氷の上と宇宙に、 軌道という名の道筋を描く
対談
氷の上と宇宙に、
軌道という名の道筋を描く
町田 樹スポーツ科学者・振付家
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尾崎直哉JAXA宇宙科学研究所 准教授
DESTINY+プロジェクトチーム
物体が運動するときに描く経路を「軌道」と呼ぶ。氷の上で人が、宇宙空間で探査機が辿るその軌道の裏側をのぞいてみたい。フィギュアスケートの競技者を経て、現在はスポーツ科学を専門とする研究者の町田 樹さんと、探査機の軌道を設計する研究者の尾崎直哉。ふたりの軌道が交わるところを垣間見る。
探査機の軌道とフィギュアスケート
それぞれのダイナミクス(力学)
町田
私は人文系の研究者なので物理学に関してはまったく疎いのですが、宇宙空間で物体をぽんっと押したらそのまま止まらなくなりますか? 真空状態で空気抵抗もないから。
尾崎
止まらないですね。厳密にいうと実はわずかに宇宙空間にはガスやチリが漂っているので完全なる真空ではないんですが、基本的に空気は「ない」と言えて、物体は止まることなく進み続けます。例えば地上では立ち止まって急に右折も左折も簡単にできますけど、宇宙空間だとそれが難しくなります。無理やり右へ左へもできなくはないのですが、効率はひどく悪いものに。
町田
逆にどういう軌道だと効率が良いのでしょう?
尾崎
はい、それはダイナミクス(力学)をうまく受け入れながら、その流れに乗った軌道です。宇宙空間に空気はないけれど、重力は「ある」。探査機の軌道設計においては、ダイナミクスの中でも、天体の重力の使い方がとても重要なポイントになるんです。
町田
「スイングバイ」ですね。私は東野圭吾の推理小説『ガリレオシリーズ』が大好きで、ドラマも観ていたんですが、主人公で天才物理学者の湯川先生が人工衛星の軌道を天体の重力を使って修正するという実験シーンがあって知りました。
尾崎
まさにそれです。人工衛星や探査機は天体のそばを通過すると万有引力の影響が強くなり、天体の大きな重力に引っ張られます。その力と天体の公転速度を利用することでスピードを加速したり、減速したり、航行方向を修正したりといった軌道制御の自由度をあげることができる。そのことをスイングバイと言います。直感的な理解としては「太陽系」というテニスコートで「地球」が走りながら、テニスラケットで「探査機」というボールを打つイメージを持ってもらえたら。実際には、地球が探査機を物理的に打つわけではなく、重力で軌道を曲げるわけですが。
町田
なるほど、おもしろい例えですね。
尾崎
探査機が遠い天体に到達するためには、たくさんの燃料を積み込まなければなりませんが、スイングバイをすれば、燃料を抑えて軌道を変えることができます。だから僕ら設計者はスイングバイをしながら、いかに効率の良い軌道を設計できるか? それを解くための最適な軌道を方程式で計算したり、コンピュータでシミュレーションしながら設計するんです。
町田
まさにそのシミュレーションした結果を、今こうして二次元の図(下の画像❶)で見せていただいていますが、現実には天体も探査機も動き続けているわけですから、きっと私なんかの想像を超えた難題ですよね。
尾崎
取り得る軌道がたくさんあるので、追求すればキリがなく、現実的な時間では計算できないんです。だから軌道を絞り込んでから最適化するようにしますが、そのとき必要なのが経験で培ってきた 勘やセンス。そこに設計者の個性が出ると思います。
町田
実は軌道設計とフィギュアスケーターの思考のパターンは、非常に似ていると思います。
尾崎
僕もきっと似ているところがあるだろうと感じていました。
町田
