宇宙という特殊環境だからこそ、新たな好奇心が芽を出していく
宇宙という特殊環境だからこそ、
新たな好奇心が芽を出していく
為末 大 元プロ陸上選手
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金子 豊JAXA研究開発部門
革新的衛星技術実証グループ
グループ長
宇宙で新しい技術を実証したいと考える大学や研究機関、企業に、その機会を提供する革新的衛星技術実証プログラム。このプログラムを率いる金子豊と、多様な分野と関わりながら、「人間の可能性」について深く追求する為末大さん。この二人の対話は、挑戦というキーワードに導かれ、多角的な視座を持つものとなった。
宇宙で実証実験を行う、
"革新的衛星技術実証プログラム"の目的とは
金子
2019年に打ち上げた革新的衛星技術実証1号機に続き、まもなく打ち上げる予定の2号機では、公募された中から選定した14の実証テーマが搭載されます。具体的には超小型衛星とキューブサットが4機ずつ、部品などが6つで、それぞれが実証実験を行う予定です。例えば実証テーマの1つに、ソニーセミコンダクタソリューションズが開発した〈SPRESENSE™〉というボードコンピューターをJAXAの衛星に搭載して、宇宙空間でどれくらい放射線への耐性があるのかを調べたりするSPRという実験があります。宇宙には地球上と違って放射線が多くあり、機器に悪影響を与えますから。
為末
SPRは、今後の宇宙空間での使用を想定しているということですか?
金子
そうですね。今回の実証実験を足がかりに、いずれは人工衛星や月探査用のローバーへの搭載なども考えられています。月や火星に行くと、距離が離れる分だけ通信時間が遅れるんですね。特に火星では何十分というオーダーで遅れてしまう。するとリアルタイムで地上から指令を出すことができなくなります。そのためにコンピューターが自分で考えて動かなければいけない。自律機能と呼びますが、そのためには性能が高く、宇宙でも使えるコンピューターが必要となるわけです。
為末
なるほど。他にはどんな実験があるんですか?
金子
例えば、微小なスペースデブリの観測を行う実験があります。それは千葉工業大学が開発したASTERISCというキューブサット(11センチ×11センチ×34センチ)で行うのですが、宇宙空間に膜を張って、そこにどれくらいのデブリが当たるのかを観測しようという試みです。大きなデブリがどう地球を回っているのか、というモデル化はできつつあるんですが、微小なデブリのデータはないんです。ASTERISCはその小さいデブリを観測できます。
為末
宇宙空間に膜を張って、そこにぶつかったものの数や量をチェックするというイメージですか?
金子
そうですね。膜を広げて、そこにセンサが付いているので、どのくらいの大きさのものがどのくらいのスピードでぶつかったのかが観測できます。
為末
膜の大きさはどのくらいなんですか?
金子
大体30センチ×30センチくらいですね。
為末
もっと大きい膜を想像していましたが、そんなに小さい膜にデブリがぶつかるんですね。相当、デブリがいっぱいあるということなんだ。
金子
本プログラムでは他にもスタートアップ企業にも参加いただいています。例えば、星をマッピングすることによって人工衛星自身の姿勢を計測するセンサー(スタートラッカー)を開発している〈天の技〉という企業があるんです。大きくて高性能で高価なスタートラッカーは多くあるんですが、〈天の技〉が作ろうとしているのは、もっと小さくて低価格のもの。そういったスタートアップ企業が、宇宙での実績を積むことによって、商品化の後押しになるんです。
為末
人工衛星からの観測に関してもお聞きしたいんですが、宇宙から地球を観測するのは、地球にいて地球を観測するのとでは、まったく違うデータが得られるんですか?
