「第60回JAXAタウンミーティング in 伊勢」(平成23年2月26日開催)
会場で出された意見について
第二部「惑星探査がもたらす『私たちの地球』への理解」で出された意見
<「あかつき」の現状について>
参加者:「あかつき」について、6年後に再度、金星周回軌道に投入できるのでしょうか。現状を教えていただきたいです。
佐藤:これは答えるのが非常に難しい質問です。JAXAの中で、あるいはプロジェクトの中でもそうですけれども、正式見解として発表していること以上のことは、今のところ言えません。正式見解というのは、2010年12月28日に、文部科学省の宇宙開発委員会で行った報告が現在のところ最もまとめられたものです。その結論というのが燃料系統にある逆流防止弁、逆止弁と我々は呼んでいますが、詰まったことにより、燃料の供給量が予定よりも少なくなったのが原因であると考えられています。それにより、「あかつき」がどういう状態になったのかというのを、結論に導くための作業を現在、地上で続けています。具体的には、実際に飛んだものと同じような燃料系をつくり、途中の逆止弁の部分の流量を減らしたときに、最後の噴射装置に何が起きるかという実験を、現在行っています。逆に言うと、この作業が完了して「あかつき」の状態が100%確かにこうであるということが言えるまで、6年後に金星周回に入ることができますとは、言えない状態です。しかし、今のところプロジェクトの考えとしては、「あかつき」は6年後、十分金星周回に入るチャンスがあると思っています。正式なことをきちんと皆様にご報告できるようになるまでは、今しばらくのお時間をいただきたく思います。
<生命の起源について>
参加者:最近の興味深い宇宙の話があれば教えてください。
佐藤:生命のことについて言えば、これは聞きかじりですが、地球の場合、成層圏に上がっても、大気のすごく上の方に行っても生命が見つかります。その起源は勿論地上です。地上の生命体が風に吹き流されて、あるいは何らかの拍子に上がっていく。そこでも生き続けてしまう。もしかしたら生きているのではなく、生命の死んだ姿、あるいは冬眠している姿かもしれません。そんなものを宇宙のもっと高いところで見つけようとするプロジェクトがあります。ISSで地上からの高度400kmの高さでも、成層圏と同じように生命が見つかるのか調べようという人たちがいます。そこまで生命が上がっていけるということは、生命は宇宙まで飛んでいくことができるのではないか。隣の惑星にまで飛んでいくことができるのではないか、という考え方もあります。仮に火星で生命が見つかったとき、その生命が地球起源の生命でないことをどうしたら言えるのだろうかということを、真剣に考えている人たちもいます。そういうふうに生命1つ取って考えてみても、いろいろな考え方、研究の仕方があるということを私は最近理解しました。
<探査機やロケットのデザインについて>
参加者:探査機やロケット、「イカロス」のセイルを広げた姿などのデザインは、とても美しいと思います。開発のとき、デザイン性というのも、ある程度、反映されるのでしょうか。
佐藤:反映されていません。そのように簡単に言ってしまうと、身も蓋もないですが、例えば探査機の姿形が何で決まるかというと、探査機全体の重さのバランスが重要になります。
探査機全体の重さのバランスです。例えば「あかつき」が金星に向かって逆噴射をしたときに、バランスが悪いと姿勢が崩れてしまいます。逆噴射をする力の軸に対して、重さが均等に振り分けられていなければならない。右側に重い観測装置が乗れば、左側には別の重い制御装置を乗せなければならないとか、打ち上げのときの加速度に耐えられるような剛性を持っていなくてはいけないとか、工学的なことを考えるのが精いっぱいで、実際に見栄えをよくするという考えは、一切働いていないと私は思っています。ただ、昔どこかで、「美しい姿をした装置は、やはりすばらしい性能を備えている」という言葉を聞いたことがあります。恐らく、どこか人間の頭の中に、良い性能を持っているものは、洗練されて見えるような、何かそういう結び付きがあって、私たちの目や脳にかかっているフィルターが、それを美しく見せているのかもしれません。
<日本のロケットの今後について>
参加者:H-IIBロケットの次の基幹ロケットのイメージを、お話できる範囲で聞かせていただければと思います。
舘:現在、次の基幹ロケットとして、新聞で紹介されたH-IIIロケット(仮称)を研究しています。基本的には大きな形に変わるということではなく、H-IIAロケットをある種、修正することになります。H-IIBロケットも将来的にどうするか、というのはありますが、それはまだ決まっていないので、すぐにこうだ、とはなりません。
<宇宙開発と軍事利用について>
参加者:
