謎多き水星への旅は日本とともに 水星探査計画「ベピコロンボ」プロジェクトマネージャ ウルリッヒ・ライニングハウス(Ulrich Reininghaus)
JAXAとESA(欧州宇宙機関)が共同で計画する水星探査計画「BepiColombo (ベピコロンボ)」は、表面・内部の観測を行う水星表面探査機(MPO: Mercury Planetary Orbiter)と磁場・磁気圏の観測を目的とする水星磁気圏探査機(MMO: Mercury Magnetospheric Orbiter)からなり、JAXAはMMOの開発・運用を担当します。一方、ESAはMPOの開発・運用と、打ち上げから水星周回軌道投入までを担当します。「ベピコロンボ」は2016年度の打ち上げを目標に開発が進められ、今年の春にはMMOがヨーロッパに輸送される予定です。ESA側のプロジェクトマネージャにお話を伺いました。
打ち上げに向けた準備が進む
水星探査計画「ベピコロンボ」の目的を教えてください。
MPO(水星表面探査機)(提供:ESA)
MMO(水星磁気圏探査機)
水星は地球と同じ岩石質の惑星で、太陽に最も近いため非常に厳しい放射線環境にあります。その水星にはいくつかの特異性があることが、これまでの観測で分かっています。例えば、太陽系内で、地球のほかに、固有の磁場を持つ唯一の惑星であること。密度が非常に高いこと。中心核が水星の4分の3を占めること。昼間は400℃以上、夜は約-180℃と温度差が激しいことなどです。しかし、なぜ磁場が存在するのかといった詳しいメカニズムは分かっていません。それらを解明するのが「ベピコロンボ」です。親星(太陽)に近い惑星の形成と進化、水星の内部構造と組成、内部ダイナミクス(物質やエネルギーの動的挙動)と磁場の起源、外因的また内因的要因による表面の変化、水星の大気環境や磁場・磁気圏などを、MPO(水星表面探査機)とMMO(水星磁気圏探査機)で詳しく観測します。
水星を初めて探査したのはNASAの「マリナー10号」で、1974年に水星をフライバイしながら観測しました。しかしこの時に観測できたのは水星表面の45%のみです。水星は日の出前の1時間か日没後の1時間、低緯度でしか見えないため、地上の望遠鏡では十分に観測できません。宇宙にあるハッブル宇宙望遠鏡からもよく観測できないため、水星は太陽系の中で最も謎に包まれていると言われてきました。水星の起源や進化を解き明かすことができれば、太陽系誕生の謎にも迫ることができるはずです。ところで、「マリナー10号」は金星をスイングバイして水星に接近しましたが、この方法をNASAに提案したのがイタリアの天文学者ジュゼッペ・コロンボで、「ベピコロンボ」は彼の名前に由来しています。
ESAが担当するモジュールの開発状況はいかがでしょうか?
水星探査計画「ベピコロンボ」の構造(提供:ESA)
私たちが開発を担当するのは、MPOのほか、MMO用のサンシールド(MOSIF: MMO Sunshield Interface)と電気推進モジュール(MTM: Mercury Transfer Module)です。MPOはESAのESTEC(欧州宇宙研究技術センター)で熱環境試験を行い、探査機の性能が期待に沿うものであることを確認しました。「ベピコロンボ」の最大のチャレンジは「熱対策」であり、ここまで到達するのに大変な苦労がありましたので、満足のいく結果が出たことはとても喜ばしいことです。 また、MMOを太陽光から守るMOSIFは、今年の春以降にJAXAと共同で行われる母船総合試験に間に合うよう開発が進められています。一方、MTMは開発が少し遅れていますが、打ち上げに支障のないように準備を進めたいと思います。
母船総合試験では、本番の時と同じように、MTMの上にMPOを載せ、次にサンシールド(MOSIF)、そしてMMOというように全体を組み立てて、振動試験や音響試験を行います。全体の確認が終わると、仏領ギアナのクールー宇宙センターに輸送し、射場での最終試験を経て、アリアン5ロケットによって打ち上げられるという段取りです。打ち上げは2016年を目指していて、およそ7年かけて水星に到着する見込みです。
予想以上に過酷な水星の熱環境
水星は太陽に最も近い、灼熱の惑星です。熱対策では相当苦労なさったようですね。
MLIで覆われたMPO(提供:ESA)
