好きじゃないな」と思う場面が出てきたときに「そうやらないで」と、直接的に言い過ぎると俳優のいいところまで殺してしまいます。じゃあどうしたら観たくないものを避けられるのか。ここ数年行っているのは、リハーサルでは台本を徹底して感情を抜いて読んでもらう、というやり方です。ただ、本番では感情を出して演じても構わないとお伝えしています。

物語の舞台は長野県の自然豊かな高原。そこで慎ましい生活を代々続けてきた住民の、レジャー施設の開発をめぐる生活の変化が描かれている。『悪は存在しない』© 2023 NEOPA / Fictive

物語の舞台は長野県の自然豊かな高原。そこで慎ましい生活を代々続けてきた住民の、レジャー施設の開発をめぐる生活の変化が描かれている。『悪は存在しない』© 2023 NEOPA / Fictive

小野田

俳優の皆さんは戸惑われませんか?

濱口

それがどこかで腑に落ちるところがあるようです。本読みの時点では脚本に書かれたテキストの意味を解釈はせず、多義的なまま体に取り込むことで、あらかじめ想定した記号的な表現や一義的な演技が撮影本番には出てこなくなる。相手役や状況に応じた感情が出やすくなるという印象です。せりふ同様に、動作や行動を指示した「ト書き」と呼ばれるものも、例えば「ニコッと笑う」とか説明的に書くと演技もまたそうなってしまいます。そういう「何か嫌だな」ということが起きづらいように現場をつくっていくことで、気づけば自分にとって「嫌ではない」ものが多く撮れるようになっていき、結果的に海外の映画祭にも呼ばれる機会も増えました。

明瞭と曖昧。コミュニケーションの複層化

有人による火星探査を目標としたグローバルコミュニティ「Human 2 Mars」。そのコミュニティが2023年に主催したイベントに小野田も登壇。将来の火星探査も見据えた「アルテミス計画」について各国の代表と討論した。

有人による火星探査を目標としたグローバルコミュニティ「Human 2 Mars」。そのコミュニティが2023年に主催したイベントに小野田も登壇。将来の火星探査も見据えた「アルテミス計画」について各国の代表と討論した。

濱口

小野田さんは国際間でのビジネス、コミュニケーションの難しさは日々感じていらっしゃいますか? それともそんなに日本でするコミュニケーションと勘所は変わらないものなのですか。

小野田

変わると思います。例えば日本人には外国人に対する思い込みのようなものがあると思いますが、その代表的なもののひとつとして、日本人は婉曲表現を好むけれど、アメリカ人はしない、というのがありますよね。実際はそんなことはないです。今は「アルテミス計画」のなかで日本人宇宙飛行士が月面での活動に参加する方向で最終調整が進められていますが、それぐらい高度な対話になってくるとアメリカ側から婉曲なシグナルのようなものが送られてくるんです。ところがこちらが受け止めきれない場合が結構あるんですね。

NASAケネディ宇宙センターの発射場に配置された新型ロケット「アルテミス1」。「アルテミス計画」最初のミッションとなる「アルテミス1」は、月へ向かう新型有人宇宙船「Orion」の無人飛行試験にあたった。PHOTO:NASA

NASAケネディ宇宙センターの発射場に配置された新型ロケット「アルテミス1」。「アルテミス計画」最初のミッションとなる「アルテミス1」は、月へ向かう新型有人宇宙船「Orion」の無人飛行試験にあたった。PHOTO:NASA

濱口

日本とはまた違う形で言葉通りに受け取ってはいけないような局面が多々あるわけですか。

小野田

おそらくですが、日本人とアメリカ人ではその婉曲表現の仕方が違うから、互いに理解ができないときがあるのだと思います。アメリカ人の婉曲表現はこれまで積み上げてきた知識や事実を相手が共有している前提に立ってそれをほのめかしてくることが多く、一方の日本人は相手との関係性からくる感情による婉曲な表現。だからアメリカ人の「言わなくても知っているよね」と、日本人の「言わなくてもわかるよね」がまったく噛み合っていないなと思う場面に直面することがあります。それを噛み砕いて説明していくと、交渉がうまく進んでいくので、ハイコンテクストな(含蓄の多い)コミュニケーションが求められる局面がかなりあります。

2019年、ワシントンで行われた国際宇宙会議(IAC)に登壇。次世代を担う女性によるパネルディスカッションにて、「将来の宇宙探査の意思決定をリードする一人になれるよう努めていきたい」と小野田。

2019年、ワシントンで行われた国際宇宙会議(IAC)に登壇。次世代を担う女性によるパネルディスカッションにて、「将来の宇宙探査の意思決定をリードする一人になれるよう努めていきたい」と小野田。

