打ち上げ記念のスペースカバー

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SPACE COVER

打ち上げ記念のスペースカバー

ロケットの打ち上げ成功。その喜びとともに旧NASDA/ISAS時代から発行されてきたのがJAXAのスペースカバーだ。打ち上げが成功した日の午前中の消印がついたその封筒は、江戸時代に花開いた日本の木版画の文化・技術が込められたスペシャルな記念封筒として、宇宙愛好家たちの心をときめかせた。

浮世絵の伝統技術を使って、最先端の宇宙科学を表現する1980年にはじまったJAXA(当時はNASDA/ISAS)のスペースカバーの制作を担ってきたのは、東京・銀座にある渡邊木版美術画舗。浮世絵から現代版画に至るまで幅広く日本の木版画を取り扱うお店だが、スペースカバーはその浮世絵版画の技術を使って作られている。
「250年続いてきた浮世絵の伝統技術を使って、最先端の宇宙科学を表現する。スペースカバーとはまさにハイブリットなものづくりであったなあと、今振り返ってみるとしみじみ思います」。
そう語るのは、渡邊木版美術画舗の店主、渡邊章一郎さん。章一郎さんの父親の先代から作り始めたというこのスペースカバーは、2012年HTV3号機の打ち上げ記念まで制作。通称"渡邊版"と呼ばれている特別な封筒を仕立てる職人さんが引退するまで、スペースカバーの制作は続いた。

渡辺木版美術画舗の店頭にて、店主、渡邉章一郎さんとその妻の秋子さん。
渡辺木版美術画舗の店頭にて、店主、渡邉章一郎さんとその妻の秋子さん。

切手、カバーの収集家だった先代。その当時は、夫婦揃って自ら打ち上げ場である鹿児島の内之浦や種子島へ向かい、打ち上げ会場近くの郵便局でスペースカバーに消印を押していた時代だ。
「『せっかく内之浦や種子島に行っても、郵便局しか行ったことがない。観光が全然できない』と、よく義母はこぼしていました(笑)。それだけ義父は、消印を押すのが楽しみで仕方なかったようなんです」と、章一郎さんの妻、秋子さんは笑いながら話す。
一方の章一郎さんは、先代がスペースカバーに夢中になったのは、ごく自然な流れではないかと分析する。
「当店は1909年京橋にて創業し、浮世絵専門の画商としてはじまっています。私の父の立場からすると、浮世絵とは、人の喜びや楽しみ、憧れを表現した、エンターテインメントのひとつ。そのエンターテインメントを木版画に込めて販売するということは、日々最先端のもの追いかけていくことでもあったと思うんですね。そういう視点に立ってみると、このスペースカバーもまた、分野は違いますが最先端のもの、最先端の科学技術をアピールするものですから、浮世絵とどこか相通じるものがあるなと。ゆえに浮世絵の技法を使ってスペースカバーを表現するということは、とても自然な流れであるなと思うんです」

スペースカバーの封筒の中には打ち上げの目的、ロケットの総質量から主要搭載品、打ち上げ射場などの情報が書かれた用紙が同封されている。
スペースカバーの封筒の中には打ち上げの目的、ロケットの総質量から主要搭載品、打ち上げ射場などの情報が書かれた用紙が同封されている。
清水隆志さん:東京生まれ。スペースカバーのほか、郵便切手デザイン、初日カバーイラスト、絵画などにて活躍。

清水隆志さん:東京生まれ。スペースカバーのほか、郵便切手デザイン、初日カバーイラスト、絵画などにて活躍。

取材では、渡辺木版美術画舗からの依頼のもと、スペースカバーのすべての図案をひとりで担い、描き続けてきた絵師、清水隆志さんにも話を伺うことができた。
「どんな図案でも2〜3日かけて描いていました。最初のころは比較的好きなように描かせていただいた記憶がありますが、後半は描き直しも増えていったような気がしますね(笑)。年々、図案に取り入れたい要素が増えていったのだと思います。締め切りが押していて、急いで矢野さんに渡した図案もありますし、今思うともうすこし描けたのになあと、反省点もあります」。

「矢野さん」とは、当時の渡邉のスタッフで、スペースカバー担当の矢野悟さんのこと。締め切り間近になると、矢野さんが清水さんの自宅を訪ねて、夜な夜な打ち合わせすることもあったと言う。
「基本的に矢野さんから図案にしたい写真や資料をいただきつつ、どういうシチュエーションで構成するかを相談しながら描いていました。そんななかでも自分のイメージで描きたいモチーフを描くこともありました。月周回衛星『かぐや(SELENE)』の打ち上げ記念の際(下の写真)には、『かぐや』にかけてかぐや姫を。これはなかなか気に入っています」