そもそもフィギュアスケートは氷上に図形=figure(フィギュア)を描いて滑走することからその名が付き、やがて図形の精度を競う種目へと変化していったという背景があります。そして現在は技のみならず、振付とそれを表現する技量が評価の対象となっているので、スケーターは幅30m×長さ60mのスケートリンクという空間をどう使えば、最も多くの人にアピールできるか? という観点で空間を構成していきます。また、フィギュアスケートは真空状態で空気抵抗もない宇宙空間とは真逆の、空気抵抗と氷との摩擦抵抗に支配された世界です。氷の上でひと蹴りしてもいずれ身体は止まってしまうので、動き続けるには蹴り続ける必要があります。そして、例えばトリプルアクセルを跳ぶとしたらどうか――まず、跳ぶための適切なスピードが必要になります。つまりAからB地点に行くときに、どういう軌道を通れば一番良いステップになるか。効率よくスピードをつけてジャンプできるか。かつ多くの人に一番美しく見える身体のラインを作れるかが重要になるんです。
尾崎
音楽という外的要因を考えるとさらに複雑になりそうですね。
町田
そうですね。あの音が鳴った瞬間に着氷するためには、逆算してどうステップを踏んでいこうか、とか。振付の表現は何万通り、無限大にあっても、そういう外的要因とか制約条件を踏まえながら、それにうまく適合すること、最善を探ること。そこにスケーターのセンスが一番光ると思います。このあたりのプロセスはまさに尾崎さんの軌道設計と同じですよね。
極限まで追求した機能は、美を宿す
町田
宇宙を支配している物理法則のもと、極限まで機能を突き詰めていったものは美を宿すものですよね。例えばフィボナッチ数列(どの数字も前2つの数字を足した数字)やフラクタル構造(部分が全体と相似な形を有している)などにも人間は自然と美を見出す傾向がありますが、まさにその延長線上にこの軌道設計もあるように思います。実際に軌道の線や形は美しく、それを芸術の創造につなげることができたらおもしろそうですね。
尾崎
おっしゃる通り軌道設計は無駄をとにかくそぎ落として、ダイナミクスの流れを極力使っていくことで美しくなります。と同時にその「美しさ」って主観的なものでもあると思うんです。僕自身が様々な軌道をたくさん見ている上で、「最適化された軌道は美しい」と感じていますが、その美しさには、結果としての軌道だけじゃなく、その裏にある設計者の苦労といった物語も含まれているような気がしています。数式をゴリゴリに解いて、1年ぐらいかけてようやく出来た軌道は、特に美しく見えるんですよね。
町田
何かを見て美しいと思える感性というのは、一朝一夕にはできないわけですね。同じものを見てもAさんは感動してもBさんは何とも思わないということがありますから。だからこそ作り手だけではなく、一般の方たちにも美しいと感じてもらえるようにナビゲートすることも大切ですよね。どれだけ芸術の精鋭を集めて踊っても、フィギュアスケートや演劇に触れたことがない方たちにとっては、それをどう鑑賞していいのか、どこが美しいポイントなのかもわからないものだと思うんです。芸術を発展させようというときには、人々の感性を養う鑑賞者教育もまたとても大切です。それは芸術に限らず、科学の世界でも同じく言えることではないでしょうか。
軌道設計から探査ミッション全体のデザインへ
町田
選手時代を経て、今は研究者としてスポーツ科学を専門に研究や教育活動に取り組んでいますが、並行してフィギュアスケートの振付家や解説者としての活動もしています。例えば今年の7月から始めた「エチュードプロジェクト」。このプロジェクトはアスリートのための振付作品ではなく、どんな人もスケートの醍醐味を自由に体感していただけるようなユニバーサルデザインな作品を創作して、専用の YouTubeチャンネルで公開しています。
尾崎
プロジェクトを始めたきっかけはなんですか?
