遥か彼方の宇宙と、私たちの日常をつなぐ
遥か彼方の宇宙と、私たちの日常をつなぐ
建築家永山祐子NAGAYAMA YUKO
×
「はやぶさ2」プロジェクトマネージャ津田雄一TSUDA YUICHI
日本時間の2020年12月6日、午前2時28分頃。小惑星リュウグウのかけらの入った再突入カプセルが、地球に帰還。小惑星探査機「はやぶさ2」、6年の旅路の最重要ミッションは、こうして無事に完了した。さて、私たち人類は、そのかけらを通して太陽系の成り立ちや生命の起源に迫ることはできるのか?新しい科学がこれからスタートする。そんな「はやぶさ2」の偉業を「希望に感じた」と話すのは、建築家の永山祐子さんだ。建築と宇宙探査。両者の視座が交わるところとは?永山さんと「はやぶさ2」プロジェクトマネージャの津田雄一の対談を行った。
分子から宇宙まで。自分はどのスケールの
世界に携わりたいか?
永山
生物物理学の研究者である父の背中を見て育ったので、漠然と自分の将来も父と同じ方向に進むだろうなと、大学も生物学を専攻する予定で勉強をしていました。父は顕微鏡の開発にも携わっていて、当時はバイオテクノロジーも盛んだった時代です。父を通して身近に感じていた、ミクロな世界に興味があったんです。
津田
そこから今の建築の道へと進むきっかけとはなんでしょう?
永山
高校3年生のときに、たまたま進路の話を友人としていたところ、その友人が 「建築家になりたい」と。その話を聞いた瞬間に、私も建築家になりたいと思って、方向転換をしました。もともと祖父が建築家を志していて、祖父母の家には建築にまつわる本や道具がたくさんありました。また、私が小さい頃に自宅の建て直しをしたのですが、家族でモデルハウスを見に行っては、新しい家や部屋に想像を膨らませてはワクワクして。そうした、建築にまつわる豊かな記憶が自分のなかに深く刻まれていたので、生物学というミクロな世界から社会を包み込む建築の世界に興味を持ち始めることは、自分のなかでは自然なことだったように思います。あと、幼い頃に好きだった本のひとつに『パワーズ・オブ・テン』という本があるんですが、この本の影響もあって、自分はどのスケールの世界に携わりたいのか?を考えたときに、建築のような"ヒューマンスケール"だなと思ったんですよね。
津田
『パワーズ・オブ・テン』、おもしろいですよね。私も好きです。宇宙の果てから、素粒子まで。マクロからミクロへと世界を10倍刻みで広さを変えながら見ていくことが描かれているこの本は、自分の子供にも見せていました。
永山
いいですよね。私の場合、小学校の低学年の頃に父が本を見せてくれたんですが、初めて見たその日は、眠れなくなってしまって。というのも宇宙の果てまでのぼり、また地球へ戻り、人間の細胞の中まで入っていく様子を見ているうちに、急にすべてのスケールが1本につながっているように感じて、ひょっとすると自分の体内にも宇宙があるんじゃないか。私の中に小さな人間が住んでいて、生活しているんじゃないか?と、本能的に怖くなったことを今でも憶えています(笑)。スケールと言えば、津田さんは最もマクロな"宇宙"のスケールを選択されたんですね。
津田
はい、私は宇宙を選びました。なかでも人間の手が届かないような場所に向かう宇宙機を作りたいと思ったんです。小惑星探査機「はやぶさ2」は、まさにそのひとつですね。おもしろいのは、「はやぶさ2」が最終的につなぐのは、ミクロな世界だということ。リュウグウという小惑星の星のかけらを採取して、地球に持ち帰った「はやぶさ2」ですが、その星のかけらは、惑星科学者をはじめとする様々な専門家の手に渡って研究されるわけです。それは人の目には見えない世界を見るための電子顕微鏡を用いるほどの本当にミクロな世界です。最もマクロな宇宙と、最もミクロな目には見えない世界をつなぐ。「はやぶさ2」のサンプルリターンとは、このマクロとミクロの両極を網羅する振り幅の広いミッションであるところがまた、とても魅力的だなと思っています。
永山
そしてそのリュウグウのかけらを通して、これから太陽系の誕生と生命誕生の秘密に迫っていくわけですよね。
津田
