対談「微小重力がもたらす新しい景色」
科学とアートの入り口
対談
「微小重力がもたらす新しい景色」
福原志保(アーティスト・研究者)
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小川志保(有人宇宙技術部門 きぼう利用センター)
バイオテクノロジーの研究を続けながら、生命に対する常識や倫理観を揺さぶる作品を私たちに提示してきた、アーティストで研究者の福原志保さん。
地上約400kmの宇宙空間にある「きぼう」日本実験棟の利用を企画立案、推進してきた小川志保。
「きぼう」は、地上の100万分の1の重力の世界。
科学とアートが交差する場所を探りながら、互いが見つめる宇宙、そして地球に産まれ落ちた生命の可能性を語る。
人類は宇宙で暮らすことが
できるのか?
福原
以前、とあるインタビューで「もしもお金と時間がいくらでもあるとしたら、なにをしたいですか?」と聞かれたことがあるんですが、そのとき私は「宇宙で妊娠、出産を経験したい」と答えたんです。当時、私自身が出産直後だったんですが、出生時の赤ちゃんの体重が4000g超えで。もう妊娠中は自分のお腹が重くて重くて......、歩くたびに重力を感じ続けていたんです(笑)。それに赤ちゃんはお腹の羊水の中でくるくる回転しながら成長する時期がありますが、上下左右の感覚がなくなるのは宇宙のようなもの? だとするなら、宇宙で妊娠、出産となるとどうなるのか知りたくなったんです。
小川
面白い視点ですね。
福原
こういうことを考えるようになったきっかけは、父親の影響があると思います。父は解剖学と歯科矯正学の研究をしていたんですが、あれは確か私が10代の頃、当時日本とアメリカがスペースシャトル「エンデバー号」を利用して行なった共同実験があって、父が働いていた昭和大学歯学部の同僚の教授が、そのひとつの実験に携わり、父も少し関わったようなのです。それは宇宙環境でニワトリの卵が正常な発生を行えるのか孵化実験を行うというもので、ニワトリを将来、宇宙で育てる可能性を探る実験だったようです。その話を聞いていたことも、宇宙への好奇心につながったところがあります。
小川
それは1992年、日本で初めてスペースシャトルに乗り込んだ毛利衛宇宙飛行士が行った、「ふわっと'92」という実験ですね。まだ国際宇宙ステーション(ISS)と「きぼう」日本実験棟もない時代に、日本が初めて本格的に行った宇宙実験です。8日間にわたって行われたその実験のなかには、生命科学の分野の実験もあって、微生物、動物培養細胞、植物、そして人間を含む動物などを対象に、重力や宇宙放射線の影響を調べたんです。孵化実験はそのひとつですね。地上で産んでから0日、7日、10日のニワトリの卵を微小重力下で孵卵し、変化を調べたところ、0日齢の卵だけが10卵中、1卵しか孵化しなかったんです。
福原
それはやはり重力が関係してくるんですよね。
小川
はい、微小重力下だと胚盤のある黄身の部分が卵の中央に留まってしまいます。そうすると、胚盤と卵殻が結合できず、発生の初期で重要な栄養源を卵殻から得ることができなくなってしまいます。だから宇宙では、初期の卵の場合、静置しておくだけでは孵化しない。重力を意図的に与えるなどして動かさないと孵化しないということなんですね。
福原
では、人間も宇宙で妊娠したら、くるくる動かさないといけなくなると(笑)。
小川
鳥類と哺乳類とでは、いろいろ状況が変わると思います(笑)。哺乳類といえば「きぼう」日本実験棟で、オスのマウスを35日間長期飼育したのですが、その間マウスの生殖器官や精子受精能力には異常は見られず、全匹生還させ、地上で生まれた次世代マウスへの影響も確認されなかったんですよ。
福原
哺乳類が宇宙で繁殖したらどうなるのでしょう。3世代、4世代、5世代になるにつれ、遺伝子レベルで変化があるのか、または変化がないのか。気になります。
小川
メダカは宇宙で長期飼育したあと地上に戻した後も無事に繁殖しているのですが、哺乳類の繁殖までは至っていないですね。マウスも雄しかまだ宇宙には送っていないですし。現状は雄のマウスを個別飼いして、行動観察をするというステップを踏んでいます。そして微小重力下で骨や筋肉、あるいは免疫レベルでどのような変化があるのか。加齢のメカニズムの一端を解明する研究が行われています。ですが、ゆくゆくはマウスを宇宙で繁殖をして、遺伝子学上の研究をしたいという要望はあるんです。
