宇宙と冒険、既知の未知
対談
宇宙と冒険、既知の未知
石川直樹(写真家)
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松尾尚子(第一宇宙技術部門 衛星利用運用センター 技術領域主幹)
ヒマラヤを中心とした山岳だけでなく、多岐にわたる被写体と対峙する写真家・石川直樹さんと、衛星地球観測コンソーシアム(CONSEO)※ を牽引するJAXAの松尾尚子。二人の対話は、人工衛星のマクロの視点と身体性を重要視するミクロの思想が交差する。冒険と通信、リアルとバーチャルなど二項対立で世界を捉えるのではなく、それらが渾然となった明るい未来を模索する。
※衛星地球観測コンソーシアム(CONSEO)
産学官が結集し、Vision「地球まるごと、より良い未来に」のもと、日本の衛星地球観測分野の総合的な戦略提言のまとめや産学官の連携活動を推進し、日本の成長産業となることを目指すコンソーシアム。
人工衛星が写す、地球の変化。
松尾尚子(以下、松尾)
まずは JAXAの衛星が何をしているのか、どんな特徴があるのか、ご紹介します。陸域観測技術衛星2号「だいち2号」で撮影した画像をお見せしますね。
「だいち2号」は、常に地球全体を観測し続けているので、災害が起きる前と起きた後の画像を取得できるんです。それを重ね合わせて、その違いがあるところは災害が起きているんだろうと推察されます。地表の変化を細かく見ることができるのが、この衛星の特徴です。
石川直樹(以下、石川)
この画像の場所はどこですか?
松尾
2020年7月の九州での豪雨の画像ですね。
石川
これは被害の想定を青く塗ったものではなく、実際に洪水が起きた時の画像ということですか?
松尾
そうです。このような広域の衛星画像があると、分析して、どの地区にヘリコプターや排水ポンプ車を配置するべきかという判断ができます。「だいち2号」は、飛んでくる時間が決まっていて、必ず夜中の0時か昼の12時になります。だから、夜中に被災地を観測できる。すぐに地上に画像が届けられて、朝までに解析して、人々が動き出す前に災害対策のための解析情報が届けられる。そういう意味で、もっとも忙しい衛星と言われています。
石川
毎日、必ず2回、同じ場所が撮影されるんですか?
松尾
「だいち2号」は電波を出して、地球表面での跳ね返りを観測していますが、その電波を出せる幅がそれほど広くはないので、同じ場所を毎日必ず撮れるわけではないんです。災害が起きた時に運悪く2日後の観測になってしまう可能性もありますが、これまでの災害観測では、おおむね1日1回撮れていますね。
石川
自分は写真家なので、画像を見るとすぐにどんなふうに撮っているんだろうと考えてしまうんですが、超望遠レンズが付いているわけではないんですよね。電波で凹凸を測っていると。
松尾
そうです。Lバンドという波長約25cm、周波数でいうと約1.2GHzの長い電波なんですが、湖や海だと電波の反射が衛星側に戻ってこないので真っ黒になる。森林など、植生があると電波の一部が跳ね返ってくるので、明るく見えるんです。反射の強度の違いを使って識別しています。
石川
原理的にはポートレートを撮影する電波カメラも作れるんですか?つまりカメラを構えなくても形をスキャンしてくれるようなカメラとか。
松尾
Lバンドだとアンテナが大きすぎて人間では持てないカメラですね。例えば、気象レーダなどは電波で雲などスキャンしていることになりますが、人が見てわかりやすい画像ではないかもしれません。Lバンドだと地表面にある対象物のほうが形がわかりやすい。森林かそうでないかを識別したりするのが得意なんですね。同じタイプの昔の衛星(陸域観測技術衛星「だいち」)が撮ったブラジルの熱帯雨林の画像があります。
2007年と2017年を比較すると白い部分が増えているのがわかると思いますが、これは森林が伐採されているからです。白い部分はフィッシュボーンと呼ばれていますが、まず道ができて、さらに横道に入っていくように伐採をしている。だから伐採跡が魚の骨のように写ります。この画像と、行政側が保有する情報を比べて、申請していないのに伐採されている土地があれば、それは違法伐採となります。警察がこのデータを使って逮捕することもあります。以前は晴天時にしか撮影できなかったために曇りの日に違法伐採が行われていたそうですが、「だいち」ができてからは雨期であっても、あるいは夜でも撮れるので、抑止力となって違法伐採が減ったと言われています。
石川
こういった衛星データは、誰がアクセスできるんですか?