水星の灼熱の環境と、昼夜の激しい温度差から探査機を守ること。それは「ベピコロンボ」の最大のチャレンジの1つです。熱対策の技術は非常に難しく、MPOの熱環境試験で熱漏れが発生し、MPOを覆う多層断熱材(MLI: Multi-layer insulation)の設計を大幅に見直す必要がありました。その影響で、当初打ち上げを予定していた2013年の打ち上げから遅れてしまったのです。MPO の設計変更では、MLIの材料や内部の構造を変更するほか、縫い目の数も減らすなど、本当に苦労しました。MLIに求められるのは熱防止だけでなく、強い紫外線に耐え、軽量であること。また微小隕石からの保護も大事な要素になります。そこでMLIにはセラミックを使用し、28層にもなっています。
水星が受ける太陽光の強さは、水星の近日点の辺りで地球の約10倍もあります。熱対策については、MPOだけでなく、あらゆる機器で、これまでに経験がしたことがないような過酷な条件をクリアする必要がありました。例えば、太陽電池もその一例です。MTMには電力を供給するための太陽電池パネルが付いていますが、強い紫外線環境下では、電池の劣化がとても激しいのです。また、高利得アンテナは太陽光の強さに耐えられず、試験中に変形してしまうこともありました。これらの経験はどれも初めてで、過去のデータもありません。そこで、高温試験や紫外線試験にかなりの時間を費やしました。また、試験用の新しい設備を作る必要もありました。このように熱対策では非常に苦労しましたが、最終的な熱試験では良い結果が出ていますので、努力の甲斐があったと思います。
熱対策以外ではどのような課題がありましたか?
MPO(手前)とMTM(奥)のプロトフライトモデル(提供:ESA)
打ち上げから水星に到着するまでに約7年もかかりますので、長期間の飛行に向けた対策も課題の1つでした。特に、モジュールを切り離すための機器の開発には時間を費やしました。これらの機器は、水星に到達するまでは、バネの力で互いにぎゅっと押し合っている状態にあり、パイロテクニクス(火工品)と火薬を用いない装置を使って切り離されます。しかし、7年間も互いに押し合っていると、接着や冷間圧接などの問題が起き、うまく切り離されないという問題が生じたのです。この問題は、機器の仕組みやコーティングを工夫することによって解決されました。
また、電気推進モジュール(MTM)の開発にも苦労しています。MTMは、不活性ガスのキセノンをイオン化して、プラズマを発生させます。プラズマを加速する部分には、グリッドと呼ばれる格子状の電極があり、このグリッドを使う方法は小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジンと同じです。MTMの課題は3つあり、1つ目は、プラズマを加速する部分のグリッドの寿命です。「ベピコロンボ」の巡行期間は7年間もあるため、耐久性を求められます。2つ目は、冗長性と自律化です。4基あるエンジンのスラスターの内、いずれかが故障しても稼働を継続できるようにしなければなりません。また、「ベピコロンボ」はその軌道から、地球から交信できない時期がありますので、システムが自律的に仕事をする必要があります。そして3つ目の課題は、システムが完成した後の検証試験です。不具合が起きるような状況をわざと設定し、システムがどう反応するかを調べますが、いかに不具合な状態を作るかが課題なのです。それは困難で手間のかかる長丁場の仕事です。
世界トップクラスの科学者が集結
NASAの水星探査機「メッセンジャー」が2011年3月に水星軌道へ入り観測を行っていますが、そのことは「ベピコロンボ」に何か影響を与えますか?
「メッセンジャー」が撮影した水星の極。大量の氷がある可能性がある(提供:NASA/Johns Hopkins University Applied Physics Laboratory/Carnegie Institution of Washington/National Astronomy and Ionosphere Center, Arecibo Observatory)
2011年の時点ですでに「ベピコロンボ」の設計が決まっていましたので、「メッセンジャー」の観測によって搭載機器が変わることはありません。しかし、「ベピコロンボ」の観測の運用には影響を受けていると思います。メッセンジャーが発見したことは、例えば、火山や地質活動の痕跡。極域のクレーターの内部に大量の水の氷があること。水星の表面に予想以上のカリウムが存在していること。水星の磁極が予想より約400kmずれていたことなどです。「ベピコロンボ」ではそれらの場所を観測し、何故このようなことが起こったかを詳しく解析したいと思います。そういう意味で、私たちにとって「メッセンジャー」は、調査すべき場所を教えてくれる先導者のような存在です。
国際共同ミッションについてはいかがでしょうか?