町田
音楽の分野にはバイエルといった、誰でも演奏できる練習のための音楽があるように、あらゆる芸術ジャンルには教材的な作品があります。ところがフィギュアスケートにはそういうものがなかったんです。その現状を変えたいなと思ったのが発端ですね。誰もが無料で、質の高い振付作品を滑ることができる機会を提供することで、より豊かな時間を過ごしていただきたかったんです。そこで選曲から振付、模範演技までを手がけることで、非営利であれば誰もが自由に無許諾でその作品を滑ることができるようにしました。
尾崎
とても良いプロジェクトですね。ユニバーサルデザインや公共性の視点で言うと、僕もいつか作りたいものがあります。今「アルテミス計画」という有人での月探査計画が国際的に進行していて、近い将来、さまざまな人が月に行けるようになるかもしれません。そのときに人類の宇宙探査の歩みを止めないように、誰もが簡単に軌道設計ができるようなシステム、例えるならGoogleマップの軌道設計版のようなものを作りたいと思っているんです。
町田
もしそれが実現すると、尾崎さんの専門性や職人技が発揮できなくなってしまう。AIに役割を取られてしまうような恐れはありませんか?
尾崎
僕自身はあまり恐れてはいなくて、むしろ加速させようとする側の意識を持っています。実際そういう未来が来たら、軌道設計自体はAIに任せて、探査ミッション全体をいかに面白くするかを考える方に集中したいですね。そもそも軌道設計とは宇宙に探査機の旅のルートを描いて完結する仕事ではなく、探査ミッション全体を創り上げていく仕事とセットでやらなければいけません。例えば軌道を設計して初めて、探査機と太陽の距離が決まるので、それによって探査機の電力や熱設計の条件が大きく変わります。つまり軌道設計は探査機の仕様にも関わりますし、設計して初めて打ち上げ時期や、目標天体への到着時期も決まるので、探査計画の主要スケジュールを決める仕事でもあります。世界的には、それを宇宙ミッションデザインと呼んでいます。そういった諸々の条件も考慮しながら旅のルートを描いていくので、今後AIが軌道の設計部分をするようになれば、僕自身の軸足を宇宙ミッションデザインの方へ移していきたいと思っています。
既存の知を組み合わせて、新しいものをつくる
町田
芸術の世界ではドラマトゥルクという役職があるんですが、尾崎さんは宇宙探査におけるドラマトゥルクのような存在ですね。
尾崎
ドラマトゥルク......。初めて知りました。
町田
創作現場で生じるあらゆる知的作業に関わり、つねに創作の全体に目を配ることで、今の時 代に我々は何を作るべきか、そしてそれを世の中に どういう形で発信するべきなのか。ゼロからプランニングをして、それを形にして、さらに世界に届けるまでのすべてを統括するのがドラマトゥルクです。
尾崎
これから僕、ドラマトゥルクと名乗ってもよいでしょうか(笑)。
町田
ぜひ(笑)。
尾崎
でも本当にドラマトゥルクです。軌道設計の専門家として、軌道のこと、ミッションのことだけを考えていればいいという時代ではなくて、むしろ大切なのは、世の中の流れをちゃんと汲み取って、世の中が今期待していること、またその中でどうするべきかを考えてミッションを提案していくことだと思っているんです。
町田
そこは研究者として私自身もまったく一緒です。自分の研究がいかに社会還元できるかを考えながら実践していくことが大切だと思っています。論文を書いて、学術誌に載せて、アカデミアの世界でちゃんと研究成果を出していく。これはもう研究職だったら、誰もが第一義に考えなきゃいけない仕事ですが、自分の研究室の中だけに閉じこもっているのではなく、積極的に外部とコラボレーションしながら、新しい知を生み出し、社会還元をやっていくことに力を入れていきたい。なぜならイノベー ションの核になるものは、ゼロから何かを生み出すことというよりも、既存のもの同士を従来とは異なる形で組み合わせることによって生まれるのではないでしょうか。そういった意味では今日の対談もそのひとつです。
尾崎
僕にとっても今日の対談は、イノベーションにつながりそうな良いきっかけになっています。
町田
だから私の研究は学際的研究なんです。社会学的な手法も取れば、芸術学的な手法も取ります。またときには法学、経済学を取り入れることもあります。各学問を縦社会で探求するのではなく横軸でそれぞれの理論をつなぎ合わせて、新しい分析ツールを作って研究を深めていく。それが私自身の研究スタイルです。そうすることで世の中の流れを汲み取るだけではなく、作り出してもいけると感じています。
尾崎
本当にそうですね。
町田
先ほど話をした「エチュードプロジェクト」も、世の中にそういうニーズがあったからこそ取り組んだプロジェクトです。と同時にフィギュアスケート 業界の中で、万人のためのユニバーサルな振付作品を作るという価値観や考え方がそもそもなかったので"作り出した"んですね。
尾崎
作り出すという意味では今考えている宇宙探査があります。それは複数の探査機を飛ばして、1ヵ月に1個くらいの頻度でたくさんの小惑星を探査するというアイデアで。
町田
なぜターゲットがたくさんの小惑星なんですか?
