気候変動観測衛星「しきさい」
その鮮やかな観測画像の成り立ちに触れたい
わたしのJAXA訪問記vol.4
気候変動観測衛星「しきさい」
その鮮やかな観測画像の
成り立ちに触れたい
訪れた人:宮前義之
(A-POC ABLE ISSEY MIYAKE デザイナー)
高度約800キロを南北に周回し、2日ごとにほぼ地球全体を観測できる気候変動観測衛星「しきさい」(GCOM-C)。気候変動の予測の精度向上を目指すこの「しきさい」の観測データに魅了された宮前義之さんが、データの解析研究が行われている筑波宇宙センターを訪れた。
コンピュータ・テクノロジーを用いて一本の糸から多様なバリエーションの服を作り出すA-POC。イッセイミヤケの革新性を表すこのA-POCをダイナミックに発展させたA-POC ABLE
ISSEY
MIYAKEを率いる宮前義之さんは、学生時代から無類の旅好き。デザイナーとなり、仕事で頻繁にパリを訪れていた頃は周辺の国にも足を運び、そこで見たもの、体験したことがものづくりの原動力にもなっていたという。
ところが近年は世界規模でコロナ禍が拡大。移動するにも制約が生じるなかで偶然出会った画像が、気候変動観測衛星「しきさい」(GCOM-C)が捉えた地球の姿だった。
「最初に画像を見たときはJAXAの衛星が捉えた画像だと思いませんでした。衛星は私たちの生活と密接なことは知っていましたが、天気予報や放送、カーナビなどに利用されているんだろうなと漠然と思っていたんです。ところが『しきさい』は人の目には見えない大気中の微粒子や植物の活性度までが見えると。それが将来の気候変動予測の精度を高めることにつながると知って感動したんです」
自分の知らなかった世界。見たことがない景色。宮前さんにとって「しきさい」の画像は、旅先で出会う風景とも通じるものがあったという。
「自分にとって旅はものづくりをする上で必要不可欠なものです。なぜなら自分の内側にあるものだけでものづくりを続けても、クリエイティブの強度が高まらず、いずれ限界が来ます。それに創業者である三宅一生は世の中にないものを世界に打ち出すことで未来を見据えたものづくりをしてきたんですね。代表的な製品にPLEATS PLEASEがありますが、その後のA-POCではプリーツの発想をさらに進め、糸から服までをコンピュータで精密に制御した編み機で自動的に作ってしまうという、画期的な服を発表。その当時私は服飾の学校に通っていたんですが、服作りの概念を変えてしまうような出来事に本当にショックを受けました。
三宅のこうした革新性を私たちは受け継ぎ、次につないでいかなければいけません。そのためにも新しい世界に出会い、感動をして、その経験を生かしたものづくりをしなければ超えていけないんです。「しきさい」が捉えた地球の姿は、そうした旅先で出会った景色と同じような感動がありました」
地上からの光をもとに、陸域、大気、海洋、雪氷まで様々な対象を観測することが可能な「しきさい」。その彩り豊かな観測画像が目に触れるまでの背景を知りたいと、宮前さんは筑波宇宙センターを訪れた。
「しきさい」は、見えないものを可視化する
筑波宇宙センターでは人工衛星の開発と運用のほか、「しきさい」をはじめとする地球観測衛星が取得したデータの解析研究が行われている。「JAXAというと地球の外側にある様々な天体が研究や観察の対象になっていると思っていました。ところが 実際はこんなにも地球の方に向かっているとは」。そう驚く宮前さんを案内するのは、地球観測研究センターの研究開発員で「しきさい」衛星グループに所属する棚田和玖。温暖化をはじめ、様々な環境変動を精度良く観測してそのプロセスを解明する研究をしている棚田は「しきさい」について「一言でいうと、地球上で起きている現象を理解するツール」と話す。
「宇宙から俯瞰することで地上では見えていない、気付かない構造が見えてきます。その構造を把握して情報提供することで地球環境や私たちの暮らしをより良くしていくのが地球観測衛星の役割です。なかでも「しきさい」の観測画像は、地球の環境変化を捉えるツールとしてだけでなく、純粋にデザイン的観点から見ても魅力があると個人的には思っています。宇宙から見た地球は、日常とは異なるスケールに我々を誘い、自然のダイナミズムを鮮やかな色彩で感じさせてくれます。宮前さんが魅力を感じられたという画像も、人為的ではない、 偶発的な自然の色と形をしています」
物体は、太陽光や照明などの光を反射することでその色が見える。というように、そもそも「色」を見るためには、「光」の存在が必要不可欠だ。そして電磁波の一種でもある光は、その波の間隔(=波長)によって色が変わる。人の目で見える波長の光を「可視光線」と呼ぶが、この領域からさらに波長が長くなると赤外線、短くなると紫外線という人の目には見えない電磁波になる。「しきさい」は、19 種類もの電磁波を観測できるセンサにより、人が見ることのできない領域まで可視化する。
「例えば、赤外線を用いることで、海面水温や火山活動の状態、林野火災の発生位置などを推定することができます。また、雲や大気中に浮遊する微粒子、エアロゾルがどこにどれだけあるのかも「しきさい」が搭載するセンサによって観測できるんです」
宇宙からの目を使って、地球のSOSを感知する。「手遅れになる前に衛星という手段を利用して持続可能な地球の未来を作っていければ」と棚田は言い、さらなる目標として「衛星データの新たな利用価値を生み出したい」と重ねる。「そのためには、衛星データが我々の想定している範囲の中だけで使われるのではなく、想像もしていなかったような異分野の領域でも利用される。そういう前提でデータをつくること、公開していくことが新しい利用価値が生まれるためには必要なんじゃないかと。私自身はそういう意識を持つように心がけています」