リュグウのかけらは、今年の6月頃から各地の研究施設に持ち込まれ、初期分析がはじまります。何が見えてくるのか本当に楽しみですね。私は約6年間、「はやぶさ2」のプロジェクトマネージャを務めてきましたが、工学出身の技術者ということもあって実はシンプルに、物作りをずっとしてきたんだなという想いもあるんです。人間が、生身のままでは到達できない景色。人間よりもはるかに大きなスケールに対して、どうやって肉薄していくのか。その手段として「はやぶさ2」という探査機をチームで作って挑戦していたんだな、と。そしてその物作りを通じて、人の役に立ちたい、人類の知識を増やしていきたかったわけですが、永山さんの領域である建築もまた、同じ側面があるように感じました。例えば高層ビルなども、生身の人間では体感できないスケールに対してどのように肉薄していくのか。そのための物作りであるとも言えますよね。探査機と建築。まったく違うものですが、根底にある感覚というものは、実は近しい部分もあるのではないかと。そう思ったんです。
永山
おっしゃる通り建築とは、人間の手の届かないスケールに手を伸ばすための手段であり、道具となるものです。また、もう少し柔らかな話で言うと、建築とは人の感覚を刺激したり、経験を生み出す装置のような側面もあるんです。
津田
建築はハードですが、今のお話を聞いていると中身の部分、ソフトの部分にも絡んでいきそうですね。
永山
はい。ハードの部分にデザインの力で新しい価値を生み出すことはとても大切ですが、どんなにお金をかけて箱を作っても、使われなかったら意味がありません。人の意識を何に向かわせるのか。またそこでどんな体験や経験を育むことができて、地域にどんな可能性を生み出すのか。ソフトを考えることで、ハードで抱えていた課題を解決することもあるんです。建築物そのものだけではなく、建築物を通して何がどのように派生していくか。その先の未来までをシミュレーションすることで、あるべき建築の姿が自ずと見えてきます。
"考え続けたい"というモチベーションが
なければ、そのミッションは続かない
永山
建築の場合はご依頼いただいてそれに応えるという、割とシンプルな形でお仕事が発生しますが、津田さんが携わられている宇宙探査ミッションは、私にとっては本当に未知のお仕事なので、どんなふうに話が始まって、プロジェクト化していくのか。想像つきません(笑)。「はやぶさ2」の場合、行き先はリュウグウでしたけど、ご自身で決められたんですか?
津田
想像のなかではひとりで決めて楽しんでいることはよくありますが(笑)、実際は私のような工学出身の技術者と、理学出身の科学者たちが議論をしながら最終的に決めていきます。「こういう特徴を持った天体にいきたいです」と科学者が提案すれば、技術者は「これだけの技術があるので、こういう探査ができます」と提案する。といったことを頻繁に発言し合うコミュニティがあるんです。そのコミュニティ自体もまるでアメーバのように結びついたり、離れたりを繰り返しながら拡大していって、次第にミッションのイメージが出来上がっていきます。最終的には「この天体であれば技術上、到着できるし、科学的にも意義がありますね」と、論理的に判断をしていますね。
永山
なるほど、少しイメージができました(笑)。
津田
"論理的に"と言いましたが、実はその裏では「その宇宙探査に対して強く共感できているか?」ということも大切なことなんです。探査機を作るにしても、様々な制約条件が出てきます。そのなかでどうしたらその条件をクリアして、目的地へとたどり着けるか。"考え続けたい"というモチベーションがないと、あっという間にそのミッションはしぼんでいってしまいます。最初は当然、誰も行ったことがないわけですから、目的地となる天体が本当に魅力的かどうか、わからないわけですが、少しずつわかってきたことから埋めていって、「これは、調べれば調べるほど楽しいぞ」ってなるのがミッションとしてはすごく理想的なんです。
永山
まるで探検するときのような気持ちですね。
津田
そうですね、やっぱり「この天体は楽しい、絶対行きたい」と心から思えるかどうか。そのモチベーションは重要です。そしてこのような宇宙探査ミッションは国家予算を使うことになるので、そんなに簡単にチャンスが訪れるものではありませんし、国民の皆さんにも共感していただけるようなミッションでなくてはいけません。といういろんな条件があるので、日の目を見ないまま終わってしまったミッションや、まだ小さなアイデアの卵のようなものもたくさんあります。
永山
私自身もそれはもう、日の目を見ないまま終わってしまったプロジェクトがたくさんあるので、すごく共感します。
バーベキューしながら、海水浴しながら、
スペースバルーンの出発を見送る夢
永山
