ロケットを作ろうと誘われたら、断る理由はない 漫画家 あさりよしとお
「まんがサイエンス」、「なつのロケット」など、科学系の漫画を多数執筆し、最近では民間でのロケット打ち上げに協力しているあさりよしとおさん。作品を通して伝えたいことや、民間の宇宙開発についてお話をうかがいました。
打ち上げを見るならライブに限る
科学漫画を書こうと思ったきっかけは?
アポロ11号の月着陸船(提供:NASA)
基本的には、科学が好きだからです。就学前から図鑑とか百科事典が愛読書で、その頃テレビでは『サンダーバード』や『宇宙大作戦(スタートレック)』などのSFドラマを放送していたりしました。小学校に上がると、ちょうどアポロ11号の月着陸という、歴史的イベントがあり、世の中が宇宙一色に染まっていたというのも原因です。
何より本物の宇宙船、アポロにはショックを受けました。それまでのSF映画には、流線型のロケットしか出ていなかったのに、月着陸船はなんかデコボコで、空気の無いところで使うから、抵抗を考えなくていいんだ!というのはものすごい説得力と影響力でした。
そのことが、将来ロケットを描くことにも繋がるのでしょうか?
月着陸の頃、1970年代初頭は、僕たちが読む少年誌の巻頭にもアポロ特集があって、SF小説も宇宙物一色と言った空気でした。でもその後しばらく宇宙ブームが来なくて……。1981年のスペースシャトル打ち上げで一時は盛り上がったのですが、それが下火になった頃には人類が他の天体に行った事などみんな忘れてしまったような状態で。
漫画家になった僕は、1989年のアポロ月着陸20周年にかこつけて、学習誌で一年間、ロケット開発史の漫画を描かせてもらいました。1992年の国際宇宙年の年に、学研から出版された『まんがサイエンスII:ロケットの作り方おしえます』という単行本です。この漫画で人類のロケット開発から宇宙進出までの歴史を描いてみたのですが、これを描いていた時の資料の集まらなさに、ちょっと愕然としました。当時はまだインターネットが発達していなかったこともありますが、関係資料がなかなか集まらないんです。つまり、メディアが要求しないから、資料が公表されず、流通していない。なんだか寂しくなりましたね。
そんなこともあって、1994年の純国産の大型ロケット「H-II」の打ち上げを機会に、宇宙を再び盛り上げたいと思ったんです。その時に初めてロケットの打ち上げを見に行って感動し、これを世間に広めなければと思ったのがきっかけです。
初めて見たロケットの打ち上げはいかかでしたか?
1994年の「H-IIロケット」打ち上げ
生で見る打ち上げは、テレビで見るのとは全然違うので驚きました。テレビではロケットだけをカメラが追いますが、現場では、見ている風景の中から炎を噴いて上昇していくわけです。それに人間の目には眩しい所から暗い所まで全部見えますが、カメラはロケットの炎に露出が合うとロケット本体は真っ暗に、ロケットの方に合うと今度は炎が白く飛んでしまい、肉眼で見ているようには映りません。ある程度妥協して撮っているんですね。それと、音というか衝撃波。腹にくるボボボボボボボという空気の振動が、カメラのマイクでは全然拾えていない。やはり、ロケットの打ち上げはライブで見たほうが面白いですね。自分の頭の中で思い描くのと全く違いますから。
ロケットは“人”によって打ち上げられる
ライブで見る打ち上げは想像しているのと全く違うんですね。
打ち上がる「イプシロンロケット」
ロケットがどんな場所で、どんな雰囲気の中で打ち上っていくのかも、H-IIロケットの打ち上げ現場まで行って知りました。ニュースはロケットその物しか追いませんが、現場に行くと、射場と、それを作る人たちの姿が見えるんです。結局、ロケットは「人」によって打ち上げられるわけです。そして打ち上げだけが全てではない。打ち上った後も衛星の追跡管制などがあるんですよね。ロケットにはたくさんの人が関わっていて、それが全部つながって動いているというのが、取材に行くまではピンときていませんでした。
それを知ってからは、打ち上げがまるで違ったものに見えるというか、リアリティを感じるというか。それをみんなに知らしめたい。自分が伝えなきゃと思って、その後、日本だけでなくアメリカのスペースシャトルも含め、ロケットの打ち上げを何回も見に行きました。取材そのもの以外に、行こうと思えば誰でも見に行けるんだということを証明する意味もありました。後に、ロケット発射場のある種子島に向かうフェリーで、僕の本を見て打ち上げを見に来たという人に声をかけられた時は嬉しかったですね。
9月14日には、7年ぶりに日本の固体燃料ロケットが復活しました。イプシロンロケットの打ち上げはライブでご覧になれましたか?