デザインとエンジニアリング。 二つの視座を往復する
イッセイミヤケの服づくりの基盤となる哲学に「一枚の布」がある。それは東洋・西洋の枠を超え、身体とそれをおおう布、その間に生まれるゆとりや間の関係を根源から追求する思想を凝縮した言葉だが、棚田は「我々が扱う観測データと「一枚の布」という哲学には、本質的な共通点があるような気がします」と話す。
「例えば観測データの元はひとつです。そのひとつのデータに対して組み合わせを変えることで、様々な地球物理量を見ることができるんです。一方の「一枚の布」は平面状の布をたたんだり、折ったり、切ったりすることで布が衣服たりうる構造となって、着心地と機能性、デザイン性の豊かさを生んでいますよね。その展開構造のようなものが似ているなと思いました」
それを受けて宮前さんは「まさにA-POC ABLE ISSEY
MIYAKEは「一枚の布」という哲学が可能にするものを探求しているブランド」だと返す。
「イッセイミヤケは世の中にある素材はどんなものでも服になりうると信じてやってきました。そしてその素材を一枚の布としてどう設計をするか?という視点でものづくりをしていくと、糸の設計から始まり、編み、織り、染色の技術までデザイナーが関わっていくことになるんです。それは従来のデザイナーの
仕事かというと、そうではない。だからA-POC ABLE
ISSEY
MIYAKEでは自分たちのことをエンジニアという呼び方をしています。デザインと技術をつなぐ仕事だと思って取り組んできたんですね」
デザインとエンジニアリング。両方の視座を往復しながらものづくりをしている宮前さん。そのプロセスにおいては異分野、異業種とのコミュニケーションが欠かせないと話す。
「これは衣服に限らず、どの業種でも共通していることですが、今は専門性だけでは社会課題は解決できない時代だと思います。むしろ必要な要素をそれぞれの専門性から持ち寄り、それらを横串に刺すことで未来がひらかれていくのではないでしょうか。それはいかに意図的に遠回りができるか?とも言えて。JAXAの研究もまたそういった側面があるのではないでしょうか。共に遠回りをしながら、何か協業できたらいいですね」
行き着く先は自然のなかにある現象
A-POC ABLE ISSEY MIYAKEとの協働の可能性。ひとつの切り口として棚田は「衛星や探査機のデザインで協働できるかもしません」と話す。 「JAXAでは以前、太陽光の力で進むようにソーラーセイルを宇宙で広げる展開構造のIKAROSという探査機を開発しました。その展開構造は日本の伝統文化である折り紙がヒントになっていて、それは『一枚の布』というイッセイ ミヤケさんの衣服の展開構造の発想に似ていると思ったんです」
「例えば地上用の太陽電池は軽量で柔らかく、どこにでも貼れるような世界になってきているので、こうした技術を利用した衛星の太陽電池パドルを宮前さんと素材開発からご一緒して、展開構造から考えられたら面白いですね」
折り紙工学のひとつ、ミウラ折り。縦の折り線をジグザグにすることで、平行四辺形の折り図ができあがるのが特徴だが、宮前さんはこのミウラ折りを用いたスカートを過去に発表していた。
「スカートをミウラ折りにして畳んだ状態でモデルさんの腰にベルトのように巻いて。ベルトを外すとふわっと大きなスカートに展開していく。ショーのフィナーレでスカートを発表したことがありました。もしソーラーセイルをデザインするとしたら、金属を含んだものを織ることになりますよね。そういう課題を投げかけられたら私たちもあらゆる角度から検証して挑戦してみたいです」
そして話題は宮前さんにとっての永遠の課題に及ぶ。
「人の精神と身体を解放する素材とはなんだろう?と。プリーツがまさにそれに値する究極の素材だと思っていますが、それを超える素材をチームで作りたいと思っているんです。それはきっと私の代では終わらないだろう永遠の課題ですね。こうしてものづくりをしていると日々壁にぶつかりますが、結局それを整えていくときに行き着く形は自然のなかにある現象だったりするんです。『しきさい』が捉えた観測画像もそのひとつですが、自然が作り出すものに人間は勝てない。そう自戒しながら、普遍性ある服づくりをしていきたいと思います」
Profile
A-POC ABLE ISSEY MIYAKE
デザイナー
宮前義之
MIYAMAE Yoshiyuki
東京都出身。2001年に三宅デザイン事務所に入社し、A-POCの企画チームに参加。その後ISSEY MIYAKEの企画チームに加わり、11~19年はISSEY MIYAKEのデザイナーを務める。21年にA-POC ABLE ISSEY MIYAKEを立ち上げる。エンジニアリングチームを率いて、新たなものづくりに挑んでいる。計画を出来るだけ立てない旅、週末はギャラリー巡りが趣味。
JAXA第一宇宙技術部門 地球観測研究センター
研究開発員
棚田和玖
TANADA Kazuhisa
東京都出身。気候変動観測衛星「しきさい」グループにてアルゴリズム開発、データマネジメント、解析研究に従事。現在は、地球規模で発生する林野火災の気候への影響について研究中。同僚とバンド活動をすることがささやかな楽しみ。
写真:阿部健 取材・文:水島七恵
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