濱口

一方で、言葉の曖昧さが極力排除されなければならない場面というのもありそうです。これは僕の想像ですが、ロケットの打ち上げの瞬間とか、国際宇宙ステーションとのドッキングの瞬間とか、それまでの成果がぎゅっと凝縮されるような場面において、もしも現場に言葉の曖昧さがあったら良くないわけですよね。間違えのないような精密な会話が求められますし、そうやって宇宙活動の現場にも、多層的なコミュニケーションが存在するのでは。

2022年11月16日水曜日、NASAケネディ宇宙センターから打ち上げられた「アルテミスI」。PHOTO: NASA/Joel Kow

2022年11月16日水曜日、NASAケネディ宇宙センターから打ち上げられた「アルテミスI」。PHOTO: NASA/Joel Kow

小野田

おっしゃる通り、現場や状況によって変わります。成果が試されるようなサイエンスやエンジニアリングの現場では言葉をツールとして扱い、極めて数学的・技術的なやり取りが中心になるので、言葉の曖昧さは影を潜めます。映画の現場はどうでしょう? コンテクスト(背景や文脈)がとても重要だろうというイメージがあって、そこにはたくさんの含みがもたらされているとも想像します。

『悪は存在しない』は第80回ヴェネチア国際映画祭「銀獅子賞(審査員大賞)」を受賞。過去作も含めるとこれで世界3大映画祭を制覇した濱口作品。日本人では、黒澤明監督以来となる快挙を達成した。© 2023 NEOPA / Fictive

『悪は存在しない』は第80回ヴェネチア国際映画祭「銀獅子賞(審査員大賞)」を受賞。過去作も含めるとこれで世界3大映画祭を制覇した濱口作品。日本人では、黒澤明監督以来となる快挙を達成した。© 2023 NEOPA / Fictive

濱口

それが映画の現場も解釈に幅が生じないような言葉遣いをする局面はたくさんあります。カメラの高さを、例えば俳優の心臓の位置と同じ高さに置いて欲しいとか、焦点距離が何ミリのレンズを使って欲しいとか、物事を正確に、そして時間通りに進行するために数値レベルでものを言う必要も出てきます。ただ一方で自分の映画が最終的に取り扱っているのは人間の感情的なものです。それは完全には言語化できない、もわんと漂っている何かです。例えば人と人の交渉の局面で、片方が何かを隠し持ちながら発言している、というときに、演技において一体どういうニュアンスが生じているべきなのかは、究極的には言葉では調整しきれないものです。その曖昧な領域、言語化されないものがだんだんと「醸される」方向に撮影現場をもっていきたいと思っています。その際に、ぼんやりと不明確に試みるわけではなく、それが自然と生じるようなシステムというか、「仕組み」自体を組み上げていくことに興味は持っていますね。

濱口さんとは大学院時代からの盟友でもある撮影の北川喜雄さんがカメラを構える。『悪は存在しない』撮影現場の記録写真から。© 2023 NEOPA / Fictive

濱口さんとは大学院時代からの盟友でもある撮影の北川喜雄さんがカメラを構える。『悪は存在しない』撮影現場の記録写真から。© 2023 NEOPA / Fictive

創造のために必要な仕組みを作る

夕日に染まる山を背景にスタッフ・キャストと。『悪は存在しない』撮影現場の記録写真から。© 2023 NEOPA / Fictive

夕日に染まる山を背景にスタッフ・キャストと。『悪は存在しない』撮影現場の記録写真から。© 2023 NEOPA / Fictive

小野田

先ほど話に挙がった「台本は棒読み、感情は本番だけ」というのも、システムのひとつと言えそうですね。

濱口

そうですね。自分の今のやり方としては「このシーンはこういう感情なので、こういうふうに演じてください」といったことを俳優に言うことは基本しません。それよりも俳優自身が身体で理解した、自発的な表現が観たいと思っています。その流れでいうと、撮影現場ではできるだけ俳優の感情が優先される段取りになるように気を配ります。というのも日本の映画の慣習としてカメラや照明がセットされてから、俳優は撮影現場に最後に入ります。すると何が起きるかというと、すべてのセッティングが終わった状態で俳優は入って、演技をして、出ての繰り返しで、要するに細切れに、急に役の感情にならなければいけない局面が出てくる。これでは役に集中できないのが当然ですよね。その状況を避けるため俳優に最初に現場に入ってもらい、リハーサルをして、俳優にとって違和感のない動きができてからカメラ位置が決まるような流れにスケジュールが許す範囲で変えていきます。まだまだ試行錯誤していますが、こういった点も含めて現場でやっていることは曖昧な領域が望んだような形で生まれるための仕組みやシステムを組み上げることであって、それは小野田さんの言葉を借りるとエンジニアリングと感覚的に近い気がしました。

