「第22回JAXAタウンミーティング」 in 新潟(平成20年1月19日開催)
会場で出された意見について
第二部「宇宙が子どもの心へ火をつける」で出された意見
<今という時代と宇宙開発について>
参加者:私は、1941年生まれ、66歳です。科学には非常に腹が立ちます。あと数十億年たつと地球もなくなると、ある本を読んだら書いてありました。宇宙開発は非常に特殊な能力を持った人が一生懸命やっていますが、数十億年たったら地球がみんなパーになります。そんなに急ぐ必要はないんじゃないですか。地球を汚すことにもなります。そういうことを忘れて、宇宙開発を趣味でやっているのでしょうか、それとも命令でやっているのでしょうか。
的川:今の地球や世界、日本というのが、数十億年でどうこうという話は別として、今が、非常に何か希望がない時代であり、夢を大きく持ってベクトルをしっかりそろえて進んでいるようには思えない時代だということは全く同感ですね。私は今の方の多分、1年後輩か2年後輩ぐらいですが戦時中に生まれました。私の生まれた年にミッドウェー海戦があって、日本は負け始めたんですね。3年たって日本は負けて、日本は大変厳しい状態に置かれました。私は広島県の呉という町に生まれました。戦艦大和を造った所です。アメリカの進駐軍みたいなのが非常にたくさんいて、それでたくさんの米兵がいて、ジープでチューインガムとかチョコレートとか投げられて、それを子供が腹ばいになって拾って、それで食べたりしてました。私の親父はフィリピンに戦争に行ったあと帰ってきて、その時にはもう家にいたわけですが、私がある日チョコレートを食べていたら、親父が怖い顔をして私の方を見て、「何を食っているんだ」と言うので「ジープからもらったチョコレートだ」と言ったら、大変怖い顔をしてにらみつけたんです。子供心に理由が分からなくて聞いたら、「それは日本人の矜持である」と。小学1年生くらいには「矜持」がわからなかったので、前後関係を説明してお袋に聞くと、「うちには国語辞典があるのであなたで引きなさい」と。うちは大体そういう教育方針でした。国語辞典を引いてやっと見つけて、たぶんこのプライドとか誇りとかだろうなあと。でもその時にはまだ、チョコレートをもらって食べるのが日本人の誇りというのと何か関係あるのかよくわからなかったですね。数年して分かりました。そういう時代で、日本という国はもうとんでもなくて、これからどういう日本を目指すのかということだけで皆、生活していました。日本という国が世界で通用する一流の国になりたいということを大人は皆考えて生活していました。それで一生懸命、働き、経済力は大変豊かになりました。では日本は今、幸せかというと、先ほどおっしゃられたように幸せ感というものはあまりありません。むしろ何かこれから大丈夫かなと、危ないなという感じのほうが強いです。それは何が間違っていたかというと、その当時持った、お金さえあれば幸せになれるという考え方がどこか間違ってたんですね。でもその当時は多分、お金持ちになるというのがまっとうな目標だったんだと思うんです。今、我々の前につきつけられている問題は、ある程度お金のある国になって、それを未来のためにどういうふうに使うかということが、非常に求められているということです。私たちは今、初めて直面しているこの問題にどうやって対処していくかというベクトルを皆で作っていかなきゃいけないんだということだと考えています。その中に宇宙教育というものがあるという気持ちが私の心にはしっかりと育っていて、子供たちを皆の力で、私たちができなかった大きな仕事をやれる子供たちを作っていきたい、そういう気持ちで、今、私は仕事をやっています。
堀川:ちょうど私も昭和19年生まれですから、おっしゃるように、高度成長で地球をいろいろ汚しながら、とにかく便利で楽ができるような社会を作ろうというのが、これまでだったと思うんですね。でも今我々は、振り返ってみて必ずしも良くない面もあったかもしれませんが、皆が安全で安心な生活を享受できる、楽しめる、そういう社会にするにはどうしたらいいか、そういう気持ちで社会を作っていこうというふうに、変わってきているんじゃないかなというふうに思います。