松尾
基本的にJAXAが運用している衛星データは、ほとんどが誰でも無料で使えます。
石川
一般の市民でも?
松尾
はい。ただ、データがマニアックで、専門家向けのフォーマットで提供されるので、今後はさらに扱いやすいデータにしようと取り組んでいます。
目に見えない黒潮の蛇行も、
暮らしと深くつながっている。
松尾
石川さんは、登山の時にはどんなデータをご覧になっているんですか?
石川
主に気象予報と地図だけ、ですね。
松尾
海外の気象予報って、地域によってはそれほど詳細ではなかったりしませんか? JAXAは他国の衛星データも組み合わせて、地球全体の降水量を毎時だしているサイト(GSMaP)を運営しています。地上のセンサーが揃っていないような島嶼国では、かなり使われています。
石川
これだけ正確な情報が蓄積されたら、気象予報の精度もどんどん上がりますよね。
松尾
JAXAの衛星データは、気象庁の気象予報データにも取り込まれていますね。近年は線状降水帯が増えていますが、予測に重要なのは海上の水蒸気量にあると言われています。ただ、それを測ろうとしても海上を広域に計測できるのは衛星センサなので、衛星データが重宝されています。そのほか、海の表面温度や海流もわかるんです。5年ほど前から起こっている黒潮の大蛇行が現在も続いていることがわかります。
石川
(画像を見ながら)黒潮って、今はこんなに曲がっているんですか。民俗学者の折口信夫は、三重県の大王崎に立って、黒潮の流れを見ながら“マレビト”に思いを馳せたんですが、当時から黒潮がこんなに蛇行してたら、こうした概念の発見もなかったかもしれない。黒潮の蛇行も、こうして撮影、視覚化されると違う印象を抱きますね。JAXAは宇宙のことばかり研究しているのかと思っていたら、宇宙から地球のことを見ているとは。考えれば当然なんですが、やっぱり見上げているばかりではなくて、地球を俯瞰して、僕たち自身を見ているんですね。
松尾
私はJAXAに入って最初の10年は国際宇宙ステーションに関する仕事をしていたんですが、次の10年は衛星地球観測に携わっています。そこで感じたのは、こんなにも宇宙から見ているものが、 地上の社会や生活に関連しているんだということ。例えば、衛星は農林水産業とも密接です。気候変動の影響を受けて農作物が育つ場所が変わっていて、その作物に最適な土地を調べているベンチャー企業もありますね。地上のセンサーデータと併せていつ農薬を撒くべきか、という指示を出したりもしているそうです。農業と宇宙なんて、すごく対極のような感じがするけれど、実は密接だと。ちなみに漁業とも密接ですね。先ほどお話ししたように海面水温がわかるので、魚が好む場所もわかるんです。
石川
黒潮の蛇行もあるし。
松尾
はい(笑)。 漁師さんは衛星からの海面水温のデータを使えば、どこにどんな魚がいるのかわかるらしいんです。目的地を決めて、最適な航路を通って、燃費良く魚を捕まえにいく。そのために遠洋航海する漁船には、衛星データから海面水温を見るシステムが積まれているそうです。
石川
漁業もそうなのか。僕は山の上では、衛星電話を本当によく使ってます。気象情報を得たり、SNSにアップしたり、緊急時に電話したり、すべて衛星電話ですからね。曇っているときには電波がつながりづらい。いつもテントの中でアンテナを微妙に動かしながら、一番受信できる角度を探してます(笑)。
松尾
極地ではまだ、衛星とのアナログな付き合いが必要なんですね(笑)。どれほど科学技術が発達しても、未知の世界はなくならない。
石川
僕は衛星と聞くと、すぐにGoogle Earthが頭に浮かんでしまうんですが、松尾さんはどう思っていますか?JAXAでも作れるのに!と思ったりしないんですか?
松尾
Google Earthが出てきた時、衛星データをああやって見せると、みんなに浸透するんだって驚きましたね。市民権を得たんだなと。だから、あれを超えるものを作りたいねと、よく研究者と話しています。Google Earth的な地球の全データが揃っていて、しかもその瞬間の降水やエアロゾルも一緒に載っていて、さらにモデルを合わせて将来が予測できる。私たちは〈地球デジタルツイン〉と呼んでいますが、そういったものができるとかなり面白いよねという話をしていますね。
石川
何年かしたらできてしまいそう。すごいことになりそうだな。
松尾
メタバースを作っている方たちもすごくリアルな地球を作ることに熱心になっているらしいんですね。
石川
幾つもの地球があるようなイメージで、そのいろんな地球を生きられるみたいな感覚ですかね?