封筒上部の手描き文字も清水さんによるもの。
封筒上部の手描き文字も清水さんによるもの。

絵師、彫師、摺師。
そして封筒を仕立てる職人の技術が光る

そもそも日本において木版画とは、古くから経典や仏画、版本などの印刷に用いられてきた。そして江戸時代に入ると、浮世絵が大流行。この頃から、木版多色カラー印刷の技術も進むと同時に、絵師・彫師・摺(すり)師による分業システムが確立し、幅広い表現が可能になっていった。
スペースカバーもまた、清水さんのように図案を描く「絵師」、木版印刷の原板となる版木を彫る「彫師」、版木に絵具を広げて和紙に摺りこみ、色を重ねて作品を仕上げる「摺師」。そして封筒を仕立てる職人による分業制で作られた。
なかでも通な人たちにとってはたまらないポイントのひとつが封筒にある。それが "渡邊版"と呼ばれている封筒だ。

「封筒の開封口のところをラウンドさせているのは、弊社のオリジナルなんですよ。この渡邊版カバーをずっと作ってくださっていた封筒職人の舟橋伸治さんがまた大のカバーマニアで。他のところだと2か月ぐらいかかるところをいつも約2日で仕上げてくれました」(秋子さん)
「封筒の開封口のところをラウンドさせているのは、弊社のオリジナルなんですよ。この"渡邊版カバー"をずっと作ってくださっていた封筒職人の舟橋伸治さんがまた大のカバーマニアで。他のところだと2か月ぐらいかかるところをいつも約2日で仕上げてくれました」(秋子さん)
図案が彫られた版木。使う木の種類は、主に桜とベニア。木によって風合いが変わるという版木は、使い分けをしている。1つのスペースカバーを作るにあたっての版数は、7版ほど。
図案が彫られた版木。使う木の種類は、主に桜とベニア。木によって風合いが変わるという版木は、使い分けをしている。1つのスペースカバーを作るにあたっての版数は、7版ほど。

そんな舟橋さんの引退とともに、渡邊木版美術画舗のスペースカバー作りにも終止符が打たれることになるが、秋子さんには今でも印象に残る思い出がある。
「最後のカバー封筒の仕立てをお願いする際、清水先生に舟橋さんご夫婦の顔を描いてもらって、プレゼントしたんです。そうしたら本当に喜んでくださって、お互いにこれが最後ということで感極まりました。このように清水先生や舟橋さんご夫婦、彫師、摺師、うちの矢野など、最後までみなさんとても一生懸命に作ってくださったので、長く続けてこられたと思います。渡邊木版美術画舗にとって、スペースカバーは特別な商品です」

アメリカのスペースカバー

アメリカにもスペースカバーはある。写真は2000年10月11日、STS-92の打ち上げ記念で発行されたアメリカのスペースカバー。STS-92は、若田光一宇宙飛行士も搭乗したスペースシャトル・ディスカバリーによる国際宇宙ステーションの組立てミッションだった。

「スペースカバーの始まりがいつのことかはよくわからないのですが、アメリカのスペースカバーショップには、1930年代に成層圏にバルーンを飛ばす実験を記念して発行されたものが残されています。このSTS-92打ち上げ記念のスペースカバーはフロリダ州に住む収集家からいただいたもの。NASAの打ち上げが家から見えるというこの収集家は、日本で打ち上げがあるたびに『これと今回の日本のスペースカバーを交換してほしい』と、彼のコレクションの中から選りすぐりを何枚も送ってきてくれました。そして、『日本のカバーはどこの国のものよりも素敵だ。そして簡単には手に入らない』と手紙に書かれていたことを思い出します。普通の印刷物とは違う手彫りの版画という日本らしさが心に響いたのでしょうね。スペースカバーがつなぐ小さな国際交流の一コマです」

(鈴木明子 JAXA's編集長/広報部長)

Profile

渡邊木版美術画舗
S.WATANABE Woodcut Prints

1909年京橋にて創業。浮世絵専門の画商として、オリジナル浮世絵と浮世絵復刻版を販売。1925年現在の銀座八丁目に移転。現在は、浮世絵から現代版画に至るまで幅広く日本の木版画を取り扱う。
●東京都中央区銀座8-6-19
https://www.hangasw.com/

取材・文:水島七恵
写真(スペースカバー):花田梢

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