イプシロンロケットの打ち上げはその前に2回延期となって……。M-Vロケット以来ひさしぶりに内之浦(肝付町)に取材に行ったのですが、残念ながら打ち上げが延期になってそのものは見ることができませんでした。しかし、7年前に見た最後のM-Vロケットの時以上の人出で、町が沸きかえっていたのは頼もしい限りで、ロケットの打ち上げを見たいという人がこんなに増えたのかと、嬉しくなりました。90年代には、本当にわざわざ見に来る人は少なかったですから。
誰もやらないなら自分がやるしかない
あさりさんは、民間ロケットの開発を行なう「なつのロケット団」のメンバーです。どのようなきっかけで、ロケットの開発を行なうことに?
「なつのロケット団」 メンバー集合写真(提供:SNS)
『なつのロケット』 (C) YOSHITOH ASARI/白泉社
僕の夢は、日本人が日本のロケットで宇宙へ行くこと。でも、今あるロケットは、打ち上げ費用が1機数十億円で雲の上の存在。ましてや、日本独自の有人宇宙船は、開発の目処も立っておらず、実現の見込みは今のところないわけで。このままだと、自分が夢見た未来はやってこない。だったら自分たちでやるしかないと思ったんです。僕は技術者ではないので、現場では主に記録係と、ロケットを作る時に配管を切ったりといったお手伝いをしていますが。
いつ頃から行なっているのですか?
1997年に有志が集まって、H-IIロケットを使った、日本独自の有人宇宙船をやれないかという検討会が始まり、その後、他の既成のロケットエンジンを使った、新型ロケットで、同様の事ができないか?というふうに変化して行きました。そこから当時IT企業の社長だった堀江貴文さんに出資を持ちかけ、ロシアのロケットエンジンの購入を試みましたが、明らかに高い値段をふっかけられて断念。結局、一方的な交渉を避ける為には、たとえ性能が悪くても、自分たちでロケットエンジンを作れるという技術が必要だと分かりました。そこで、実際に作ってしまおうという話になったのが2005年の春でした。
その時中心になったのは、NASDA(現JAXA)の宇宙機エンジニアの野田篤司さんで、以前僕が野田さんにお願いして検討してもらった超小型ロケットの概念を実現しようということになりました。その超小型ロケットを描いたのが、漫画『なつのロケット』です。
先生の作品『なつのロケット』の主人公は小学生だったと思いますが……
僕たちがやっている民間ロケットの開発は、子どもの頃に思っていた夢を実現するために、いい年した大人がやっているわけですが、それは、幼い頃に買えなかった超合金(おもちゃ)を大人買いしているようなもの。それはちょっと寂しい気がしたんです。でも、フィクションの中だったら、小学生が夏休みにロケットを作って、人工衛星を打ち上げてしまってもいいじゃないかと。そこで野田さんに、「最小の人工衛星打ち上げロケットはどのくらいの大きさになりますか?」と聞いたのが、後にロケットを一緒に開発することになったきっかけです。
ロケット開発が面白くなってきた
ロケットの開発はどこまで進んでいますか?
「なつのロケット団」が開発する液体燃料ロケット「すずかぜ」(提供:SNS)
「すずかぜ」の打ち上げ (提供:nvs-live.com)
これまで、6基の小型の液体燃料ロケットの打ち上げ実験を行ないました。だいたい半年に1度のペースで打ち上げ実験をしています。2013年8月10日には、北海道の大樹町から、6号機となるロケット、『すずかぜ』の打ち上げを行ないました。『すずかぜ』の全長は約4.3mで、機体重量は113kg。今回の打ち上げでは最大高度6,535m、最大速度マッハ1.12(毎秒380m)を記録。打ち上げ後に、機体搭載カメラを回収し、GPS記録も取得しました。
まずクリアしたい目標は、単段式ロケットで高度100kmまで行くこと。それができれば、多段式ロケットへと進み、上段に小型の人工衛星を搭載することも可能になります。
日本で「なつのロケット団」の他に民間宇宙ロケットを開発しているところは?