松尾
そう、まさにそうなんです。
石川
完全に架空の空間だったら僕はあんまり興味なかったんですけど、地球がもう一つあると思うとアメリカにも暮らせるし、毎日のようにヒマラヤに登ることもできる(笑)。
松尾
例えば自動車の自動運転の試験で、いろんなコースを試してみたいというときに、メタバース上でやらせてほしいという話があるそうなんですね。シミュレーションに使えると。だから登山でも使えるかもしれません。
石川
今日はこっちのルートから行ってみよう、みたいなことか。もう旅行の意味がなくなってくるな......。
松尾
いえいえ、当たり前ですが、リアルに勝るものはないですよね。
石川
はい、身体感覚が違いますからね。現代は、衛星によって地球上のすべてがつまびらかになって、地理的な未知のゾーンがほぼなくなってしまった時代です。ですから、現代の冒険では、あえて情報を遮断して、未知の領域を新しく作り出そうとしている。GPSもコンパスも地図も持たずに山の中に入ったりする。自分の感覚と自然現象でナビゲーションすると、見慣れた裏山も未知の世界になるかもしれない、と。極点を目指したアムンゼンとスコット、あるいは植村直己さんがやっていたような冒険の時代は終焉を迎えて、自分に制限を課して、未知の領域を自ら作り出す、というところにまで行き着いてしまった。誰もがGPSを使える時代に、まったく逆の発想をしているわけですけど、それもこうして技術が進歩したからこそだと思うんです。
松尾
不思議な現象かもしれませんね。
石川
僕自身はあんまりそういうことに前のめりにはなりません。ただ、GPSや衛星通信を使えるだけ使って、それでもなお未知のものがあれば、そこに触れたいという気持ちはあるんです。コロナ禍において、僕は自分が生まれた渋谷区でネズミを撮っていたんですね。渋谷をネズミの視点で巡っていたんですが、多分、そんな極小の世界は500キロメートル離れた衛星には写らないから。
松尾
さすがにネズミは見えないですね。これだけ科学技術が進んで、情報もデジタル化されているけど、やっぱり気づいていない変化があるんです。例えば小笠原沖の海底火山から出た軽石は、衛星には写っていたはずなのに、到着するまで気づいていなかった。見えていたはずなのに、あると思っていないから、やっぱり気づいていない未知のものがある。つまり人間の意識が追いついていないんです。
石川
すべてがつまびらかになると思いきや、実は未知の世界はまだまだある、と。
松尾
気候変動の影響やスーパー台風、線状降水帯など、メカニズムもまだすべてはわかっていないんですね。
石川
そういった意味では、未知のものはずっとなくならないですね。僕がすごく尊敬している民俗学者の宮本常一さんが、旅の10か条のようなものを書いているんです。まず知らない場所に行ったら高いところに登って、俯瞰してその場所を見なさい。それから中に入ってディテールを見なさい、というようなことを言っている。僕はいつもそれを頭の片隅に置いています。山などに登って歩く場所を見渡してから、麓の村に入って行くということをずっとやってきました。俯瞰って、鳥瞰図ですよね。衛星の視点もそうだと思う。そこで思ったんですが、鯨瞰図という言葉があるんですね。クジラから見た地球。つまり海の底から見たら、島は山に見える。海の中から見たら、島は海の上に顔を出している山であると。海の底まで通る電波はあるんですか?
松尾
いえ、残念ながらそれは難しいです。海は電波や光を吸収してしまうから。ただ、視点の違いという意味では、これからの衛星は鉛直方向を観測しようとしています。人間は重力に常に引き寄せられていて、ロケットのような重力にあらがう行為にワクワクするのかもしれない。登山もきっとそうですよね。地表を2次元で撮ることに関しては長年ノウハウやデータを蓄積してきたので、雲・降水や陸の標高、森林の樹高が3次元で見た時にどうなっているのか。雨を降らせている大気が鉛直に動いている速度を測る衛星を、おそらく2020年代後半に打ち上げると思います。
石川
そこに時間の概念も加わると、もう4次元の話ですか。頭がこんがらがってしまうなあ(笑)。
地上での冒険の先に宇宙がある
石川
松尾さんは山登りされたことありますか?
松尾
あんまり経験ないですが、富士山には登ったことあります。
石川
一度だけ?