プロジェクトといえば、"スペースバルーン"というガス気球を利用して、成層圏と地球を行き来する宇宙開発方式がありますが、昨年、そのスペースバルーンを打ち上げるための宇宙ステーションのイメージをデザインしたんです。
津田
おもしろそうですね。
永山
茨城に本社のあるスペース・バルーン社からのご依頼だったんですが、高高度気球による成層圏飛行実験を成功させているんですね。それも追い風となって地元の宇宙ビジネス支援コンテストに参加するということで、私は大洗サンビーチに新宇宙港を建設するという社の構想である「スペースポートIBARAKI」のイメージデザインを担当させていただいたんです。これが実際のイメージですが、大切にしたことは、宇宙に対する意識をもう少し日常となだらかにつないでいくこと。そういう思いのもと、デザインしました。
津田
バーベキューとかしながら、打ち上げを鑑賞できますね。
永山
はい、バーベキューをする人もいれば、海水浴をする人もいる。それぞれが自由なシチュエーションで、宇宙港の中央に佇む、20人乗りの大型旅客キャビンを吊るす大気球の出発を見送ります。
津田
永山さんのデザインイメージを見ながら、「はやぶさ2」の管制室のことを思いました。管制室は、私の職場であるJAXA相模原キャンパスにありますが、「はやぶさ2」がリュウグウに到着する前にリノベーションを行ったんです(写真5)。その前は本当に殺風景ないわゆるコンピュータルームのような感じだったんですけど、今は使いやすく、そこそこかっこいい管制室になりまして、「はやぶさ2」のニュースと合わせて管制室もときどき記事などで公開されています。この管制室をですね、もしも永山さんがデザインされたら、どんな空間になっていたのだろうと思いまして。
永山
リノベーションのアイデア出しなどは、津田さんも参加されたんですか?
津田
はい、私が伝えたイメージはだいぶ却下されましたが(笑)。ひとつこだわったのはNASAやヨーロッパの宇宙機関の管制室というのは、ずらりとコンピュータの画面が同じ方向に向いていて、真ん中にはメインスクリーンがあるという戦艦の艦橋(指令所)のような感じなので、私たち、JAXAの管制室はもっと日本らしく、オリジナリティがあっていいのではないかと。「日本の宇宙管制室とはこうなんだ」というイメージにしてくださいと言ったんです。その上で例えば障子を入れましょう、こたつを置きましょうとか、大胆なアイデアも提案しました。最終的には現実的ではないということで却下されましたが、でももっともっと自由な発想で取り組むべきだと思ったんですね。そういった経験も背景にありつつ、永山さんデザインの管制室で探査機をコントロールしてみたかったな、と思ったんです。
永山
すごく興味あります。建築とは、それまでつながっていなかった"もの"や"こと"をつなぐことでもあるので、私がもし管制室をデザインさせていただくとしたら、やっぱり毎日オープンにはできないとしても、公開日のようなものを設けて、何億キロ彼方の宇宙と人の日常をつなげられるような、そんな管制室を目指したいですね。
津田
いいですね。私たちの目には見えない、何億キロ彼方の宇宙の情報が最初に入ってくるのが管制室です。その臨場感が伝わるような管制室になりそうです。
永山
そんな管制室に入った子どもたちが、宇宙に憧れて、将来JAXAに就職するということもあるかもしれませんね。
津田
まさにそれです。功を奏したと思えるのは10年後とか、20年後かもしれない。でもそれがデザインによって叶うというのはすばらしいですね。
永山
そういう意味では「はやぶさ2」のミッションを通して宇宙に憧れた子どもたちはきっと多いはずです。昨年は世の中が本当に大変ですごく暗いニュースが多いなか、「はやぶさ2」のサンプルリターンの成功は、私自身、とても勇気付けられ、希望を持てる一番のニュースでした。
津田
宇宙探査ミッションというものは、トラブルとの戦いなんです。「はやぶさ2」も同じようにいろんなトラブルがありましたけれど、そのすべてを乗り越えて、結果的に完璧なミッションができた。それを今後どのように生かしていくのかということが大切だと思っています。また、「はやぶさ2」のミッションは一度コンプリートしましたが、探査機はカプセルを地球に届けた後も飛行を続けていて、2031年、今から10年後に新たな天体に到着するのを目指しています。もう十分に頑張ってくれた探査機なので、どこまで寿命が持つのかはわからないですけど、生きている限りは見守っていきたいなと思っています。
永山
探査機というと、ほかにはどんなミッションがあるのでしょう?