<人間形成と宇宙教育について>
参加者:今、歯学部の学生をやっております。私はやっぱり、憧れとか、自分の使命感とかそういうものによって生きているように感じているんです。私にとっては、チャレンジャーの爆発事故というのがすごく衝撃的で、あの映像を見た時に自分の使命て何なんだろうと、すごく考えさせられたんです。また宇宙の美しさとか、地球が青くて、といった情報というか、大きな視点を自分の目線に合わせて考えを深めていくのが今の私をつくっているように感じるんです。先生の話を聞いて、自分が残念だったなと思ったのは、小学校の時に宇宙の美しさとかにあまり触れる機会がなくて、なかなか近くに博物館がなかったとかいうことも多分影響していると思うんですね。日常は、どうしても目先のことにとらわれてしまって、学校の成績を上げようとか、友達と仲良くしようとか、そういうことばっかりになってしまうと思うんですが、やっばりそれこそ、宇宙開発に携わっているような先生方のような方が小学生とか中学生の周りにいて、こんな素晴らしいことなんだよ、これから開発する衛星で君たちはもっとすごいこんな所まで行けるんだって、そういう情報を是非、全国という形で一人でも多くの子供たちに教えていただければ非常に日本に対する愛情とか、それこそ科学に対する愛情、というものが育っていくんじゃないかなというふうに、思いました。
的川:最近、若い人と話をしてちょっとびっくりするのは、日本の為にとか世界の為にという言葉が出ると、どうして日本の為に働かなければいけないかわからないという人が非常に多いんですね。私が学生時代には、まさしく学生運動全盛時代ということもあり、考え方は左から右までいろいろありましたけれども、とにかく若い人が頑張らなければ日本は良くならない、世界は良くならないという、そういう信念はあったような気がするんですね。だから意見の違いを大学のクラスでも高校のクラスでもずいぶんとディスカッションしましたし、自分の人生とそれから日本の未来をつなげて考えている人は大部分だったんです。今は、もちろん個人の人生としては、お金持ちになりたいとか、良い仕事をしたいとか、思っている人たちはいっぱいいますけれども、あなたのように社会の為にやっぱり自分は働きたい、自分の存在価値というのをそこの中で何とか見つけたいというふうな発言される方は非常に少なくなっているという感じが実感としてします。ですから大変、今聞いて嬉しかったんです。ただ時代によって変わるんだと思うんですよね。今の日本の状況は、多分、ひところよりは、自分を含む公のために自分の人生を成り立たせなければというふうに考える人は段々増えて、徐々に増えてきている時代だと思うので、またきっと学生運動が前と違った形で盛んになってくるんじゃないのかなという予感はします。そういう時に、あなたは何歳になっているかわかりませんけれども、若い人たちとの議論をもっと続けて欲しいです。宇宙という分野は、例えば小学校の一年生ぐらいの時に遺伝子の問題とか、ナノテクノロジーの問題だとか、そういうもので夢を抱かせるというのはなかなか難しいです。もちろん高校生ぐらいになると、そういうものにずうっと自分の専門を選んで傾いていく人いますけれども。それはそれで大変大事なことなんですが、自然とか生き物とか社会とか、そういうものに我々が子供たちと一緒にディスカッションしてアプローチしていく時の大変良い素材が宇宙にもあるし、それから多分、生き物の世界にもあると思うんですね。だから、生き物の世界を扱っている人たちと私は手を組んで、特に小さい子供にはそういう方面から大変大切な心というのを育てていきたいという気持ちを持っているので、この星空ファクトリーの方たちもそうですけれども、是非、一緒にやっていきたいと思います。これはJAXAだけがやる仕事じゃなくて、みんなでやる仕事ですので、是非協力してやっていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。
<スペースデブリについて>
