初の民間有人宇宙船、Crew-1の打ち上げを支えた仕事

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"宇宙新時代"のはじまり

初の民間有人宇宙船、Crew-1の打ち上げを支えた仕事

2020年11月16日(日本時間)、米SpaceX社が開発した新型有人宇宙船クルードラゴンの運用初号機(Crew-1)が、野口聡一宇宙飛行士ら4人を乗せて宇宙へ飛び立った。この一大ミッションを支えるチームとして結成された搭乗支援隊で、企画係として重要な役割を担った有人宇宙技術部門 宇宙飛行士運用グループに、打ち上げ成功までの舞台裏を聞いた。

民間ならではのスピード感に対応

クルードラゴンは、米SpaceX社が開発した有人宇宙船。2020年5月の有人試験飛行を経て、今回その運用初号機であるCrew-1が打ち上げに挑んだ。
これまで国の主導で行われた有人宇宙船の開発・運用を民間企業が主体となって進め、その運用を開始させたのは、世界で初めてのこと。地球低軌道での商業活動を広げ、誰もが宇宙を利用できる未来へと大きく歩を進める、エポックメイキングなできごとだ。

打ち上げ当日、滞在施設を出発する野口宇宙飛行士(右)たち。宇宙服のデザインもSpaceX社が手がけた。
©JAXA/NASA
打ち上げ当日、滞在施設を出発する野口宇宙飛行士(右)たち。宇宙服のデザインもSpaceX社が手がけた。

打ち上げに携わったJAXAの関係者は約80名。うち約20名がアメリカ(フロリダ州とテキサス州)で、NASAと連携をとりながら任務にあたった。そのなかで、フロリダ州のNASAケネディ宇宙センターで「企画係」として野口宇宙飛行士の搭乗支援を行ったのが、宇宙飛行士運用グループの西川岳克と冨永和江だ。

搭乗支援隊は、実施責任者の佐々木理事をトップに、打ち上げに関する情報連絡や危機管理をはじめ、クルーの安全確認や医学管理、広報や家族へのサポートなど、作業内容によって担当する係が分かれている。そのなかで4名からなる企画係の業務は、非常に多岐にわたる。例えば、日米間の連絡体制や、打ち上げでトラブルが発生した場合の対応手順の検討、日本からアメリカへの渡航手配なども担当する。打ち上げに向けて、各係の準備状況を確認する会議も取り仕切り、万全の体制を整えた。渡米してからも、各係との連絡・調整、進捗状況の管理、NASAとの調整、野口宇宙飛行士の搭乗にかかわる情報の収集などさまざま。多方面に目を向けながら、同時にいくつもの業務をこなさなければならない仕事だ。

冨永は第1陣として11月5日に渡米した。過去8回、スペースシャトルの打ち上げに企画係として携わったが、当時とは違ってケネディ宇宙センター(NASA)のなかにJAXAの常設事務所はない。そのため、会議室のひとつを情報収集の拠点とし、まずは通信や連絡系統の環境を整えるところから始めたという。

NASAケネディ宇宙センターで情報連絡の拠点とした会議室。ソーシャルディスタンスを保つため、椅子にはひとつ置きに使用禁止のテープが貼られ、空席が設けられている。
NASAケネディ宇宙センターで情報連絡の拠点とした会議室。ソーシャルディスタンスを保つため、椅子にはひとつ置きに使用禁止のテープが貼られ、空席が設けられている。

その4日後に西川も合流し、現地での業務をスタートした。
SpaceX社が主導する打ち上げでは、これまでとの違いを感じたと西川は話す。

「5月の有人試験機で、打ち上げから国際宇宙センター(ISS)へのドッキングまで一連の流れを確認したつもりでしたが、打ち上げ直前までスケジュールが確定しないことが多く、現地に入ってからもスケジュール変更が発生し、柔軟な対応が求められました」

その理由のひとつは「SpaceX社の、民間ならではのスピード感」だと冨永。「そこが、着実さを優先する国主導のプロジェクトとは大きく違うところだと思います。SpaceX社は打ち上げ直前まで対応に追われていたと思いますが、それでも目標のために突き進んで、これだけのことを実現してしまうのは率直にすごいと感じました」と続けた。

打ち上がっていくロケットに、心の中で声援を

慌ただしく準備を進めるなか、ついに迎えた打ち上げ当日。
米国東部時間11月15日午後7時27分(日本時間11月16日午前9時27分)、カウントがゼロになると、野口宇宙飛行士を乗せたCrew-1は、ケネディ宇宙センターの39A射点からファルコン9ロケットとともに空高く昇っていった。

Crew-1の打ち上げの様子。
©JAXA/NASA
Crew-1の打ち上げの様子。

西川はそのときの様子をこう語る。

「打ち上げ時は拠点の会議室にいました。夜だったので、遠くにロケットの光が上がっていくのが窓からよく見えました。空高く上昇する光を見ながら『おおっ』という気持ちはありましたが、軌道投入までは安心できないので、静かに見守り、安全に飛んでくれと祈っていましたね」

感動を覚えながらも、それを表には出さなかったのは冨永も同じだ。

「打ち上がる瞬間は振り返ってちらっと見たりもしたんですけど、空高く上がったあとはもう、パソコンで淡々と作業を。緊急事態が起こったらすぐに危機管理モードに切り替えられる体制に入っていたので、心の中では『行けー!』と叫びながら、筑波宇宙センターやヒューストンのジョンソン宇宙センターにいるメンバーがTeams(オンラインコミュニケーションツール)に書き込むモニタリング情報の内容を追っていました。口にはしないけど、みんなそれぞれ、喜んだりドキドキしたり、いろんな思いを持っていたと思います」