僕たちよりも先に始めていたのが、北海道大学と、北海道赤平市にある植松電機によって開発が進められている、CAMUI(カムイ)というハイブリッドロケットです。CAMUIもまだ高度100kmを達成しておらず、いろいろな面で競争のようになっています。この競争が刺激になるんですよね。
だから、僕たちのように小さいチームが林立して、それぞれの特徴でグイグイ押してきてくれないかなと期待しています。最近は、都内の色々な大学で、ロケットエンジンの研究が行なわれていて、東海大は大樹町で打ち上げ実験も行なっています。なんだかこれは面白いことになってきたぞという感じで、ワクワクしています。
そこに科学がある
ところで、先生にとっての科学の面白さとは?
今まで知らなかったことを知ることです。僕は、何かが分かった瞬間の「ウオッ」という感覚が好きなんです。科学は、自分の身の回りのことが、なぜそうなっているかを説明してくれるじゃないですか。科学というと、いろんな数式が出てきて難しいというイメージを持たれがちですが、日常のあらゆるものが科学に繋がっているというか、科学は縁遠いものではなく、「そこにもここにも科学があるんだ」ということに気づいてほしいですね。
科学漫画を描く時に心がけていることはありますか?
漫画のストーリーを考えるときは、ただ説明や解説だけをしないようにしています。というか、何が分からないのか?ということが前提に来るように仕掛けています。あるいは、勘違いしやすい結論にわざと導いてから、ひっくり返すとか。分からないことを、一枚ずつめくって知っていく楽しさを知ってほしいですね。
特に子どもたちに伝えたいことはありますか?
一枚ずつめくって何かを知った時の「なるほど!」という感覚。ある知識をポンと渡されるよりも、ヒントを出されて、あれこれ考えて、やっと答えに辿り着く……分かった時の感動を味わってほしいと思っています。一度に全てを知るのも良いかもしれませんが、知識を覚えることよりも、順を追って分からなかったことを解明するプロセスの方を、楽しく感じてほしいと思っています。
今できることを最大限活かして、少しずつゴールに近付いていく面白さ。例えば、宇宙の研究。観測できる範囲が限られていて、その中で少しずつ宇宙の姿を解明しようとしていますよね。その面白さを伝えたいと思うし、その研究の根底にあるものは、「知りたい」という好奇心であるということを描いていきたいと思います。
今後はどのような漫画を描いていきたいですか?
『アステロイド・マイナーズ』 © YOSHITOH ASARI/徳間書店
「自分たちの日常は、どこまでも外へ続いている」ということを描いていきたいです。僕にとって「生活すること」が基本ですから、『アステロイド・マイナーズ』という作品に登場するのも、小惑星で暮らしているありふれた人間です。宇宙へ行くことは、決して珍しいことではないと言いたいですね。
今の日常の生活が当たり前になっていますけれど、例えば、酸素が欠落しただけで成り立たなくなります。逆に言えば、それらが成立すれば、どこででも人間は生活できるだろうという発想にもなるわけですから。宇宙で実際に人が暮らし始めたらどうなるかを見せたいです。宇宙へ行けばどんな生活になるのか、それがイメージできれば、より現実味が増すんじゃないかと思うのです。
例えば、生活のために必要な資源やエネルギーはどうするのか?とか。やはり、宇宙で資源を調達して、それを現地で使うのが一番合理的なんですよね。それを考えると、資源を期待できるのが小惑星。我々「なつのロケット団」でも、最終的には地球近傍小惑星あるいは小惑星帯までは行きたいと話しています。
いつも僕が思うのは、たとえ宇宙へ行っても、どんな場所でも人間は人間であるということ。生きて行かなければならないんです。その姿をリアルに描いていきたいですね。
宇宙大航海は日本人の手で
JAXAに期待することは?