小野田

かっこいいです!ありきたりな感想ですみません。でも、宇宙活動にも置き換えられるようなお話がたくさん伺えて刺激を受けます。私自身システムがあると心地よいと感じるのは、枠組みがあるからこそ達成できる何かがあるところです。宇宙活動はまさにその究極のもので、各国の宇宙機関は先人たちが積み上げてきたエンジニアリングがあって、そこをベースにいかに新しいサイエンスを取り入れるか、チャレンジするのかが計画されます。ワシントンに駐在しながら大変なこともたくさんありますが、心震える瞬間はその枠組みを利用しながら新しい歴史が築かれるときですね。最近も「アルテミス計画」に関連した日本とアメリカの会合があって、「決まったな」という瞬間に立ち会って。もう涙が出てきたんですけど。

月面での有人探査活動に必要な月面車=有人与圧ローバ(画像)は、自動車メーカーとJAXAが共同開発を進めている。月面で鍛えられた技術は地球へフィードバックされる。画像提供:TOYOTA

月面での有人探査活動に必要な月面車=有人与圧ローバ(画像)は、自動車メーカーとJAXAが共同開発を進めている。月面で鍛えられた技術は地球へフィードバックされる。画像提供:TOYOTA

濱口

すごいな、映画の一場面のようですね。

小野田

アメリカと日本はこれから手を取り合って月面を歩んでいこうとしています。それを世界中の人が見る瞬間が来る。その会合の場でカチッと歴史が動いた瞬間を感じたんですね。

濱口

そういう瞬間が目の前で展開されたと。それも自分は映画作りの現場のことを思い浮かべて、今聞いています。当たり前ですけど、俳優は普段映画の中のキャラクターではないし、フィクションの住人でもない。でもある時にカメラの前に立つと、本当にそのキャラクターに見える瞬間があります。それはそう簡単には起こらないことなので、そういう瞬間に立ち会うと心が震えるような思いがしますし、偶然に立ち会ったような気持ちになります。風が吹き渡る、鳥が飛んでくる、すごく美しい光が差し込んできて想像していたフィクションに力を与えてくれるような、そういう偶然と近いもの。今この瞬間にしかないことを捉えているなという感覚。小野田さんが感じたものはその感覚に近いのかなと、そんなことを想像しながら聞いていました。

「石橋さんの音楽に、どうやって自分の撮るものが応答できるのか」。そこから始まった濱口さんと石橋さんのセッション。本編は音楽と映像と物語が等価に響いてくる。『悪は存在しない』© 2023 NEOPA / Fictive

「石橋さんの音楽に、どうやって自分の撮るものが応答できるのか」。そこから始まった濱口さんと石橋さんのセッション。本編は音楽と映像と物語が等価に響いてくる。『悪は存在しない』© 2023 NEOPA / Fictive

小野田

そしてその瞬間に至るためには、超えていかなければならないことがあると。

濱口

そうです。準備に準備を重ねないと、やっぱり起こらないことですね。それはきっと想定を超えて良い形でシステムが機能する瞬間だとも言えます。

小野田

すごくいい言葉ですね。

濱口

一方でシステムは悪く機能する瞬間というのも多々ありますよね。

小野田

ありますね。

濱口

日本の映画業界であれば過酷な労働環境が問題になって久しいですし、その環境はハラスメントの温床にもなります。そうした悪い働きをするシステムをどう組み替えていくのかということも同時に取り組んでいかなければいけません。本来は撮影に今の常識として考えられている制作予算の数倍をかけないといけないのだと思います。それは勿論実現は難しい。だとしたら、同額の予算で現場の規模を数分の一にしてみたりとか、それらの中間ぐらいのことだったら、まだできそうですよね。理想論かもしれないけれど各人が回復したり、ものを考えられる時間を確保して、その条件を前提として面白くなりそうなものを考える。そのうえでみんなが自分の違和感を表明しあえる環境を作っていくことが望ましい。宇宙活動においてもそうしたシステムが硬直していく側面もあると思うのですが、そういったこととどう付き合っているのでしょう。

JAXA山川宏理事長と、NASAビル・ネルソン長官のトップ対談。山川理事長が訪米し、NASA本部でJAXAとNASA、相互の協力をテーマに会談を行ったときの写真。