(1)宇宙開発と軍事利用は紙一重と言われています。そのことについて、現場の方から直接意見をお聞きしたいです。
(2)宇宙開発は平和利用のもとで行われていると思うので、開発の過程で自分を律しているもの、こういう決めごと、哲学でやっているというものがあれば、ご紹介いただきたいと思います。
瀬山:
(1)現在、JAXAは、JAXA法に基づいて設立されています。その目的の中に、「JAXAの宇宙開発利用は、平和利用目的に限り行う」と書かれています。そういう大前提で我々は活動しています。海外の宇宙技術開発は、軍事の方が主導して、そのスピンオフが民生に来ているところがありました。ですから、紙一重のようなところが、もしかしたらあったのかもしれません。ところが、最近は民生技術が非常に進んできて、逆に民生技術が軍事の方に使われることも、宇宙に限らずたくさん出てきました。それは、両用技術です。すばらしい技術が生み出されると、それは民生でも使えるし、もしかしたら軍事でも使えるのかもしれない。その辺りを紙一重と言うのかもしれません。
(2)当然我々は、今の法律の目的に沿って技術開発をしていて、プロジェクトを立ち上げるときには、そのプロジェクトの目的、ミッションが、国で厳格に審査されます。これまで防衛省が衛星通信を使いたいというときも、軍事利用に当たるか否かを厳格に解釈、運用されてきました。具体的に、一般に使われている技術であれば、それを軍事目的で使っても平和利用目的に反しないとされています。
佐藤:
(2)我々を律するものという意味からすると、例えば惑星探査、月探査をするときに原子力電池、プルトニウムを積むということを避けるようにしています。太陽電池が使えない状況で、例えば機器の温度が低くなり過ぎたら壊れてしまうものもあります。それを保温するための技術として、他の国だったら、プルトニウムを使った温度ヒーターを持っていって機器を温めるわけです。
しかし、日本の「かぐや」の後継として月着陸「SELENE-2」を開発している人たちは、それに頼らない越夜技術を確立しようとして奮闘しているわけです。その辺りが我々科学者の側から、宇宙開発が軍事目的に流用されないようにする、平和利用に限るということの活動にあらわれていると思っています。
<「はやぶさ」帰還カプセルのへその緒について>
参加者:「はやぶさ」帰還カプセルの“へその緒”についてお聞かせください。
舘:帰還したカプセルの中に、インスツルメントモジュールがあります。その表面に「はやぶさ」が地球に戻ってきたカプセルの背面の炭化している部分があります。衛星本体と「はやぶさ」を結んでいる線で、その線を切って落ちて来ました。10,000℃というすごい温度になるので、切られた線は炭化して全部なくなると思われていたのが、わずかに残っていて、これが俗に言う“へその緒”と言われるものです。
<宇宙の所有権について>
参加者:宇宙の所有権はどうなっているのでしょうか。
舘:国際的に宇宙条約というものがあり、各国の領有権は認めていません。
<諸外国との共同開発について>
参加者:今後、各国とロケットなどの共同開発はあるのでしょうか。
佐藤:火星探査を例にとりますと、火星探査車、ローバーの開発は、すごくお金がかかるようなことになりつつあります。実際にヨーロッパの宇宙機関(ESA)は、自前でその探査車を送り込むという計画を立てていましたが、予算がオーバーしてしまい、NASAと手を組みました。日本としても、そういう国際情勢の中で、できればお互いのギブ・アンド・テイクの輪に入りたいわけですが、現段階の惑星探査については実績がまだ少ないので、対等な立場でそれを持ちかけるのは、そう簡単なことではないと思います。これからロケットを打ち上げてたくさんの経験値を積んでいくことが必要だと思います。
瀬山:ISSを見ていただくとよくわかりますが、あれが宇宙の典型的な国際協力、国際分担です。それぞれの国がリソースを出し合い、あれだけのプロジェクトを実施している。今後も、大きなプロジェクトについては、国際協力でやっていくことは日本も各国も同じ考えです。また、衛星を国際協力で作製し、日本もしくは海外のロケットで打ち上げることは、既にやっています。
<開発に付随した遊び心・雰囲気について>
参加者:どういう開発についてもプラスαというものがあって、少しは遊び心がないと良いものができないと思うのですが、その辺りの環境はいかがですか。
佐藤:遊び心に関して言えば、プロジェクトの人たち、科学者も工学技術者、あるいは事務系の人たちも遊び心があります。例えば「あかつき」の小さなマスコットがありますが、これはプロジェクトの中で手づくりしています。決してただ単にしゃかりきになって狭い視野で物をつくって、飛ばしているだけではない、そういう人間味あふれる人たちの集まりだと思っています。