有人宇宙飛行を早くやってほしいです。ヨーロッパ人が海外進出をした15世紀中頃から17世紀中頃までの間を、大航海時代と呼びますが、日本には大航海時代がありませんでした。海はヨーロッパ人が探検したけれど、宇宙のそれは日本人がやるんだという気持ちで挑戦してほしいです。日本人は狭い宇宙船向きの人種ですしね(笑)。日本人は、天井が低くて小さい部屋に慣れているので、狭い宇宙船内に長時間居ても不快に思わない。かえって狭い方が安心するんじゃないかと、僕は思っているんです。それに、なぜ日本は独自に国際宇宙ステーションに人を送れないんだろうって、悔しくなりませんか。
技術はあっても開発費用がありませんから。
いや、結局一番の問題は、そこで人が死んだら誰が責任を取るんだという流れになってしまうことですね。日本は責任の追求の中から、事故原因の究明に至る手順になっていますから、どうしても大きな飛躍を前にすると萎縮してしまう。一方、アメリカだと、何か事故が起きた場合、失敗の原因が何かを真っ先に考えて、それを取り除けば次は成功するだろうというドライな考え方をします。だから、何か事故があった場合、責任は問わないから全部正直に話させて、問題点を潰して前に進みますが、日本の場合は、責任を取らされるのが怖いから、みんな口を閉じてしまう。何か事故が起こる可能性があるなら、やらない方がいいという発想になるので、なかなか冒険的なことができない。でも、何かが起こることを恐れていたら、先には進めないんです。
その先の道を作るために
宇宙開発には時間と費用がかかりますが、それでもロケットの開発をする原動力はどこにあるのでしょうか?
確かにお金はかかりますね。今も、活動を記録するカメラは自前だし、開発拠点のある北海道へ行く交通費も自分で負担しています。時には、ロケットの材料を自分で買うこともありますが、これはメンバーみんな同じです。それでもロケット作りを止めないのは、「その先の道を作る」という気持ちがあるからでしょうか。自分たちのロケットを成功させたいという気持ちはもちろんあります。だけど、もっと若い世代、あるいは他の団体がそれを実現しても良いと僕は思っています。民間でもできるんだという流れを作って、その流れを将来に繋げたい。その思いがあるからこそ続けられるのだと思います。
とにかくやってみよう!という意気込みが大事なのでしょうね。
「ロケットを作ろう」と誘われて、断る理由はどこにあるの?!
……実はこれが、自分の一番正直な気持ちです。僕には、ロケット作りを止める理由がどこにもないんです。
科学漫画を書こうと思ったきっかけは?
アポロ11号の月着陸船(提供:NASA)
基本的には、科学が好きだからです。就学前から図鑑とか百科事典が愛読書で、その頃テレビでは『サンダーバード』や『宇宙大作戦(スタートレック)』などのSFドラマを放送していたりしました。小学校に上がると、ちょうどアポロ11号の月着陸という、歴史的イベントがあり、世の中が宇宙一色に染まっていたというのも原因です。
何より本物の宇宙船、アポロにはショックを受けました。それまでのSF映画には、流線型のロケットしか出ていなかったのに、月着陸船はなんかデコボコで、空気の無いところで使うから、抵抗を考えなくていいんだ!というのはものすごい説得力と影響力でした。
そのことが、将来ロケットを描くことにも繋がるのでしょうか?
月着陸の頃、1970年代初頭は、僕たちが読む少年誌の巻頭にもアポロ特集があって、SF小説も宇宙物一色と言った空気でした。でもその後しばらく宇宙ブームが来なくて……。1981年のスペースシャトル打ち上げで一時は盛り上がったのですが、それが下火になった頃には人類が他の天体に行った事などみんな忘れてしまったような状態で。
漫画家になった僕は、1989年のアポロ月着陸20周年にかこつけて、学習誌で一年間、ロケット開発史の漫画を描かせてもらいました。1992年の国際宇宙年の年に、学研から出版された『まんがサイエンスII:ロケットの作り方おしえます』という単行本です。この漫画で人類のロケット開発から宇宙進出までの歴史を描いてみたのですが、これを描いていた時の資料の集まらなさに、ちょっと愕然としました。当時はまだインターネットが発達していなかったこともありますが、関係資料がなかなか集まらないんです。つまり、メディアが要求しないから、資料が公表されず、流通していない。なんだか寂しくなりましたね。
そんなこともあって、1994年の純国産の大型ロケット「H-II」の打ち上げを機会に、宇宙を再び盛り上げたいと思ったんです。その時に初めてロケットの打ち上げを見に行って感動し、これを世間に広めなければと思ったのがきっかけです。
初めて見たロケットの打ち上げはいかかでしたか?