参加者:私の記憶違いかもしれませんが、以前聞いた話によりますと、過去打ち上げられた衛星やロケットで使命を終えたものがたくさん今、宇宙空間に宇宙ゴミとしてただよっていて、それは非常に危険なことで、今大きな問題となっているって聞いたことがあるような記憶があるんですけれども、その事について教えてください。
堀川:人類が1957年に最初に人工衛星を打ち上げてから、昔のソビエト連邦、今のロシアとかアメリカ、もちろん日本もそうですし、中国、ヨーロッパ、いっぱい人工衛星を打ち上げてきていて、全部でこれまでに宇宙に打ち上げた人工衛星は6000から7000ぐらいと言われていると思うのですが、そういう人工衛星がただ飛んでいるだけではなく、宇宙空間でぶつかって、また別の粉々になって、余計な数になっているということが現実に起きていることは事実です。ただそういった宇宙に上がった物質、デブリと言っていますが、これが宇宙空間にどれだけあるかというのを、今アメリカが地上のレーダーで全部追っかけて登録をして、チェックしています。10cm以上の大きさのものが宇宙空間にどこにどれだけあって、どういうふうに飛翔しているかというのが全部登録してあります。そういうデブリがどんどん増えていくというのが非常に危険なので、お互いに宇宙に人工衛星を上げる時には、デブリをたくさん残さないように皆で工夫しましょうということが、国連の科学技術委員会の中でいろいろこれまで議論されています。もちろんそういうデブリになったものは、徐々に地球に引力で近づいて、大気圏に入って燃えてなくなるというふうになっているので、すごく長い時間をかければそういうものは少なくなっていくんですが、ある高さ以上のものには、何百年、何千年とかかることがあるわけですね。それで今では、ちゃんと管理していきましょう、これから上がる人工衛星に関しては、そういうことがないように、寿命が末期になったら、大気圏に落ちて燃えるようにしましょう、何年以内に燃えるような制御をしないと打ち上げないでください、それでも時々事故があったり、制御不能になったりすることあるんですが、そういうこともきちっと登録して評価していきましょうという取り組みで、今、宇宙にあるそういうゴミというのは、少しずつ減り始めています。そんな中で一昨年ですか、中国が宇宙で兵器を使って人工衛星を破壊する。あういうことをするとまた何百、何千とデブリが出ちゃうわけですね。だからああいうことはもう絶対許されないことで、中国も今後一切そういうことはしませんと言っていますので、そういう形で宇宙をきれいな環境の場にやっぱりしていかなきゃいけないということは、皆も認識していますし、これからお互いに宇宙をきれいな場にしながら、尚かつ有効に使えるようにしていきましょうと、今、国連の場を通じてそういうことを話しております。
<スペースデブリの危険性について>
参加者:宇宙ゴミが増えると具体的に言うとどういう危険があるんですか。
堀川:宇宙ゴミが増えると宇宙に飛んでいる人工衛星、あるいは国際宇宙ステーションに、そのゴミが衝突するわけです。宇宙に飛んでいる人工衛星なり宇宙ステーションの地球の周りを回る速さというのは、1秒間に7kmぐらいで飛ぶぐらいのスピードで飛んでいるわけです。それに宇宙ゴミが同じように、7kmとか10kmとかというスピードで飛んでいます。だから小さなものであっても、そういうものにぶつかると結構被害が大きいんですね。同じスピードで同じ方向に飛んでいれば、相対速度が少なくなるんですが、でもいろんな方向から来ると、倍のスピードでぶつかるような形になるわけです。そういう意味で人工衛星や宇宙ステーションに対しては非常に危険であるということです。先ほど10cmまでのものは全部、地上で管理してチェックしていますという話をしましたが、宇宙ステーションは人が住んでいますので、少なくとも1cmオーダーの物までは防御壁を周りに付けていて、そういうものが固くて貫通しないような保護をしているわけです。でもある数センチから10センチ近くの間の物というのは、防ぎきれない可能性はあるんですが、その数はそんなにまだ多くないというふうに把握しているので、宇宙飛行士が、あるいは宇宙ステーションが10年、15年宇宙にいる間にそれがぶつかる可能性はまだ非常に低いだろうというふうに思います。
