月と建築。人が暮らす場所としての、
月の可能性に触れてみたい
わたしのJAXA訪問記
月と建築。人が暮らす場所としての、
月の可能性に触れてみたい
「月で暮らすこと」がもはやSFの世界ではなくなってきたとき、未来の建築家にはどんな役割が求められるだろう?
そこでは、どんな空間がつくられていくのだろう?
建築家・湯浅良介さんと考える、地球と月、現実とイマジネーション、合理性と人間性のあいだ。
子供の頃になりたかった職業は天文学者。好きな映画は『インターステラー』。そんな宇宙好きの建築家・湯浅良介さんがつくる空間はいつも、どこか哲学的な要素を孕んでいる。
あるときはパターンを繰り返すことで詩のリズムを表現し、あるときは合理性とはかけ離れた形をとることで見る者の想像力を喚起する。
「僕のなかでは宇宙が好きなことと空間を設計することは、『イマジネーションをする』という点でつながっていると思っています。例えば星座は、ただ星の点があるだけのところに人間がイメージを結びつけることで生まれるものですよね。そしてその光は、何万年も前の光だったりする。子どもの頃からそうしたものに憧れをもっていて、『時間と空間』の関係をどう建築として表すかに興味をもちながら設計の仕事をしているんです」
アポロ計画から半世紀以上の時を経たいま、人類が再び月を目指す米国主導の「アルテミス計画」が進められている。果たして「月に住むこと」がもはやSFのなかだけのアイデアではなくなったとき、建築家はどんな役割を果たせるだろう?そこではどんな『時間と空間』が実現されるのだろう?「宇宙と建築」の関係について考えるために、湯浅さんとともにJAXA相模原キャンパス・宇宙探査実験棟を訪ねた。
月の環境を解明せよ
月面に建築物をつくるためには、まずはその環境を知らなければいけない。「レゴリス」と呼ばれる砂に覆われた地面の強度は? 地球の1/6の重力下で求められる内装は?
そこに存在するマテリアルの種類は?
今回案内をしてくれたひとり、国際宇宙探査センターの須藤真琢は、月面探査ローバのエンジニアとして「これまで誰も行ったことがないところに行くためのロボット」をつくり、月の環境を調べるための研究を行っている。
「ローバ等によって月の地盤を調べてみるのは、基地の建設につながる第一歩だと考えています」と須藤はその目的を語る。「というのも、地盤の情報がわからないと建物を建てられないですから。そのための地盤調査を進めることをモチベーションに、研究を行っています」
案内をしてくれたもうひとりの金森洋史は、宇宙探査イノベーションハブの地産地消技術の専門家として、月や火星にあるマテリアルを使って様々な物資をつくるための研究を行っている。
「私はもともと材料屋のバックグラウンドですが、1990年代のはじめに人が月に住むような時代がやってくるかもしれないと聞いたときに、『月でコンクリートをつくりたい』と思ったのがこの世界に入ったきっかけでした。半分冗談のように聞こえるかもしれませんが、水素さえ持っていけば月の鉱物中にある酸素と組み合わせて水がつくれるし、月面にはセメントに近い成分もある。そうしたところから宇宙での建設について考え始め、いまでは宇宙資源全般の利用に関する研究を行っています」
建築物を建てる環境の地盤調査とそこで扱えるマテリアルについて知ることは、建築設計のプロセスでいえば「与件整理」(前提条件の確認)をしていることになる。ただ、湯浅さんの仕事と異なるのは、それが「自分が行けない場所」の与件整理であることだ。
「おふたりがまだ実際に行ったことがない、いまの自分がいる場所とは違う場所のことを想像しながら、日々その対象に向き合って仕事にしていることに、すごくロマンを感じてしまいました」と、ふたりの研究内容について聞いた湯浅さんは言う。「そこではきっと、どのくらい自分のなかのタガを外して、自由に発想できるかが問われるのでしょうね。『こういうふうにやればできるかもしれない』と、対象が月に移ってもアイデアを出せることが、能力としてはすごく重要になるんだろうなと思いました」
建築を考えることは人間を考えること
月面での与件整理が順調に進めば、「月でどんな建築物を建てるべきか?」も自ずと見えてくるはずだ。例えば、SF映画に登場する宇宙の建物は円筒形をしていることが多い。これは建物内を与圧しなければいけないからで、その意味で最も効率的なのは球形だが、運びやすさを考えるとシリンダー状が最も合理的なのだとふたりは説明する。
「とはいえ」と、金森は続ける。「JAXAのなかでも『それじゃあ、面白くないよね』と言う人がいるんです。『何で全部あんな形なんだ』って(笑)。湯浅さんのような建築家から見れば、なおさら面白くないと感じるんじゃないでしょうか」
えっ、JAXAの研究でも「面白いか、面白くないか」という判断軸で考えてもいいんですか?