福原
とすると、それが人間の場合、私が宇宙で子どもを出産し、そして私の子供が大人になって、母親である私と同じ環境で妊娠、出産を宇宙でしなくてはならないわけですから、それは大実験になりますね。
小川
大実験であり究極でもありますね。人間が宇宙で機能を失わず、あるいは環境に適応して世代交代していくのを調べるということは。なぜならそれは「人類は宇宙で暮らすことができるのか?」といった疑問に対する答えになるからです。
故人のDNAを宿した樹木で
実生きた墓標をつくる
福原
先ほど遺伝子の話が出ましたが、私の今の原点とも言えるプロジェクトに、故人から採取したDNAを、樹木の遺伝子内に保存するという『バイオプレゼンス』というものがあります。例えばその樹木を公園に植樹すれば、遺族や友人がその公園を訪れたときに、故人のDNAを宿した樹木に対面できる。要するに『バイオプレゼンス』とは、遺伝子組換えの技術を活用して、家族のあり方、死者との関係の持ち方を変える、いわば「生きた墓標をつくる」というプロジェクトなんです。
小川
すごいですね、そのような発想は私にはまったくありません(笑)。ものの見方を変える。まさにアートですが、人のDNAを、樹木の遺伝子内に保存するというその手法は科学ですね。
福原
はい、科学者と組むことによって、この『バイオプレゼンス』が技術的に実現可能なことがわかったのですが、まだ現実にはできていないんです。
小川
遺伝子組換えなど、倫理的な問題がありますよね。でもその問題定義も含めたプロジェクトだということが、アートならではとも思いました。
福原
まさに故人のDNAを保存した木をラボから出していいのかという問題もあって、これまで実現はできませんでした。ただそれですぐには形にならなくても、その概念を提案する会社、バイオプレゼンス Ltd.を作ったんです。そもそもこの『バイオプレゼンス』は、自分を表現するためのプロジェクトではありません。『バイオプレゼンス』の対象は、あくまで人。このプロジェクトを通じて、人それぞれの価値観や人生観を見つめたかったんです。宗教観もすごく表れます。「これは輪廻転生だね」という人もいれば、「神への冒涜だ」と言って怒る人もいます。国によっても反応が全然違うんです。
小川
まだ現実になくても、すでに人の観念や情念が宿っている。『バイオプレゼンス』はサイエンスアートとも言えそうです。
福原
約15年前に初めて『バイオプレゼンス』を構想したのですが、「夫婦で一緒の木になりたい。できますか?」など、いまだに問い合わせがきます。現実に形にできていない理由として、倫理的な問題のほかにも費用の問題もありました。DNAの移植自体の解析にかかる費用がとても高額だったんです。ところがこの15年の間に解析技術が進歩、普及したことで、現在は当時の100分の1程度にコストダウン。また私とバイオプレゼンス Ltd.を立ち上げたゲオアグ・トレメルが、遺伝子組換えの知識と技術を身につけるために、約10年前に早稲田大学理工学院の岩崎秀雄研究室のドアを叩き、遺伝子組換えの技術などを教わってきました。こうして費用も格段に安くなり、自分たちで移植の作業ができるようになったので、今後『バイオプレゼンス』のサービスを現実のものにする日も近いかもしれません。
小川
『バイオプレゼンス』は、生命に対するひとつの哲学だと思いました。
福原
亡くなった祖母の木のある家があるかもしれない。近所の公園に出かけたら、木を抱きしめながら木に話しかけている人がいるかもしれない。その公園が本当のメモリアルパークになる日がくるかもしれない。50年後、100年後、墓石にお花を供える風景と同じように、人が木を抱きしめる風景が普遍的なものになっているかもしれない。このように死の概念を問うことができるのも、私はアートの役割だと思います。
みんなのナレッジ(知識)
にしていくために
小川
日本にとって、有人宇宙活動が夢だった時代から30年。今では宇宙に日本人宇宙飛行士が滞在していることが当たり前になりました。昨年、ISSに「きぼう」が完成して10年が経ったんです。まだ10年、もう10年。どちらの実感もありますが、微小重力という宇宙に我々の活動舞台ができて、そこでなにができるのか。さまざまな実験や研究を通じて俯瞰して見つめてきた10年、という感覚があります。
福原
「きぼう」に携わるJAXAの職員の方はどのぐらいいらっしゃるんですか?