金子
まず人工衛星の特徴として、グローバルに地球観測ができます。それはやはり地球の軌道上をずっと回っていなければできません。以前に私が開発に関わった人工衛星「いぶき」は、二酸化炭素の濃度を測るための人工衛星なんですが、地球全体を見て、この地域が増えている、ということがわかるんです。グローバルな事象に対して人工衛星は非常に有効だと思いますね。
為末
以前に立花隆さんの『宇宙からの帰還』という本を読みましたが、そこには宇宙飛行士に共通する「地球観の変化」について書かれていたと記憶してます。大陸に国境が引かれているわけでもないし、二酸化炭素の影響も国単位で分かれているわけではない。宇宙からの目線では、地球が一体のものだと直感的に感じられるんでしょうね。
日常と密に繋がっていく、
宇宙産業の未来について
金子
革新的衛星技術実証プログラムは、産業を後押しして日本としての競争力を高めることも目的の一つなんです。その結果、経済に貢献し、社会全体が恩恵を受けることになると考えています。
為末
30年前くらいからIT企業という言葉が使われるようになりましたが、当時はIT企業とそうではない企業とがあったからだと思うんです。でも今ではITを使っていない企業なんてないですよね。宇宙に関しても同じことが言えて、将来的には宇宙と繋がっていない企業はなくなるかもしれませんね。人工衛星で地球を客観的に観測することによって、さまざまな分野において飛躍的な成長がありそう。僕らの世界でもビデオが出てきて、身体的動作のデータが取れるようになって、競技力が飛躍的に上がったんです。今では映像を使っていない競技はないくらい。
金子
おっしゃる通りだと思いますね。カーナビやスマートフォンの位置情報で使われているGPSを考えたらわかりやすいですが、元々はアメリカの衛星技術が一般化されて、かなり身近になっています。今後も宇宙と地上はどんどん融合していくと思います。最近では、米SpaceX社が、数万機の小さな衛星を打ち上げて、地域や時間で切れ間のない通信リンクを作ろうとしています。そういった活動の恩恵を地球上の人間が受けるようになるでしょうね。
為末
今のお話を伺うと、とても壮大な分野になりますよね。とすると、国が主導して行うべき活動のようにも思えます。
金子
GPSでいえば、日本でも独自の測位衛星を打ち上げていて、例えばビルの谷間など通常では測れない部分に関しても、精度よく測れるようになっています。おっしゃる通り、まだまだ国が、JAXAが主導していかなければいけない部分も多いと思っています。
為末
我々の世界で皮肉だなと思うのは、選手が夢中で競技に打ち込んで行ったら、結果的に社会の役に立っていたというところです。社会の役に立とうと思ってスポーツを始める選手はそんなにいなくて、最初はヒーローになりたいとかもっと上手くなりたいという、個人的な夢や好奇心から出発する。そうしてある段階から社会を意識して貢献しようとするのですがそのタイミングで同時に義務感も覚えるようになるんですね、選手はある程度無邪気な方がいいのですが、義務感というのは無邪気と相性が悪くてその狭間で選手は思い悩みます。世の中なんか見ないで自分の好奇心に従いたいけど、一方で目標である最も大きな世界大会は世の中に見せる為に存在している。そんな矛盾の中で選手は少しずつ目的を見つけていきます。社会への還元は、スポーツが社会から必要とされ続けるためにはとても大事な側面で、今夏は特にアスリートたちもすごく実感したと思いますね。
金子
好奇心と社会性のバランスは、宇宙開発においてもとても重要ですね。
為末
スポーツのもっとも本質的な価値は、おそらく「坑道のカナリア」的なもの。生身の体で、「ここまでやるとどんなことになるか」をアスリートが確認する。それを社会に還元して、結果として社会がよりよくなっていくという循環ですね。それから、スポーツはとてもプリミティブなものなので、感情を揺さぶるパワーが強いんです。かつてヒトラーはそのパワーをプロパガンダに利用しましたから、スポーツそのものに善悪があるわけではない。ただし、良い方向に使えば、世界平和や外交上の何か、あるいは教育の役に立ったりもする。その点に選手が自覚的になれるかどうかが、とても大事だと思っています。
金子
宇宙開発の源には知的好奇心はもちろんありますが、JAXAの使命は、あくまで社会に、国民に貢献すること。革新的衛星技術実証プログラムによって、どれだけ社会に貢献できるのかを伝えるのが、私の仕事でもあるんです。成果が社会に還元され、国民に伝えられる。そうやって認知が広まることによってまた新たなプレイヤーが参加する、という仕組みになっていると思います。
為末
正の循環が回っていく感じ。
金子
そうですね。ただし、チャレンジングな技術は入れていきたいですね。
為末
面白いものを混ぜてみると。
金子
まさしく。今後の発展性を考えていますね。
挑戦する心をいかに育むか、
個性と文化の両面から考える
金子
挑戦するマインドを持った人材を発掘するためには、どうすればいいのかといつも考えています。
為末
陸上は個人競技なので本質的には他者と関係がありませんが、チームとしてトレーニングをしていると急に全体が伸びる場合があるんです。元々チームのエースだった選手が伸びても全体への影響は小さいですが、平均的だった選手が急成長するとチーム全体の空気がガラッと変わるんです。それは多分、「あいつがやれるなら」とみんなのマインドが変わるからだと思います。つまり、挑戦するマインドは、本人の資質と同時に、半分くらいの割合で空気と文化に宿るのではないかと。アメリカは国の構造として、挑戦を促すシステムができあがっているような気がするんです。
金子
確かに、アメリカはそうですね。
為末