的川:90年代に一度、アメリカが打ち上げたロケットの破片が、フランスの通信衛星のセリーヌという通信衛星とぶつかって、要するに宇宙の交通事故が起きたんです。そういうことが起きるということは、大変運の悪い衛星なんですけれども、現実には起きたということで大変大きな問題になりました。ただどれぐらいの確率かと言うと、皆さんが今日これが終わってお家に帰られる時に、何故か分からないけれども、空から何かが物が降ってきてそれでお亡くなりになるという確率は、たぶん皆さんゼロだと思っていらっしゃるでしょうけれども決してそんなことはなくて、ある確率はあるんです。その確率よりも三桁ぐらいまだ下です。だからほとんど起き得ないことなんですけれども。たまには本当に運の悪いそういう前例があってそういうことも起きているし。それから小さなものはやっぱり、シャトルなんかにぶつかっています。大きなものは、さっき堀川さんがおっしゃったように10cm以上のものは、地球上から軌道をつかんでいるので、スペースシャトルが飛んで行く時に、そういうものが前途にあって、このまま行くと確実にぶつかるということが予告されたら、スペースシャトルは退避高度を取って、また軌道を飛び続けるというようなことをやっているんです。だから、これから打ち上げるものについてはそういうゴミが増えないようにしようということで、今はやっておりますが、実際にはいろんなメーカーが、何とか宇宙ゴミを回収する手立てを開発しようということで一生懸命やっているんですけれども、なかなか名案ないですね。今のところ宇宙はまだ非常に広いので、それほど高い確率ではありませんけれども、もう今から準備しないと、何百年かたつと大変な問題になるかもしれないので。そういう努力はそういう点でしています。
<子どもの心に火をつける手立てについて>
参加者:子供を持つ親として、それから星空ファクトリーに参加させてもらっているという関係から二つご質問をさせていただきたいと思います。私も若い頃には、フォン・ブラウンとか糸川先生なんかを、憧れた時代がもありました。若い子供たちに、是非、科学の目を育てていきたいといことで、仲間に入れさせていただいているんですが、そういう中で若い小学生あるいは中学生を対象とした人たちに、科学に対する関心を持ってもらおうということで活動しているんですが、うまく子供たちの心に火をつけるというような何か手立てのようなものがあったら、それを聞かせていただければと思います。それから最近報道されましたように、何か日本の教育は、基礎学力は充実して高いけれども、応用力は下がっていることで、文部科学省のほうでも、今までのゆとり教育を変えていくというふうな方針というふうに聞いているんですけれども。現状は、科学の心を育てるという点でどうな状況なのか。あるいは新しく改革をしていくということで、果たしてそういうものが実現していけるのかなということをちょっと疑問にしていますので、的川先生のご意見がございましたら、お聞かせいただければありがたいと思います。
的川:子供の心に火をつけるという手立て。あまりこれっていう王道がないような気がしますが、宇宙教育センターでいろんなことをやっていて感じるのは、火をつけるというと、例えば燃料もいるし、発火点に達しなければいけないし、酸素もいるしという、ことになりますが、燃料に当たるものというのが、外から持ち込むのではないんだろうなという感じは、かなりたくさんの証拠があります。子供の心の中に燃料が詰まっていて、それをどうやって掘り起こすのかなという話なんだろうと思います。子供の心というのは、非常に多面的です。子供の中には星というよりも、例えばロケットのほうに興味がある子もいれば、地球環境というものに興味がある子もいれば、通信衛星のようなエンジニアリングに興味のある子もいれば、いろんな多面的なものがあります。ですから大人が子供の持っている好奇心とか、どの部分がこの子にとっては伸ばすべき大事なものだというふうに気が付くかどうかで、かなり火のつく形が違うという感じがしますね。