JAXAタウンミーティング

第6回:佐賀県多久市南多久公民館 2006年6月25日開催
第三部「どこまでやるの?日本の宇宙開発」で行われた意見交換


<日本の探査計画の実施について>


的川:最初に科学の点を申し上げたいのですけれども、私は宇宙科学の世界でずっと生きた人間なんですが、私が生まれたのは戦争の真っ最中でしたので、母親との会話の中で、非常に命というものが尊ばれた時代、でもどんどん人が死んでいくという時代に生まれ育ったものですから、そのような問題意識が非常に小さい頃からありました。科学の世界に入ったあとで、宇宙のビッグバンというものから始まって、ずーっとそれが進化を遂げて私たちのような生命が生まれて、はじめは頼りない生命だったのが、人間のようなものになっていった歴史が、約140億年くらいですけど、全部非常に筋の通った物語になってきたというのがこの100年間だったということを勉強しました。命の大切さというのが、そういう宇宙の科学と非常に密接にかかわりがあるということに気がついて非常に嬉しかったのを覚えています。そのためにもちろん外国の方が大活躍したわけですが、日本の宇宙科学を担った人達が、そのジグソーパズルのようなわからないことに非常に大きな貢献をして、物語を作り上げていくことに貢献をしたことも日本人として非常に嬉しかった覚えがあります。現在の宇宙の予算で、日本の場合にはだいたい全体の2割弱の金を宇宙科学のために費やしているわけですけれども、例えば、そういう分野はアメリカやヨーロッパに任せればいいじゃないかと、日本でそんなのやる必要ないんじゃないかという意見もあれば、いややはりそういう知の領域で日本がおおいに貢献すべきだと、いろんな意見があると思うんですね。
こういう分野は日本人がやらなくてもほかの国が一生懸命お金を出してやってくれれば、特にやる必要がないんじゃないかとお考えの方、手を上げていただけますか。

<手があがらない>

では、こういう分野について日本がおおいに貢献すべきだという方、手を上げていただきますか。

<多数、手があがる>

ありがとうございます。実は宇宙のことは20世紀の始めにアインシュタインという人が先鞭をつけたのですが、彼のいろいろやった仕事がなければ、多分われわれのコンピュータなんてものは存在しなかったんですね、科学というのは単に宇宙のことを知るだけでなくて、非常に長い射程距離でみますと、私達の生活を根本から変えていく力がありますので、そういう分野にも日本はやはり大いに貢献すべきだと思います。世界第二の経済大国といいますけど、知的な意味でも第二の大国くらいになるといいなと私個人は思っているのですけれど、皆様に今、手をあげていただき、元気づけられました。
次に、お月様の話ですが、1969年にアポロの飛行士が最初に月面に二人着陸して、それから12人の飛行士が月面に降りたんですね。それからずーっと誰も月には着陸してません。今、アメリカが中心になって人間を月に送ろうという計画を始めてます。今度は行ってただ帰るという話でなくて、月にあるいろいろな資源を利用して、それを我々のために役立てるようなところまで、もっと先へ進んでいきたい。その先には火星探査というものがひかえています。お月様に対して、インドとか中国なんかも非常に意欲を見せていますが、日本としてお月様をどういうふうにこれから扱っていこうかということについては、やはり悩みがあるところなんですね。皆様から、お月様に対して日本はどういうふうににやっていくべきかというご意見がありましたら、是非、お願いしたいのですが。


参加者:資源の探査をやられているということで、今後、月に豊富な資源が見つかって、採掘なり何なりという風になるのかもしれないですが、今、インターネットのサイトで月の土地が売られているんですね。それがどんどん売られてしまったときに、資源が出た際、その持ち主のところで出たからこの人のものだよとなったときに、それがどうなるのかなとちょっと心配してるのですが。(男性)


的川:法律的には全く権限のない話なんですね。お金を出していただいた方にはかわいそうだけど、保証した会社がそんな権利を持っているわけでありませんので、心配は無いと思います。国際法的には今からいろいろ整備していかねばならないものがあると思います。