「それはOKです。特に建築の分野になると、人が中心になりますので。例えば球体の中で人が暮らせるかといえば、できなくはないけどやっぱり住みにくいし、どれも球体だったら面白くない。だから、合理的に考えれば球体や円筒形になるところを、暮らしやすさをとって四角い家をつくる、という判断もありえるかもしれません。もちろん、『じゃあどうすれば実現できるのか?』というところは考えなければいけませんが」
建築の形状以外にも、地球の1/6の重力下での天井や段差の高さから、摩擦の小さい環境での移動のしやすい仕組みまで、月の建築物を設計するために考えなければいけないことはたくさんある。そして、いま現在JAXAに建築の専門家はほとんどいないため、月面基地の具体的なアイデアはこれからということも3人の会話からわかってきた。
「月の環境を考慮しながら、人が住みたい・住みやすいと思えるもの、かつ設計の観点からも大変ではないものをつくらなくてはいけないんです」と、これまでの話を総括して須藤は言うが、それは建築家が普段から行っていることにほかならないのだろう。物理的にも実現可能で、安全性の点でも問題ないこと。それでいて人々が美しく、魅力的で、快適だと思う空間を実現すること。建築家の仕事とは、人の過ごす空間をつくる過程のなかで「合理性」と「人間性」を両立することといえる。
そのバランスが求められることは、地上でも月面でも変わらないはずだ。湯浅さんは、宇宙における建築家の役割をこう語ってくれた。
「いまは月面の環境を知るための地固めが必要なフェーズかもしれませんが、その次の人間を考えるフェーズになったら、きっと建築家が必要になってくるのだろうという気がしました。というのも、人間が住むことを考えた途端に、それこそ『地球が見えるところに住みたい』とか『寝るときにあの星が見えるところに窓がほしい』と願うようになると思うからです。
建築学の起源からして人間を考えることがセットだから、建築をつくるときにはすべてが『人間の営みの上ではどうなんだ?』という問いに引き寄せられる。それは月に行っても同じなんだと思います。たとえ将来、人間が月に住もうが火星に住もうが、そこでは快適に暮らしたいし、見たいものを見たいし、会いたい人に会いたい。そうやって『人間』を主語にしたときに、建築家は『じゃあこんな空間はどうですか?』というアイデアを提案することができるのだろうと思います」
この湯浅さんの言葉をきっかけに、「自分だったらどんなふうに月で暮らしたいだろう?」と、月に住むことが一気に身近に感じられるようになってきた。そして、対話はそれぞれの「月でやりたいこと」に発展し、須藤は「趣味の山登りを月の山やクレーターでもやってみたい」と、金森は「温泉に入ったりゴルフをやったりしてみたい」と、JAXAのエンジニアとしてではなく、ひとりの人間としての夢を共有してくれた。湯浅さんは、「思いっきりジャンプをしたり走ったり、身体を使って1/6の重力を楽しみたい」と無邪気そうに笑う。
「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」と、小説家のジュール・ヴェルヌがかつて言ったように、人間のイマジネーションは常に不可能を可能にするための原動力になってきた。そう考えれば、いまは突拍子もないと思えるようなアイデアも、みんなで共有し、その実現可能性を考えていくことは、決して無意味なことではないのだろう。
「今日の話を聞いて、まだまだ論理的にも構造的にもできるかどうかわからなくても、月の建築物のビジョンを先行してつくってしまうことが重要なのかもしれないと思いました」と、湯浅さんは言う。「例えば、月面から地球の景色が眺められる空間をビジュアルとして提示することで、人間にはこういう可能性があるかもしれないと思えるし、ビジネスを超えて、よりピュアな気持ちで月に行ってみたい、あの場所に住んでみたいと思えるようになる。月も、みんなのイマジネーションの対象であってほしい──月が『みんなの月』であるために、みんなで月の遊び方を想像していけたらいいなと思いました」
Profile
(写真左)
建築家
湯浅良介
YUASA
Ryosuke
東京都出身。東京藝術大学大学院修了後、内藤廣建築設計事務所を経てOffice Yuasa設立。現在東京藝術大学教育研究助手、多摩美術大学非常勤講師。想像力と宇宙、空間と時間が常に関心事。『インターステラー』の次に好きな映画は『メッセージ』。
(写真中央)
国際宇宙探査センター
研究開発員
須藤真琢
SUTOH
Masataku
宮城県出身。月の水氷調査を目的とする月極域探査に向けたローバの研究開発に従事。人が月で暮らす月面基地をつくるために、建設機械の遠隔操作や自動運転など、建設の自動化・自律化にかかわる研究も担当。趣味は山登り。特に夏の北アルプスが好き。
(写真右)
宇宙探査イノベーションハブ参与
ハブ領域インテグレーター
金森洋史
KANAMORI
Hiroshi
東京都出身。大手建設会社において、月や火星の天然資源から酸素や建設資材を作り出す研究に従事。2016年から宇宙探査イノベーションハブの一員として現地資源利用(地産地消)技術全般の研究を推進。趣味は音楽全般で、地元のビッグバンドでテナーサックスを担当。
写真:中矢昌行 取材・文:宮本裕人
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