ほかの宇宙機関との共同ミッションは常にESAの目標の1つでしたし、これからもそうあり続けるでしょう。パートナーは、JAXAのほかNASA、ロシア連邦宇宙局、中国の宇宙機関などで、どの国であっても区別しません。私たちにとって国際協力が重要である最大の理由は、宇宙開発には費用がかかるということです。共同でミッションを行えば、少なくとも費用は分担できます。また、異なる国が同じことをしたらお金の無駄だと思います。異国間では、文化の違いや仕事の進め方に違いがあって難しいと思うことはありますが、それ以上に得るものが大きいですね。私たちのミッションは難易度が高く、要求されることも多いため、世界トップクラスの科学者たちが協力して行う必要があります。国際共同ミッションは大変価値のあるものだと思います。
これからも良きパートナーでいてほしい
ヨーロッパでは宇宙科学に対する国の理解を得るのは難しいですか?
ヨーロッパでは、一定の国家予算が、太陽系や惑星研究などの科学分野、そして天体物理学や基礎物理学などあらゆる物理学の研究にも与えられています。これにはもちろん、ミッションのコストや運用費、維持費も含まれます。予算はおよそ5億ユーロです。予算に決まった配分方法はありませんが、さまざまな科学研究や活動にバランスよく分配されるよう配慮されています。一方、日本では、宇宙科学への予算が削除されたと聞き、とても残念に思っています。申し上げにくいのですが、それは日本の技術力の低下を招きかねません。また残念なことに、将来の惑星探査計画における、JAXAとESAとの協力の機会も減ってしまいます。
予算が削減されるのは、その費用対効果からだと思いますが……。確かに、宇宙探査は贅沢な活動です。それが地上での生活にどう役立つのかと聞かれたり、多額の投資をする理由を求められることはあります。しかし、宇宙科学の分野で費用対効果を求めるのは難しいと思います。なぜなら、水星の磁気圏についての理解が深まったところで、私たちの暮らしが大きく変わるわけではありませんから。しかし、それによって、少なくとも、私たちの太陽系がどのように形成されたか、あるいは私たち地球のことがもっと分かるようになります。これは私たち人類にとって大変意味のあることだと私は思います。私たちは、科学的な興味から、自分たちがどこから来て、どこへ向かおうとしているかを知りたいだけなのです。
TV中継されたアポロ11号による人類初の月面着陸(提供:NASA)
そもそも私が科学に興味を持ったきっかけは、1969年のアポロ11号による人類初の月面着陸をテレビで見たことです。白黒画面で電波が弱く写りが悪かったですが、それでも「すごい!」と声をあげていました。そのとき、当時12歳だった私の中で何かが閃いたのです。その日から、物理や数学への興味が増しました。宇宙科学には、子どもの心を大きく動かす力があるのです。そういう意味からも、宇宙探査を続ける意義があると思います。
最後にJAXAに期待することをお聞かせください。
JAXAが担当するMMO。
「ベピコロンボ」のMMOミッションで大きな成果をあげてほしいと思います。JAXAとESAは長年にわたり良い関係を築いてきました。そして、「ベピコロンボ」でも非常に良い関係を保っています。JAXAの方たちは信頼できるパートナーで、経験に富み、大変プロフェッショナルです。私たちは彼らとチームとして働けることをとても嬉しく思っています。その関係がこれからも続き、「ベピコロンボ」を一緒に成功させること。さらには、別の新しい共同ミッションの機会にも恵まれることを望んでいます。
関連リンク:水星探査計画「BepiColombo」
BepiColomboプロジェクトページ
水星探査で地球の起源と進化を解明(2008年公開)
ウルリッヒ・ライニングハウス(Ulrich Reininghaus)
ESA 水星探査計画「ベピコロンボ」プロジェクトマネージャ
ウッパータール大学で電気工学と物理学を学ぶ。修士(工学)。1984年にEADSアストリウム社(現エアバス社)に入社し、地球観測衛星「EROS-1」「EROS-2」の開発、XMMニュートンX線観測衛星による観測の研究などに従事。2006年にESA/ESTEC(欧州宇宙研究技術センター)に移り、ハーシェル宇宙望遠鏡プロジェクトに携わる。2010年、開発と総合試験の責任者として水星探査計画「ベピコロンボ」に参加し、2014年より現職。
[2015年3月公開]