挑戦することが特別でない空気を作るために必要な要素を考えると、まずは挑戦する姿勢への評価ですよね。もう一点は、評価軸の多様さだと思うんです。一人のパワフルなコーチが引っ張っていると、評価軸が集約されているので、選手が他の場所に行くと伸びなくなってしまう。評価軸が都度少しずつ変わりながら、でも個人がリスクをとってチャレンジすることが奨励されている時に、伸びていくと考えています。ただ、スポーツの場合は飛躍的な挑戦って、あまりないんです。挑戦というよりも直線上にある目標をどんどん高くしていくような感覚。それでも時に、クレイジーなアイデアを試したりする文化もあって、そこには組織の影響も大きい気はしています。
金子
なるほど。やはり環境は大きく影響しますよね。
為末
以前にサンディエゴに住んでいたことがあるんですが、子どもの夢に「宇宙」があって、それは非常に重要だなと思いました。
金子
私も同感です。日本人宇宙飛行士と一緒にあちこち講演に回ったことがあるんですが、話をすると子どもたちの目が輝くんですよ。それは大事なモチベーションだと思いましたね。革新的衛星技術実証プログラムは、人材育成も大きな目的になっています。今度打ち上げる2号機には、高専(高等専門学校)が開発したキューブサットもあるんですよ。
為末
裾野の広がりは大事ですよね。陸上競技は、走投跳を行う競技なので、あらゆる競技の土台になり得るんですね。タイムも残るので他人との競争ではなく過去の自分との競争に意識を向けると、誰もが成功体験を得られます。子どもでも大人でも、「大体このくらい」という範囲が人間にはあるんです。手を伸ばせば、この辺のものまでは取れて、そこから先は届かないという感覚。走ることについても、おおよその速度を体感値として持っているんですが、それがちょっと伸びるという体験がすごく重要だと思っています。私が子どものプログラムで一番大事にしているのは、今の自分と明日の自分の限界は違うかもしれない、どんどん広がってもっと遠くに行けるかもしれないという感覚です。その感覚がどの世界においても大事だと思っています。今の自分が想像しているよりももっと遠くに自分はいけるかもしれないと思えることが、あらゆる夢の原動力になると思っています。
金子
実際のロケット打ち上げを見るという体験も、あるいは感覚や価値観、可能性を広げる、という意味においては同じかもしれない。今はコロナ禍なので現地では難しいですが、メディアを通してリアルタイムで見るだけでも宇宙を身近なものに感じられるはずですから、ぜひ多くの方に打ち上げを見てほしいですね。
為末
おお、それは確かに意識レベルで影響があるでしょうね。きっと新しい感覚が開かれると思います。
宇宙でオリンピック!?
極限だからわかる可能性。
金子
為末さんの活動で衝撃的だったのは、2007年に開催した東京丸の内で「東京ストリート陸上」です。社会に陸上競技をアピールするために、競技トラックを飛び出して、丸の内で開催するという発想は、どこから浮かんできたんですか?
為末
きっかけはクイズ番組で賞金を獲得したことなんですけれども(笑)、根本にはグラウンドに観客が来ないという問題があったんです。だったら、人がいるところに持って行こうと。グラウンドの中で陸上が行なわれる、という固定概念が崩れることに興味があります。なので宇宙空間でやるスポーツ、重力を前提にしていないスポーツってどういう形になるんだろうと想像したりしますね。バスケットボールのリングもきっと違う形になるのかなとか(笑)。宇宙スポーツを開発してみたいですよね。
金子
それは面白い。いつか宇宙ステーションでオリンピックを行う日が来るかもしれない。
為末
それから宇宙飛行士の方たちの身体的な変化についても興味はありますね。私は身体を通じて人間を理解するというのをライフワークにしています。歩くという行為は、極めて無意識的なんです。どうやって歩き始めたか覚えている人はいないですよね。気がついたら歩き始めている。走るっていうのは、その無意識の世界に手を突っ込むようなスポーツなんです。人間の身体動作のどこまでが無意識で、どこからか意識的なことなのか。もっと言えば、意識的ってどういうことなのか。でもそれは競技者だけでなく、日常生活の中にもあることなので。重力のない閉鎖空間っていう極限的な状況で、人間はどうなるのか。ウサイン・ボルトが無重力状態で走っている映像を見ましたが、結構足が遅かった(笑)。やっぱりボルトといえど、地面に足がつかないとあんまり速くないんだと思って。そこで重力という当たり前の存在に気づくんですよね。極限状態に行くほど、いろんな枠組みや前提を外して、発見できることがあるだろうなと思うんです。
金子
あらゆるケースを想定して計画通りに行うというのがJAXAの宇宙開発の大前提ですが、実際にやってみたら全然違うかもしれないプロジェクトもありますね。もちろん予想は立てますが、実際にやってみないとわからない。宇宙には、そういう可能性がまだまだあるはずで、このプログラムは今後7号機まで続くので、これからもっと新しい宇宙利用のミッションを発掘して実証していきたいなと思っています。
Profile
元陸上選手
為末大 TAMESUE Dai
広島県出身。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400mハードルの日本記録保持者(2021年9月現在)。現在は執筆活動、会社経営を行う。Deportare Partners代表。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。Youtube為末大学(Tamesue Academy)を運営。国連ユニタール親善大使。最近は、釣りを研究中。
研究開発部門
革新的衛星技術実証グループ
グループ長
金子豊 KANEKO Yutaka
長野県出身。革新的衛星技術実証2号機、3号機のプロジェクトマネージャ。月惑星探査の研究、温室効果ガス観測技術衛星(GOSAT)の開発、超低高度衛星技術試験機(SLATS)の開発などを経て、現在に至る。趣味は旅行(特に温泉好き)。
取材・文:村岡俊也
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