JAXA山川宏理事長と、NASAビル・ネルソン長官のトップ対談。山川理事長が訪米し、NASA本部でJAXAとNASA、相互の協力をテーマに会談を行ったときの写真。

小野田

ひとつ挙げられるのは、これまで政府主導で進められてきた宇宙活動に対して、民間企業の力を取り入れるということです。アクターが増えて、宇宙がビジネスの場になることで、これまでのシステムを変えていく。それが昨今の一番の変化だと思います。その例でいうと先日、JAXAの「SLIM」(小型月着陸実証機)が月面への着陸に成功しましたが、タカラトミーが開発した小型のローバ「SORA-Q」が自動走行してSLIM を撮像し、着陸状態を把握することに成功しました。

変形型月面ロボット(LEV-2)「SORA-Q」が撮影・送信した月面画像 。©JAXA/タカラトミー/ソニーグループ(株)/同志社大学

変形型月面ロボット(LEV-2)「SORA-Q」が撮影・送信した月面画像 。©JAXA/タカラトミー/ソニーグループ(株)/同志社大学

濱口

ローバって月面を移動する探査車ですよね。それをタカラトミーが作っているとは。おもちゃメーカーのイメージしかなかったです。

小野田

そうですよね。JAXAには「宇宙探査イノベーションハブ」という、企業とパートナーシップを結んで宇宙探査に取り組むセンターがあって、そこがタカラトミーさんと取り組んだミッションですね。異分野の企業、人の知識や興味、アイデアを活かすことで、また全然違う景色を見ることができる。これからの宇宙活動はそういう時代ですね。

乗り物と映画の親密性

村上春樹の小説を実写映画化した濱口作品『ドライブ・マイ・カー』は、主人公の愛車として「サーブ900」が登場する。車内での会話は物語の重要な鍵を握る。「ドライブ・マイ・カー インターナショナル版」Blu-ray&DVD発売中。©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

村上春樹の小説を実写映画化した濱口作品『ドライブ・マイ・カー』は、主人公の愛車として「サーブ900」が登場する。車内での会話は物語の重要な鍵を握る。「ドライブ・マイ・カー インターナショナル版」Blu-ray&DVD発売中。©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

小野田

乗り物というと、濱口さんの作品は『悪は存在しない』をはじめ、どの作品も乗り物内での会話劇が物語の軸を握っている印象があります。車中を撮影するのは大変じゃないかなと思いながら、乗り物での会話は意図的なのでしょうか?

濱口

これは単純に自分の能力の限界から始まったことです。映画を作り始めた20代の頃は脚本を書く、それはせいぜいセリフを書くことしかできなくて、視覚的に発想するような映画的アプローチができなかったんです。でも映画なのだから画面は動いていてほしい。というすごく根本的なところがあるので、だったら少しでも観客の目を楽しませようとしゃべっている人を乗り物に乗せはじめたんです。最初、本当にお金がないときは、公共交通機関の乗り物に乗ってゲリラ撮りをしていたりもしましたが、だんだんと映画の規模が大きくなるにつれてプライベートな空間である自家用車の車中で撮れるようになりました。

市民参加による即興演技ワークショップから誕生した、濱口作品『ハッピーアワー』。ほとんどの登場人物を演技未経験者がつとめ、これまでにない試みによる長尺群像劇(5時間17分)となった。© 2015 KWCP

市民参加による即興演技ワークショップから誕生した、濱口作品『ハッピーアワー』。ほとんどの登場人物を演技未経験者がつとめ、これまでにない試みによる長尺群像劇(5時間17分)となった。© 2015 KWCP

撮り方としてはまず安全を確保しなくてはいけないので、自家用車の前後を、スタッフのカメラを積んだ車でブロックした上で通常運転よりも少し遅いぐらいのスピードで走りながら撮影します。ときにはカメラを積んだ車で自家用車を引っ張ったりもしなければいけないので、ある程度予算がないと実はできない撮影です。結局、人は電車よりも自家用車の方が親密な話をするようになるので、描ける関係も変わります。それが今回の『悪は存在しない』にも映っていると思います。ただもう、大体の乗り物を乗り尽くした感がありましたが、小野田さんとお話をしながら、まだ宇宙船には乗っていなかったなと。

『悪は存在しない』© 2023 NEOPA / Fictive

『悪は存在しない』© 2023 NEOPA / Fictive

小野田

乗り物は楽しいです。宇宙映画を作っていただけないでしょうか?(笑)

濱口

宇宙映画、おもしろいですよね。管制室でのやり取りが印象的だった『アポロ13』をはじめ、名作はたくさんあります。宇宙を舞台にするというものは、絶対に失敗できないミッションに対して、集団で挑むという状況なので、基本的におもしろくなるはず。あとは予算と、JAXAやNASAのご協力を得られるかどうかです(笑)。

