科学者と読み解く、「月世界」が描く夢の先

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科学者と読み解く、
「月世界」が描く夢の先

アポロ計画から半世紀以上を経て、人類は再び月に降り立とうと「アルテミス計画(*1)」を進め、JAXAでも月面での活動を想定した研究を行っている。
地球唯一の衛星である「月」は、これまで科学の発展のみならず芸術文化にも大きく影響してきた。
今号ではJAXAの科学者ふたりと、サイエンスフィクション(SF)の父と言われる小説家ジュール・ヴェルヌの『月世界へ行く』を読み解く。緻密な科学的知見と豊かな想像力から見つめる、物語としての月の魅力。月が導く私たちのこれからを想像していく。

(*1) 米国が主導する月面探査プログラム。日本も参加を表明しており、2025年以降月面に人類を送り、月面拠点の建設や人類の持続的な活動を目指す。

月世界へ行く

『月世界へ行く』
ジュール・ヴェルヌ/著 江口清/訳 創元SF文庫 1964年初版、2005年改版
原著『Autour de la Lune』1869年発行 アメリカ人とフランス人の乗組員3名が砲弾型宇宙船で月に向かい、地球に帰還するまでを描いた物語。186X年、フロリダ州に造られた巨大な大砲から砲弾型宇宙船が発射された。月へ向かう乗組員の行く手には小天体との衝突や酸素酔い、犬の宇宙葬など、さまざまな事態が発生するも、月の周回軌道までたどり着く。月面を間近で観測し着陸を目指すが、到達は叶わず地球に帰還する。

砲弾は本当に月まで飛ぶのか?

『月世界へ行く』において、乗組員たちは「砲弾」を使って月を目指します。この砲弾は実際、月まで飛ぶことができるでしょうか。ロケットエンジンの研究者である私の視点から、科学的に考えてみます。
小説では、火器専門集団「大砲クラブ」によって砲弾発射の計画が進められました(❶)。この砲弾を飛ばす上で、最大の課題は加速度(G)です。小説のように大砲を使って砲弾を打ち上げる方法では、瞬間的に1万Gほどが人体にかかってしまいます。人体が耐えうる加速度は9Gほど(自分の体の重さが9倍になることと同じ)。 作者のヴェルヌもその課題を想定し、砲弾内に水を使ったクッションを用意していたようですが、実際には不十分でしょう。


一、砲弾はアルミニウムの弾丸で、直径一〇八インチ、外側の厚さ一二インチ、重さは一万九二五〇ポンド。
二、大砲は砲身九〇〇フィートの鋳鉄製のコロンビヤード砲で、地面に直接、鋳型に流しこんでつくる。
三、装填には四〇万ポンドの綿火薬を使用。それは弾丸の下で六〇億リットル入りのガス缶の働きをして、砲弾を容易に月に到達せしむるだろう。
※小説(2005年改版)p10より引用

ヴェルヌによる砲弾型宇宙船の発射イメージ。大砲を地下で鋳造し、火薬を埋め込み、砲弾を飛ばす。

ヴェルヌによる砲弾型宇宙船の発射イメージ。大砲を地下で鋳造し、火薬を埋め込み、砲弾を飛ばす。

1967年から使用されているロシアのソユーズ宇宙船では最大9Gが人体にかかる設計です。大砲のように勢いよく押し出す加速ではなく、エンジンを使ってロケット本体が加速することで、できるだけ衝撃を少なくしています。人体が耐えうる緩やかな加速でありながら、"充分なスピード"を出すことが、打ち上げには必要なんです。ここで言う充分なスピードとは、地球の引力圏を抜けて月軌道に乗るほどのスピード(~11.8km/s)ですが、これらは小説内で正しく計算されています。また設計についても、砲弾は釣鐘(つりがね)型でアルミニウム製。先述のソユーズ宇宙船の帰還モジュールは、同じく釣鐘型のアルミニウム製ですから、実は大きく変わりません。現実的な課題はもちろんありますが、ヴェルヌの科学的知見と素晴らしい想像力がうかがえますね。

小説内の砲弾型宇宙船と、現在の宇宙船との比較。左から、ロシアのソユーズ宇宙船(帰還モジュール)、 砲弾型宇宙船、米・スペースXのクルードラゴン宇宙船。

小説内の砲弾型宇宙船と、現在の宇宙船との比較。左から、ロシアのソユーズ宇宙船(帰還モジュール)、 砲弾型宇宙船、米・スペースXのクルードラゴン宇宙船。

このような知見を背景に、一つの仮説を起点として物語が広がっていくところに、SF作品の妙を感じます。『月世界へ行く』においては 「砲弾で月へ行く」というのが一つの仮説であり壮大な思考実験ですよね。実際に人類が月の周回軌道にはじめて乗ったのは、1968年に打ち上げられたアポロ8号。そのおよそ100年も前の1869年にヴェルヌはこの作品を発表していますから、人類にとって月に砲弾を飛ばすなんて夢のまた夢だったはずです。それでもその夢を仮説とし、「どうすれば人を乗せて砲弾を飛ばすことができるか」「月へ行く途中にどんな出来事がありうるか」と問いを立て科学的検討を重ね、広がった世界がこの物語なのだと思います。