尾崎
リュウグウ(小惑星探査機「はやぶさ2」が到達した小惑星)のような小惑星は120万個ぐらい発見されているんですが、そのうち人間が直接探査しているのは、わずか20個未満。120万分の20しか見てない状態なので、統計的にはまだわかっていないことばかりです。また対象天体を決めずにとにかくたくさんの小惑星をターゲットにするということも、過去の宇宙探査にはないコンセプトです。これまでの宇宙探査は目指すべき天体があってそれを探査するために特化した探査機を飛ばしていたんですね。だけどそうではなくて、行きたい天体は後で決めますと。そういうコンセプトのミッションがあってもいいのではないかと思っているんです。
町田
まさに流れを作り出していますね。
尾崎
そもそも地球に水をもたらしたのは、無数の小惑星や彗星じゃないかという科学的な説があります。岩石中に水を含む小惑星や氷を塊で含む彗星が地球に飛んできて、その水分が地球の水のもとになったのではないかという。地球の水という観点から捉えても小惑星は良い研究材料なんです。
町田
ミッションに新しい科学的価値を創造しつつ、地球の水の起源を探ることにもつながっていくというのは、生活者である私たちにとっても心躍りますね。
尾崎
ぜひ実現できたらいいなと。町田さんはこれからどんな道を歩んでいきたいと考えていますか?
町田
そうですね、私は研究者とアーティスト。ふたつの顔、その両輪を力強く回しながら、新しい価値を創造していきたいです。なぜならこのふたつは相互作用の関係にあって、実際に研究成果を出せば出すほど、自分の芸術創造が豊かになっていくことを感じています。例えばアーティストとして今までにない価値ある振付作品を作りたいというときには、いかに巨人の肩の上に立つのかが重要で。つまり研究者としての学問を磨いていくことで、結果的にアーティストとしてのスイートスポットが見えてくるんです。
尾崎
わかるような気がします。僕自身、アカデミアとエンジニアの相互作用のなかで最先端の研究をしながら、最先端の科学技術も探究しています。確かに両輪あってこそ、可能性が拡がっています。
町田
お互いふたつの顔をスイッチングしながら新しい価値を創造したいですね。
Profile
スポーツ科学者・振付家
町田 樹 MACHIDA Tatsuki
1990年生まれ。スポーツ科学研究者。振付家。現在、國學院大學人間開発学部助教。2020年3月、博士(スポーツ科学)を取得。専門は、スポーツ&アーツマネジメント、身体芸術論。主著に、『若きアスリートへの手紙』(山と溪谷社、2022年)等がある。大の宇宙フリーク。
JAXA宇宙科学研究所 准教授
DESTINY+プロジェクトチーム
尾崎直哉 OZAKI Naoya
兵庫県出身。大学院時代に、世界初の超小型深宇宙探査機PROCYON(プロキオン)の開発に携わり、宇宙工学分野にのめり込む。ESA・NASAでの武者修行を経て、JAXAにてDESTINY+、MMX等の数多くの深宇宙探査ミッションの軌道設計に携わる。エレキギターを趣味としており、JAXAのイベントで演奏することも。
撮影:阿部 健 構成・文:水島七恵
著作権表記のない画像は全て©JAXAです。