小野田

『悪は存在しない』でも感じましたが、濱口さんの映画は私のような普通の生活者が送る普通の日常と、言葉にならない出来事や心情が絶えず行ったり来たりするその往復の行間があって、宇宙を舞台にそうした行き来のある映画を作っていただきたいなって個人的には思いました。

濱口作品初の短編オムニバス『偶然と想像』。それぞれ「偶然」と「想像」という共通のテーマを持ちながら、異なる3編の物語から構成される。©2021 NEOPA / Fictive

濱口作品初の短編オムニバス『偶然と想像』。それぞれ「偶然」と「想像」という共通のテーマを持ちながら、異なる3編の物語から構成される。©2021 NEOPA / Fictive

濱口

ありがとうございます。宇宙計画というと花形としてやっぱりロケット打ち上げの瞬間や管制室での様子、宇宙空間を飛行する宇宙飛行士の様子とか、そういうシーンを中心に映画は作られると思うんですけど、その周囲には本当に数え切れないほどの人が働いているわけなので、その人たちの仕事に焦点を当てるのもすごくおもしろそうです。「行ったり来たり」という小野田さんのお話を伺いながら、地上での宇宙飛行士の日常を撮るだけでもじゅうぶんにおもしろくなる予感がしました。日常生活を送りながら、その日常の中にしつらえられた宇宙空間を模した場所でトレーニングを行っている。その往復の日々を描く。観客は「打ち上げないのかよ」って思うかもしれませんが、それなら撮れそうな気がしました(笑)。

実物大の訓練施設を使用して訓練を行うJAXA古川聡宇宙飛行士(左)。2023年8月から国際宇宙ステーションに長期滞在中の古川宇宙飛行士は2024年3月に地球に帰還した。

実物大の訓練施設を使用して訓練を行うJAXA古川聡宇宙飛行士(左)。2023年8月から国際宇宙ステーションに長期滞在中の古川宇宙飛行士は2024年3月に地球に帰還した。

小野田

今、あらすじをお伺いしただけで、濱口さんの映画を見たような気がしました。映画というものは、監督のお人柄がそのまま出るんでしょうね。それも感じました。

濱口

いやあ、怖いですね(笑)。ちなみに僕は小学校の頃につくば市に住んでいたんです。当時は確かJAXAではなくNASDA(宇宙開発事業団)だったのかな。筑波宇宙センターに見学に行ったことがあって。確か機関紙か何かで松本零士さんが描いた漫画が載っていて、それを楽しみに読んだような記憶が残っています。

小野田

そうなんですね!今度はぜひ、筑波宇宙センターに撮影でいらしてください。

濱口

ぜひ伺いたいです。宇宙計画と比較すると僕はとても小さい世界にいますが、小野田さんに接点があると言っていただけて、映画の世界を見る新たな視点を発見した気がしますし、これからは宇宙活動もより親しい気持ちで観られそうです。ありがとうございます。

濱口さんと小野田の対談は、東京とワシントンD.C.をオンラインでつなぎ、行われた。

濱口さんと小野田の対談は、東京とワシントンD.C.をオンラインでつなぎ、行われた。

※ NASDA(宇宙開発事業団)・・・JAXAの前身のひとつ。

Profile

撮影:高橋マナミ

映画監督・脚本家

濱口竜介 HAMAGUCHI Ryusuke

2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』が国内外の映画祭で高い評価を得る。その後も317分の長編映画『ハッピーアワー』(15)が多くの国際映画祭で主要賞を受賞、『偶然と想像』(21)でベルリン国際映画祭銀熊賞、『ドライブ・マイ・カー』(21)で第74回カンヌ国際映画祭脚本賞など4冠、第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞。最新作でベネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞した『悪は存在しない』は4月26日より全国公開。

撮影:深作ヘスス

JAXAワシントン駐在員事務所長

小野田勝美 ONODA Masami

米国マサチューセッツ州出身。宇宙航空分野の国際調整、衛星アプリケーション、産業連携等に長年携わり、国連宇宙部(ウィーン)への派遣、JAXA衛星プログラム推進部、JAXA関西サテライトオフィス、地球観測に関する政府間会合事務局(ジュネーヴ)への派遣、JAXA調査国際部等を経て、2018年7月より現職。米国・カナダ・中南米におけるJAXA代表として、NASAほか政府機関、産業、学界等との連絡調整に当たっている。趣味はテニス、カラオケ、ハイキングと料理。

構成・文:水島七恵

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