参加者:私が興味があるのは、資源というよりも、リサイクルというか完全に循環型の環境にしないと、おそらく月なんかに基地を作ったときはやれないと思うんですね。ですから人間がそういう完全に閉鎖的な環境の中でどうやって生きていくんだろうということは興味がありますし、それが、地球の環境のことをいろいろ考えることに非常に役に立つんじゃないかなと思うんですが、そのへんはいかがでしょうか。(男性)


的川:アメリカでもロシアでもそういう閉鎖型の小さな地球をミニで作るような環境研究はよく進んでいますね。日本でも青森の六ヶ所村というところでそういう研究をもう実際に進めているんですが、お月様に行った時に、行った人間がどういうふうに閉じたサイクルで生活していくかということの研究がないと基地は出来ませんですものね。世界で今ばらばらで進んでいますけど、その連携もずいぶん取られつつありますし、その研究については日本は結構進んでいます。1980年代から90年代にかけて日本はおそらく世界で一番進んでいた国だと思います。日本がこれから月に挑戦していくときに、そのときの財産がずいぶん役に立つと思われます。


山元:今の話を聞いて思ったのですが、月になんのために行くの、ということですね。例えばアメリカなどは火星に行くための準備だそうです。あるいは月での資源を利用していくんだと。その資源を月での生活に役立てるだけならわかるが、地球に持ち帰るための意味合いとして、ほんとに必要性があるのか。地球のために、我々の生活のために、月をどのように見ていくのか、あるいは将来の宇宙開発を見据えて月を利用していくのか、いろいろな使い方があると思うんですね。どういう意味をもって月に行くのかのかという話が各国で詰まっていくと思います。その中で、私は素朴に、今から20年後、30年後に、各国が月で活動しているときに、日本の宇宙飛行士が一人としていない。そういうときに、今は8人の宇宙飛行士がいろいろな形で活動をしていますから子どもたちにとっては夢を持ちやすいですけれども、そのときの子ども達が、どうして月には日本人がいないの?と、もしそのときの親が問われたら、我々、寂しいなという感じがするんですよね。教育のためだけに宇宙開発をやるわけではないですが、月に行くということは教育という面からも大きな意味合いがあるのではないか。そのためにも、気持ちとしてはやりたいな、と思っています。今から2、30年後の子供達にも常に宇宙開発に夢を持てるようなことをやりたいなということは気持ちとしてございます。


的川:星出さんは月に行きたいですか。


星出:火星は私の世代では無理だと思っていますが、せめて月までは行きたいと思っています。山元さんがおっしゃったように、例えばサッカーのワールドカップに日本代表が出てなかったらどうだったか。出てるからみんな関心を持ってくれる。誇りも感じられるのだと考えています。それに相当することができるんじゃないかと思っています。国際的なプロジェクトですので、一国だけでは出来ないので、そのなかで日本として貢献しているんだと、その必要性は非常に大事だと感じています。


参加者:今日の話を伺って、まだどうも月には資源となるものや役立つものがありそうだ。それを調べて持ち帰っていろいろと有効活用したいという話を聞きまして、日本が月に興味があって、それに関して有用な情報とか経験とかデータが得られると。それがどうもほかの国の協力が得られずに、どうも日本だけでしかできそうにないようだと思われるようであれば、少々金がかかってもやってもいいと思うんですね。それが50年たったときに何か役に立つかもしれない。役に立たないかもしれないが、ひょっとしたら歴史を変えるぐらいの何かが見つかるかもしれない。そういう可能性にかけることも大切ではないかと思うんですね。(女性)


的川:ありがとうございます。非常に力強い支持のおことばでした。今日、皆様からいただいたご意見をわれわれのこれからの宇宙開発に思い切り活かしていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。


山元:ここにいる子ども達が10年後は私たちに関係のある仕事をやっていただけるかもしれない。そんなに身近な話なんですね。100年後といったら、皆様の孫の世代ですが、世界の宇宙開発利用は大変なことになっているだろうと思います。それくらい、宇宙開発は身近なものなんだということを最後に理解していただきまして、今日のお話を終わらせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。


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