松尾
はい、一度だけですね。
石川
僕は富士山に20〜30回登ってるんですけど、「富士山に登るもんじゃなくて、見るものだ」という人がいます。なのに、僕は何度も登っていて・・・・。
松尾
いえいえ、すごいです(笑)。
石川
同じ山だから同じ経験しかできないだろうと思う人もいるかもしれない。でも登山は常に一回性の体験なので、同じ山を30回登っても、必ず30通りの、別の経験になります。それが登山の、身体感覚の面白いところ。いつでも新しい山に出会っているような感覚が僕にはあるんです。写真も同様に、まったく同じ写真は二度と撮れません。松尾さんは富士山に登られたとき、頂上まで行きました?
松尾
頂上に登ったつもりでいましたけど、もしかして頂上ではなかったのかな。
石川
そう、富士山の頂上は火口の縁の部分で、みんなこの縁のどこかに着いたら登頂だって言って帰っていくんです。でも富士山にも剣ヶ峰という最高点があって、そこに行かなければ本当の意味では登頂ではない。
松尾
剣ヶ峰を探した記憶はないですね。
石川
マナスルという世界で8番目に高い8163メートルの山があるんですが、ここ数十年は本当の頂上の10メートルぐらい手前で引き返しても登頂とみなされたんですね。なぜ一番高いところまで行かなかったかと言えば、その10メートルを進んでしまうと足元の雪が柔らかくて滑落の危険性が大きかったから。標高差でいうと1メートルぐらいなんですけどね。でも、本当の頂上にやっぱり立ってみたい、と思って今年10年ぶりにマナスルに登りました。が、その10メートルを進むのに結構な時間を要してしまった。風も吹き荒れていて、大変だったんです。そういう細かいことに、僕たちはこだわってやっているよという話です(笑)。
松尾
それはまさに、衛星ではわからない、行ってみなければわからない話ですよね。そうやって極地に行かれて、実際に気候変動の影響を感じることがありますか?
石川
写真にはすべて記録されていますからね。10年~20年前と同じ場所から撮影すると風景が劇的に変化していることがあります。陸地がなくなっていたり、氷河が後退していたり、山のルートが変わっていくこともしょっちゅうあります。松尾さんはデータの分析をされていて、地球のことを考えざるを得ないですよね。未来に対して悲観的ですか? それともそうは考えない?
松尾
ここ数カ月、2030〜2040年の未来社会像について、ずっと議論してきたんですが、明るい未来にしたいと思っています。悲観的になる必要はなくて、明るい未来にできる。そう信じて、科学技術を発展させなければいけないと思ってます。
石川
そうですよね。僕は何に対してもオープンに開いていたいと思っているタイプなので、メタバースについてもまったくネガティブな感情はないです。冒険がなくなってしまうとも思わない。ただ身体感覚は僕にとって、とても重要なものなので、身体感覚を伴わない登山がバーチャルな世界にあるとして、それが本当に楽しいかどうかはわからない。雪崩も落石も凍傷になる危険性もないわけですからね。それはいろんな意味でまた別の経験でしかないはずで、関心はあります。メタバースの世界も旅してみたいし、火星の最高峰オリンポス山の頂にも立ってみたい。
松尾
そうか、地上には冒険するところがないとおっしゃっていたから、やっぱりその先は宇宙なんですね。
石川
シンプルに考えるとそういうことになりますね。ヒマラヤの8000メートル峰の頂上近くでは、昼間でも空を見上げると色が濃く見えるんです。反射する塵や埃がないし、成層圏の端っこが見えている。だからもしも火星の2万8000メートルの山だったら、頭だけ成層圏に入っているのかも? すでにいろんなことを想像して、楽しくなっています(笑)。
Profile
写真家
石川直樹
東京都出身。ヒマラヤの8000m峰から日本の南北の島々まで、地球上を縦横垂直に旅しながら作品を発表し続けている。2010年『CORONA』(青土社)により土門拳賞、2020年『まれびと』(小学館)、『 EVEREST』(CCCメディアハウス)により日本写真協会賞作家賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』ほか多数。
第一宇宙技術部門 衛星利用運用センター 技術領域主幹
松尾尚子
福岡県出身。地球観測衛星の国際協力や将来衛星の立ち上げに従事。現在は、産学官による衛星戦略を検討する衛星地球観測コンソーシアム(CONSEO)の事務局をとりまとめる。シンガポールでヨガインストラクター資格を取得するも、身体は硬いまま。年1回ほどファスティングで心身スッキリすることが楽しみ。
写真:山本康平 構成・文:村岡俊也
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