Crew-1は、打ち上げから約12分後にロケットから切り離されて所定の軌道へ投入された。世界が見守るなか、打ち上げは無事に成功。ふたりもやっと安堵した。

打ち上げの翌日、ISSにドッキングしたCrew-1。
©JAXA/NASA
打ち上げの翌日、ISSにドッキングしたCrew-1。

対面できないからこそ重視したコミュニケーション

打ち上げに際して大きな影響をおよぼしたのが、新型コロナウイルスの流行だ。リモートワークを余儀なくされ、渡米するスタッフの人数は予定よりも大幅に絞った。

「夏にアメリカ国内での感染者が増え、アメリカへ行かずに日本から支援活動ができないかという検討も行いました。しかしその後、JAXAの医師らと相談し、メンバーの人数を最小限に絞った体制で、健康管理と感染対策をしっかり行ったうえで渡米することになりました」と西川。

ケネディ宇宙センターもテレワークが推奨されていたため、「施設全体が閑散としていました。アメリカは車社会なので、施設の前にすごく広い駐車場があるんです。アメリカの方は朝6時くらいには出勤するので、早い時間に駐車場の空きが少なくなるのですが、今回はいつ行っても建物のすぐ前に停められました。それだけ人がいない状態でした」と冨永は話す。

打ち上げの2日前に撮影した、会議室からの風景。遠くにCrew-1の射点が見える(矢印部分)。左の白い建物はサターンVロケットやスペースシャトルの組立棟。現在はNASAの新しいロケット(SLS)を組み立てている。
打ち上げの2日前に撮影した、会議室からの風景。遠くにCrew-1の射点が見える(矢印部分)。左の白い建物はサターンVロケットやスペースシャトルの組立棟。現在はNASAの新しいロケット(SLS)を組み立てている。

こうした状況のなかでの支援活動は、三密を避けるために同じ場所で作業できない状況もあり、アメリカと日本にいる関係者間での連携を円滑に行う必要があった。日本実験棟「きぼう」のフライトディレクタを経験した西川は、直接会って話せないからこそ心がけていたことがあるという。

「対面できない状況は、ある意味、宇宙飛行士と地上の運用管制官の関係に似ているような気がしていました。だからこそ、コミュニケーションを密にとるように心がけていました。相手の状況を正しく理解し、思い込みがないように丁寧に確認したり、相手が抱えている課題や懸念に対しては、自分が把握している状況を積極的に伝え、解決方法を一緒に考え、提案したり。困難な状況ではありましたが、みんながCrew-1の打ち上げ成功という同じ目標に向かっていたので、乗り越えることができたのだと思います」

Crew-1は、野口宇宙飛行士の3度目の宇宙飛行でもある。2005年、スペースシャトルでの初飛行も企画係としてサポートを行った冨永は「昔にくらべて、野口宇宙飛行士は余裕があるように見えました。会見での表情や話す内容に貫禄を感じました」と語る。

ISSに入ったあと、ウェルカムセレモニーでスピーチする野口宇宙飛行士。
©JAXA/NASA
ISSに入ったあと、ウェルカムセレモニーでスピーチする野口宇宙飛行士。

西川は「日本人宇宙飛行士の役割はさらに重要性を増しています。スペースシャトルとソユーズ宇宙船でISSへ行き、船外活動や長期滞在も行った、あらゆる面で経験豊富な野口飛行士が世界の宇宙飛行士からアドバイスを求められる時代。私たちも、今回の搭乗支援で経験した実績を形に残し、後輩たちにつないでいきたいですね」と語った。

西川と冨永は今後、日本から野口宇宙飛行士のISSでの活動を支援。さらに、2021年の星出彰彦宇宙飛行士が搭乗するCrew-2の打ち上げ、野口宇宙飛行士が搭乗するCrew-1の帰還へと、任務は続く。積み重ねられた経験と知識が、これからの宇宙開発を支えていく。

Profile

西川岳克

有人宇宙技術部門 宇宙飛行士運用技術ユニット
技術領域主幹
西川岳克 NISHIKAWA Takayoshi

愛媛県生まれ、大阪府出身。学生時代、宇宙開発事業団(NASDA)主催のサマースクールへ参加したことがきっかけとなり、1997年にNASDA(現JAXA)に入社。これまでISS搭乗宇宙飛行士候補者の基礎訓練、ISS計画の推進に関する国際調整、「きぼう」日本実験棟の運用管制(JAXAフライトディレクタ)などを経て現職。趣味は海外TVドラマ(SF)鑑賞と海釣り。

冨永和江

有人宇宙技術部門 宇宙飛行士運用技術ユニット
宇宙飛行士運用グループ 主任研究開発員
冨永和江 TOMINAGA Kazue

鹿児島県出身。高校2年のある夏の日の夕方、種子島から打ち上げられたロケットの飛翔する様子を自宅(南九州市)から見たときに、宇宙の仕事に就くことを目指す。宇宙技術開発株式会社を経て、鹿児島と筑波を往復しながら講演活動やNASAへ子供たちを連れていくツアーの企画を行う。2019年4月から非常勤招聘職員として再びJAXAへ。夢は、迫力のあるSLSロケットの打上げをケネディ宇宙センターから生で見ること。日本人宇宙飛行士が乗っていたら最高です。

取材・文:平林理奈

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