小川
我々だけだと200人ぐらいですね。そして、「きぼう」を利用する研究者、民間企業の方々を含めると数千人規模になると思います。
福原
それだけの数の方が取り組まれている実験や研究を、宇宙では宇宙飛行士に託す。そう考えると、宇宙飛行士の皆さんのコミュニケーション力や理解力というのもまた、すごいなって思いますね。
小川
現在、JAXAの宇宙飛行士は7名いますが、確かにそういった能力が高いかもしれません。24時間365日、ISSは稼働していて、その間に「きぼう」だけでも日本以外に、アメリカをはじめさまざまな国の実験が分刻みでスケジューリングされていますので、なにかひとつでもずれ込むと大変です。もちろん事故が起きないように、地上で細かな手順書を作成し、研究者や企業の方たちと何度も仮説を立てて、シミュレーションを重ねたうえで宇宙へ行く。宇宙に携わる人間は皆、危機管理能力は相当に高いです。
福原
皆さん一丸となって共通言語を作って、それを共有して、チャレンジする。そして培った知恵や技術を蓄積することで、今まで見たことのない新しい風景を作り出す。よく「巨人の肩の上に立つ」と言いますけど、やはり科学やエンジニアリングの凄さはそこに感じます。そしてアートの世界にいる人間、アーティストというのは、もっとその姿勢から学ぶべきことがあると思うんです。なぜならアーティストはどうしても「これは私の作品」というサインをしたがるものだから。アートの文脈でも問いを立て、考察し、そこで蓄積してきたことを繋げていかないと、本当の意味で私たちが見たい風景や答えにはたどり着かないと思うんです。「みんなのナレッジ(知識)」にしていけたらいいと。
小川
まさに「きぼう」は、その利用を通じて「みんなのナレッジ」が育まれてほしいと願いながら活動してきました。そのうえで、我々は科学という専門性によった言語で難しく語ってはいないだろうか?という課題はあります。福原さんの言うように、本来科学はオープンなものであるはずが、逆に壁を作ってしまっているのではないか、と。
福原
その辺りは難しいですよね。科学的根拠と感情的な根拠や反応、そのどちらもケアしていかないと、発信する側の苦労も、受け取る側の感情も行き違ってしまうことになりますから。だからこそ使う言葉も繊細に、どうしても専門性が高まっていくものだとも思います。一方で、アートはその点は解放されているように見られます。なぜならアートは観る側一人ひとりの解釈に委ねるものだから、アーティストはあくまでボールを投げるだけに徹するところがあります。ただしこうした部分も含めて、これまで疑問を持たれずに継承されてきたものを改めて問い直す。ゼロからもう一度作り直すということもまた、アートの役割だと思って私自身はこれまで活動してきました。
小川
「これはこういうもの」という思い込みで動いてることも、我々のなかにはたくさんあるんです。その思い込みからできるだけ距離を置いて、例えば宇宙には空気がない。宇宙では身体が浮く。だから地上ではできないことができる。人間が本能でワクワクすることを科学やエンジニアリングによって繋いでいくことが「きぼう」の大きな役割だと思います。つまり論理を超えて互いに寄り添えるような、双方向の対話を深めていくことが、これからもっと宇宙が身近になっていく時代に、大切になってくるのではないかなと思っています。
粘菌の情報処理能力と
宇宙服の開発
福原
「きぼう」での実験や研究の準備、または成果などは、地上でも継続的に管理、サポートされているんですよね。その施設はここ筑波宇宙センターのなかにあるんですか?