津田
例えば水星磁気圏探査機「みお」が水星に向かっていますし、火星衛星探査計画(MMX)も進行中です。地球の衛星は月ですが、火星にもまたフォボスとダイモスと呼ばれる2つの衛星があるんです。MMXはフォボスの観測と、サンプル採取を行う予定で、観測と採取を終えた探査機は、サンプルを携えて地球に帰還するというシナリオですね。さらには木星系の起源を明らかにすることを目的とした、JUICEというミッションも2022年打ち上げ予定です。どれも時間がかかるミッションなので、とても先が長い話なのですが。
永山
どれもとても楽しみですね。そもそもミッションとは、新しい問いを立てるということでもありますよね。その問いを自分たちで考えていく。そういうところがすごく魅力的であり、またものすごく難しいところだと思います。
津田
まさにおっしゃる通りです。
永山
先ほど建築は、ご依頼をいただいてそれに応える形で仕事が進むとお話ししました。言い換えるとそれは出題されたものに、私は答える立場にあるということなのですが、今建築に限らず世界で起きている問題のほとんどは、出題自体が悪かったのではないか?そう思うことがあります。問題が間違っていたら、解いても意味がなくなってしまいます。そうならないよう、建築家は与えられた問いに答えを出すだけでなく、出題側にも回った上で、いい答えを出せる状況を自らつくっていかなければいけません。ただ、いい問題を作るにはたくさんの視点が必要になるんですよね。そういった意味においても、津田さんが様々な科学者や技術者の方たちとどんな問いを考えているのがとても気になります。
津田
最初は本当に実るかどうかわからないディスカッションをいっぱいしています。それこそもう何年も。ディスカッションの度に素晴らしいアウトプットが必ずある。なんていうこともなく、大概は何も生まれないんです。それでも何度も繰り返していくうちに「時々こうじゃない?」という方向性がふいに見つかる。だから宝くじを当てるような感覚です(笑)
永山
その感覚、わかるような気がします。でもその、「どこだろう?ここかな?」と手探りの時間は苦しいですけど、おもしろいですよね。そこからアイデアが発芽するまでの瞬間がたまりません。そんな瞬間にもし機会があれば立ち会ってみたいです。ディスカッションの場は、やっぱり部外者禁止でしょうか。
津田
わかりやすくオープンにはしていませんが、禁止とかではないですよ。私も永山さんがアウトプットするまでのプロセスが気になります。一度、一緒にディスカッションする場が持てたらいいですね。
永山
ぜひよろしくお願いします。
津田
はい、ぜひやりましましょう。
Profile
建築家
永山祐子
NAGAYAMA Yuko
東京都生まれ。青木淳建築計画事務所勤務を経て、2002年永山祐子建築設計設立。現在、ドバイ国際博覧会日本館(2021)、新宿歌舞伎町の高層ビル(2022)、東京駅前常盤橋プロジェクト「TOKYO TORCH」などの計画が進行中。プライベートでは小学校低学年の子どもがふたり、仕事と育児に追われている。休日は子どもと過ごす大切な時間。
画像提供:永山祐子建築設計
宇宙科学研究所
「はやぶさ2」プロジェクトマネージャ
津田雄一
TSUDA Yuichi
広島県生まれ。小惑星探査機「はやぶさ」の運用に関わるとともに、ソーラー電力セイル実証機「IKAROS」のサブプロジェクトマネージャを務め、世界初の宇宙太陽帆船技術実現に貢献。2010年より小惑星探査機「はやぶさ2」のプロジェクトエンジニアとして開発を主導し、2015年4月同プロジェクトマネージャに就任。趣味はDIYでの家具づくり、子供と一緒に恐竜について調べること。
取材・文:水島七恵
著作権表記のない画像は全て©JAXAです。