著者のジュール・ヴェルヌ。小説内の数式は、砲弾発射における初期速度と重力の影響を差し引き、 一定速度に落ち着くときの速さ(終端速度)を計算しており、現在にも通ずる。

著者のジュール・ヴェルヌ。小説内の数式は、砲弾発射における初期速度と重力の影響を差し引き、 一定速度に落ち着くときの速さ(終端速度)を計算しており、現在にも通ずる。

もし私がこの砲弾計画を考えるなら、発射台を大砲型ではなく「カタパルト形式」にしてみたいです。カタパルト形式にはさまざまな種類がありますが、大きくは、加速距離を縮めるために使われる、パチンコのように勢いよく飛ばす発射台のことを指します。SF映画の傑作『地球最後の日』(1951年公開)に登場する白銀色の「宇宙船アーク号」はまさに水平型のカタパルトですし、『機動戦士ガンダム』(1979年〜)にも登場しています。
小説内では地中に穴を掘りそこで鋳造した大砲で発射をしていますが、発射場所のフロリダ周辺は湿地で、うかつに穴を掘ってしまうと地面から水が出てきてしまい、実際には鋳造できないかもしれませんし、何よりカタパルト形式は、SFチックで魅力的だと思うんです。科学は現実的な事実だけが積み重なって生まれているのではなく、夢を仮説して考えてみるというのもやはり必要なんですね。
余談ですが、この小説の乗組員たちの計画は、月からの帰還まで考えてられてないんですよね。その思い切りに感心します。本当に、真面目に住むことを考えていたんでしょうか。(笑)

仮説は、人に笑われるような無謀なものでいいのです。月があるから人はそこに行きたい。行きたいから科学が発展するし、物語が生まれます。つまり人の夢や意図があってはじめて科学と芸術は進展するんです。私の目の前には、過去の科学者が積み上げた高さ何千メートルにも及ぶ研究の紙束があります。一枚一枚の紙は先人たちの夢や意図の結晶で、私も一科学者としてそこに紙一枚を確かに積み重ねたい。それがまだ見ぬ世界への一歩になるのだと、日々研究しています。

研究開発部門 主任研究開発員 平岩 徹夫

平岩 徹夫  研究開発部門 主任研究開発員 愛知県出身。実験現場でフォークリフトを乗り回す屋外仕様研究者。ロケット再使用を目指す日独仏共同実験、通称CALLISTOプロジェクトに参画中。言葉では説明しきれないのでタブレット端末でイラストを描いていたら完璧にハマり、ロケットや飛行機を描く日々。

月での生活を、空気から考える。

人間の生命維持の根幹は空気と水です。私は空気再生技術の研究者ですから、砲弾内でどのように酸素を確保するか、まずはそこから宇宙での生活を考えてみます。
小説の砲弾内では、固体の「塩素酸カリ」から生み出す酸素を吸い(❷)、吐き出した二酸化炭素を液体の「腐蝕性苛性カリ」で浄化し、さらには酸素を使うガス灯で灯りと暖をとり、生活をしています。腐蝕性苛性カリの原理は今も有効ですが、実際は微小重力環境において、液体はふわふわと浮いてしまうので取り扱いが難しく実用されていません。


このような高温では、塩素酸カリが塩化カリウムに変わるとき、もっている酸素をすべて出すのである。ところで、一八ポンドの塩素酸カリはどのくらい酸素を出すかといえば、この砲弾の中の人々が毎日消耗するのに必要な七ポンドなのである。
※小説(2005年改版)p55より引用

これまで国際宇宙ステーション(ISS)では、二酸化炭素は船外に捨てられ、持ち込んだ水を電気分解することで酸素を生み出し活動していました。しかし資源が限られたISSでの活動を持続させるには、最小限の資源での生活を考えたい。そこで現在は、船内で酸素を再生・循環させる装置の開発が進んでいます。二酸化炭素は水素と混ぜ、メタンと水に(サバチエ反応)。生まれた水を電気分解することで、酸素を生み出し呼吸する。こうして酸素の循環が生まれ、必要最小限の酸素で人々が生活できるようになります。ちなみに、この酸素再生技術は宇宙での生活のためだけではなく、地球温暖化防止(SDGs)の研究にも役立っています。