小川
はい、このなかにあります。筑波宇宙センターには「きぼう」運用管制室もあって、24時間体制で監視・運用されています。センターの一番奥には宇宙実験棟というところがあって、そこでメダカやマウス、菌類なども飼っていますよ。
福原
菌類も飼っているんですか。私、ぜひ宇宙で粘菌の実験をやりたいです。粘菌は脳を持たない単細胞生物にも関わらず、迷路の中を進むことができる情報処理能力を持っています。そんな粘菌が微小重力下でどういう振る舞いをするのか、すごく調べたいです。複雑な問題を解決することのできるバイオコンピューターを設計する上でも、この粘菌の生態が鍵になるかもしれないと、研究者たちのあいだでは言われていますね。
小川
面白いですね。「きぼう」においてはそこまでの実験、研究には至っていないので。今は菌が増えていくのか、増えていかないのかということを調べています。たとえ宇宙であってもそこに人がいる限り、常在菌、環境菌としての菌類との関係は断ち切ることができませんから、主に実験環境としての「きぼう」の健全性の検証や宇宙飛行士の健康維持に向けた技術データ蓄積を目的に、実験と研究を行っています。
福原
素人の考えですが、地球とは違って宇宙には確かな地図はないわけですよね。そうしたとき、目的地までの最短ルートを考える上で、粘菌の情報処理能力が何かいいインスピレーションになったりするなど、そういう可能性がないのかも気になります。
小川
先ほども言いましたけど、福原さんの発想はどれも思いつかないものばかりで、改めてゆっくりお話をお伺いしたいです(笑)。今後、JAXAは「きぼう」で培った様々な技術と経験を生かしながら、アメリカをはじめとする世界各国とともに月や火星に向けた国際宇宙探査を目指しています。それも踏まえつつ30年、40年後の未来を想定した時に、今やっておくべき研究は何か?についてもぜひお聞きしてみたいです。
福原
私の発想は、日常生活を送るなかで素朴に感じた疑問が出発点になっていることが多いので、大それたものではありませんが、ぜひ。その上で先ほどスペースドームに足を運ばせていただいた際に宇宙服を見ながら思ったのですが、宇宙服の開発にもとても興味があります(笑)。今、日本人宇宙飛行士の皆さんが着用されている宇宙服は日本製ですか?
小川
いえ、日本の宇宙服は未だありません。なので主にアメリカかロシアが開発した宇宙服を着用しています。
福原
それはもったいないです。日本のテキスタイル技術は本当に素晴らしいんです。というのもここ数年、企業のウェアラブル衣料開発プロジェクトに携わっていることもあって、これまで様々な日本のテキスタイル技術を見てきました。ということと、そもそも私自身が人間とテクノロジーの関係性にとても関心があってこれまで活動してきたということもあり、ぜひ新しい発想で、快適な日本の宇宙服を開発のお手伝いがしたいです。
小川
「将来、いつかは宇宙服を開発したいね」と、JAXA内部にも開発チームがいますので、うちのチームが積み上げてきたノウハウと福原さんのアイデアを出合わせたら、面白そうですね。改めて、宇宙実験棟でお会いしましょう(笑)。
福原
ぜひ、よろしくお願いします(笑)。
Profile
福原志保(アーティスト・研究者)
2001年ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ卒業、2003年ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修了。2004年ゲオアグ・トレメルとアーティスティック・リサーチ・フレームワーク「bcl」を結成。近年の活動としては、日常服に知能を与えるための新技術とプラットフォームの開発に従事。並行して早稲田大学理工学術院電気・情報生命工学科でバイオの研究と制作を行っている。
最近の関心事は、大量生産品のカスタマイズや工芸の愛好者の感情を見つめること。
小川志保(有人宇宙技術部門 きぼう利用センター センター長)
神奈川県出身。1995年から「きぼう」の利用企画・推進業務に係る。「きぼう」利用の多様性や使いやすさを考え、地球低軌道における宇宙環境利用の発展に取り組んでいる。最近の関心事は、継代や発生と微小重力の関連性。微小重力から月や火星と活動が拡がる世界で生物がどれ程世代継代で影響が出てくるのかを知りたい。
取材・文:水島七恵 写真:森本菜穂子
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