たぶん大切なことは、子供の中には必ず何かについての多面的な好奇心の芽はあるので、そういう多面的なものの中にどういうふうに我々がうまく近づけていって、その子を近づけていって発火点に達せるかという、そういう導き方だと思います。出発点は多分子どもの心の中にあり、我々はそれに外から近づくのだけど、その時に大変多彩な近づき方をしなければいけないのかなという感じがします。それから、ただ国の政策に頼って、何か日本を良くしようという考え方では、ちっとも我々の国は良くならないので、やはり津々浦々に子供のことをしっかり真正面から見据える人がいて、それで皆の力が、それが連携した答えになったら初めて大きな流れができるんだろうという気がします。今、宇宙教育は、我々が皆さんと本当に同士関係になっていきたいとか、そういう流れ作りの中にあります。これから是非、今申したように、そういうものを作っていければいいかなと言う感じがしております。
<宇宙活動の失敗から学べることについて>
参加者:私、宇宙開発に昔から興味がありまして、今でもたまに東京のほうで、宇宙開発に関わった人からお話を聞くようなイベントに出たりしているのですが、そういう場で、昔の失敗した話とか苦労した話とか、そういうのがよく出てくるんですよね。こういう失敗をしましたとか、いう話は非常に面白いんです。この前の「はやぶさ」の着陸の時も、栄養ドリンクが管制センターに積み上げられている様子が出て、それが非常に話題に出たと思うんですがそういう小さなエピソードと言いますか、先ほど、ロケットの成功率90%という話がありましたけれども、その90%という成功率は確かに重要なんですが、残りの10%の失敗から何か学べることがあると思います。今、マスコミの関係もあり、あまり失敗というのは表に出せないような風潮があるんですが、失敗から学んだことも必ずあると思うので、JAXAのほうもできればそういう経験となるようなものがありましたらことを積極的に出していただければ嬉しいなと思います。
的川:失敗というのは今、むしろ、隠しちゃいけないということなんですよね。実際には、我々が失敗だと思っていないことが、失敗、失敗と言われることも多いです。何か不具合が起きて、これから努力するという時に、それを明らかにしておくと言われると、非常に困ることがあるんです。現場はそれを克服するために一生懸命ただやるのですが、でも何かそれを隠しているように言われるのが非常に困るということがよくあります。そのしのぎ合いをまあ一回、一回解決する以外にないんですが。「賞味期限が切れた」問題とか、そういうものとは違い、嘘をつくのではなく、不具合があればそれを克服するのに懸命になっているので、それを乗り越えればいろんなことをきちっと説明する機会は必ず持ちますので、辛抱強く見ていただきたいなという感じはします。「はやぶさ」の時に各地でいろいろなお話をすると、その反応は、「面白いことやっていますね」「すごいですね」とか、失敗と思ったら成功したりする、ドキドキするような七転び八起きがあって、そういうスリルとか、エンジニアリングの操作とかそういうことを褒めていただけることが多かったんですけれが、「かぐや」の場合はちょっと違っています。じっーと目をつむっていろんな方のおっしゃるのを聞いていると、例えば月面から上がってくる地球というのを、ハイビジョンで見たりした感想は、「はやぶさ」のときとは違い、あんな画像、映像を見せてもらって大変嬉しい、ありがたいとか、そういう言葉が多いんですね。それは多分、小惑星と自分とのつながりというのは、あまりないかもしれないけど、お月さまというのは格別の意味が、人間にとってはあるんだなということをしみじみ感じるんですね。JAXAがやっているミッションには、堀川さんがおっしゃったように、まさしくダイレクトに身近に結びつくものと、お月さまを探る「かぐや」のように科学ミッションであっても気持ちの上で精神的に何か結びつくような部分があるもの、あるいは100年先と関係があるもの。それぞれの距離から宇宙開発の意味というのは存在しているので、あまり短兵急に宇宙活動の意味というのを評価するのではなくて、長い目で見ていただければといつも考えています。