空気再生システムのイメージ。最小限の酸素で呼吸を続けることができる。ISSでも使用され、 月での生活にも活用されるだろう。

空気再生システムのイメージ。最小限の酸素で呼吸を続けることができる。ISSでも使用され、 月での生活にも活用されるだろう。

小説では乗組員たちが死の砂漠のような月面の光景を見て、月面に着陸できずに、月は居住不可能だと結論を出していますね(❸)。そんな不毛の世界を居住可能にするのが環境制御・生命維持技術(ECLSS)です。JAXAのワーキンググループでは「月の縦孔」を利用した月面基地を構想しています。月の縦孔は、日本の月周回衛星「かぐや」によって発見された大きな開口部とそれにつながる洞窟で、そこに月面基地を作る構想を練っています。2万年以上前、私たちの祖先はラスコーに代表される洞窟を住処とし、雨風をしのいだと言います。月面では、強い放射線やマッハスピードで飛ぶ隕石、昼夜200℃の気温差が脅威となりますから、祖先にならって洞窟で脅威をしのぎ、生活を立ち上げていくのはどうか?と想像しています。


「新たに観察したところの事実にもとづいて議論した結果(中略)全員一致で結論を下すに至った。すなわち、『月は居住不可能である』と」。
※小説(2005年改版)p248より引用

月面基地では、月の砂「レゴリス」の活用も考えられています。レゴリスをブロックのように固めると、建物を作ることができます。レゴリスには様々な成分が含まれていて、例えば酸素は呼吸に、シリコンは太陽電池に、マグネシウムは火を付ければエネルギーに、酸化ケイ素はガラスの材料にもなります。いずれも研究の段階ではありますが、このような生活も考えられています。

「月の縦孔」を利用した月面基地イメージ。左から、住居エリアや月面農園、ロケット発射台、レゴリス活用施設などの建設が想定される(*3)。(*3)人間が定住する月面拠点建設へのロードマップ、桜井他、日本航空宇宙学会誌 第70巻 第7号(2022年7月)

「月の縦孔」を利用した月面基地イメージ。左から、住居エリアや月面農園、ロケット発射台、レゴリス活用施設などの建設が想定される(*2)。
(*2)人間が定住する月面拠点建設へのロードマップ、桜井他、日本航空宇宙学会誌 第70巻 第7号(2022年7月)

空気を問題なく供給できるとなると、次に課題となるのは水です。当面、月での生活の質(QOL)は、水の使用可能量がクリティカルに影響するでしょう。地上では日本人ひとりが入浴や洗濯も含めて1日に使う水の量は約300リットル。一方、ISSで使う水の量は1日わずか3.5リットル。この量は1日の飲用水2リットルも含んだ数字で、歯磨きといった衛生水はたったの1.5リットル。月での人口を増やすには月面基地を広げていくとともに、水の確保が課題となると思います。
また、私たちが生きていくためには食事も欠かせません。小説では、乗組員の一人であるフランス人のアルダンが、ごちそうやワインを砲弾内で振る舞う描写がありますが(❹)、宇宙でこんな食事ができる日も夢ではありません。小説ではアルダンが貴重なぶどうの株や半ダースほどの雌鶏、尊大な雄鶏を一羽、砲弾の中に持ち込んでいます。月でワインを作り、鶏を育てる計画だったようですね。


食事は、すばらしい三杯のブイヨンではじまった。(中略) そして、この食事の終わりを飾るべく、アルダンは、偶然にも貯蔵部屋にあったブルゴーニュ産のすばらしいぶどう酒を一壜とりだした。
※小説(2005年改版)p50より引用

現在は地球上から資源を持っていくだけではなく、月面で資源を調達し生活に生かす方法(ISRU)も考えられており、将来の月面基地では農園で作物を栽培する予定です。農作業はロボットがすべて行い、廃棄部分が少ないレタスやサツマイモ等の作物の栽培から始まるでしょう。月面産レタスでサラダを、月面産サツマイモで焼酎を作り、小説でも描かれなかったほど豪華なごちそうをいつか月面で頂きたいものですね。

将来の月面農園では、ワイン用のぶどう棚(右上)、レタス等の作物、噴霧栽培されたサツマイモ(右中)、シーケンス栽培(毎日播種・収穫)された稲(右下)や食用藻(左上)、培養肉(左下)等が予想されている(*4)。
								(*4)JSASS宇宙ビジョン2050

将来の月面農園では、ワイン用のぶどう棚(右上)、レタス等の作物、噴霧栽培されたサツマイモ(右中)、シーケンス栽培(毎日播種・収穫)された稲(右下)や食用藻(左上)、培養肉(左下)等が予想されている(*3)。
(*3)JSASS宇宙ビジョン2050

「SF小説はひとつのウソをついても良い」と言われているそうです。 私たちはその「ウソ」に心を躍らせ、目標とし、実現したいと望みます。月面基地の実現に向けて、想像と現実が食い違うこともありますが、そこから試行錯誤し、可能な方法を見出していくのが科学の醍醐味。月への夢はこれからも続いていきます。

研究開発部門 研究領域主幹 桜井誠人

桜井誠人  研究開発部門 研究領域主幹 東京都出身。空気再生の研究について主に従事。幼少期は、折り紙や紙工作が大好きな少年。大学時代は探検部として秘境チベットのカイラス山を巡礼。誰もまだ足を踏み入れたことがない世界に、科学的にどう挑もうかと考えるのがやりがい。

イラスト:東海林巨樹 文:熊谷麻那

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