1994年の「H-IIロケット」打ち上げ
生で見る打ち上げは、テレビで見るのとは全然違うので驚きました。テレビではロケットだけをカメラが追いますが、現場では、見ている風景の中から炎を噴いて上昇していくわけです。それに人間の目には眩しい所から暗い所まで全部見えますが、カメラはロケットの炎に露出が合うとロケット本体は真っ暗に、ロケットの方に合うと今度は炎が白く飛んでしまい、肉眼で見ているようには映りません。ある程度妥協して撮っているんですね。それと、音というか衝撃波。腹にくるボボボボボボボという空気の振動が、カメラのマイクでは全然拾えていない。やはり、ロケットの打ち上げはライブで見たほうが面白いですね。自分の頭の中で思い描くのと全く違いますから。
ライブで見る打ち上げは想像しているのと全く違うんですね。
打ち上がる「イプシロンロケット」
ロケットがどんな場所で、どんな雰囲気の中で打ち上っていくのかも、H-IIロケットの打ち上げ現場まで行って知りました。ニュースはロケットその物しか追いませんが、現場に行くと、射場と、それを作る人たちの姿が見えるんです。結局、ロケットは「人」によって打ち上げられるわけです。そして打ち上げだけが全てではない。打ち上った後も衛星の追跡管制などがあるんですよね。ロケットにはたくさんの人が関わっていて、それが全部つながって動いているというのが、取材に行くまではピンときていませんでした。
それを知ってからは、打ち上げがまるで違ったものに見えるというか、リアリティを感じるというか。それをみんなに知らしめたい。自分が伝えなきゃと思って、その後、日本だけでなくアメリカのスペースシャトルも含め、ロケットの打ち上げを何回も見に行きました。取材そのもの以外に、行こうと思えば誰でも見に行けるんだということを証明する意味もありました。後に、ロケット発射場のある種子島に向かうフェリーで、僕の本を見て打ち上げを見に来たという人に声をかけられた時は嬉しかったですね。
9月14日には、7年ぶりに日本の固体燃料ロケットが復活しました。イプシロンロケットの打ち上げはライブでご覧になれましたか?
イプシロンロケットの打ち上げはその前に2回延期となって……。M-Vロケット以来ひさしぶりに内之浦(肝付町)に取材に行ったのですが、残念ながら打ち上げが延期になってそのものは見ることができませんでした。しかし、7年前に見た最後のM-Vロケットの時以上の人出で、町が沸きかえっていたのは頼もしい限りで、ロケットの打ち上げを見たいという人がこんなに増えたのかと、嬉しくなりました。90年代には、本当にわざわざ見に来る人は少なかったですから。
誰もやらないなら自分がやるしかない
あさりさんは、民間ロケットの開発を行なう「なつのロケット団」のメンバーです。どのようなきっかけで、ロケットの開発を行なうことに?
「なつのロケット団」 メンバー集合写真(提供:SNS)
『なつのロケット』 (C) YOSHITOH ASARI/白泉社
僕の夢は、日本人が日本のロケットで宇宙へ行くこと。でも、今あるロケットは、打ち上げ費用が1機数十億円で雲の上の存在。ましてや、日本独自の有人宇宙船は、開発の目処も立っておらず、実現の見込みは今のところないわけで。このままだと、自分が夢見た未来はやってこない。だったら自分たちでやるしかないと思ったんです。僕は技術者ではないので、現場では主に記録係と、ロケットを作る時に配管を切ったりといったお手伝いをしていますが。
いつ頃から行なっているのですか?
1997年に有志が集まって、H-IIロケットを使った、日本独自の有人宇宙船をやれないかという検討会が始まり、その後、他の既成のロケットエンジンを使った、新型ロケットで、同様の事ができないか?というふうに変化して行きました。そこから当時IT企業の社長だった堀江貴文さんに出資を持ちかけ、ロシアのロケットエンジンの購入を試みましたが、明らかに高い値段をふっかけられて断念。結局、一方的な交渉を避ける為には、たとえ性能が悪くても、自分たちでロケットエンジンを作れるという技術が必要だと分かりました。そこで、実際に作ってしまおうという話になったのが2005年の春でした。
その時中心になったのは、NASDA(現JAXA)の宇宙機エンジニアの野田篤司さんで、以前僕が野田さんにお願いして検討してもらった超小型ロケットの概念を実現しようということになりました。その超小型ロケットを描いたのが、漫画『なつのロケット』です。
先生の作品『なつのロケット』の主人公は小学生だったと思いますが……
僕たちがやっている民間ロケットの開発は、子どもの頃に思っていた夢を実現するために、いい年した大人がやっているわけですが、それは、幼い頃に買えなかった超合金(おもちゃ)を大人買いしているようなもの。それはちょっと寂しい気がしたんです。でも、フィクションの中だったら、小学生が夏休みにロケットを作って、人工衛星を打ち上げてしまってもいいじゃないかと。そこで野田さんに、「最小の人工衛星打ち上げロケットはどのくらいの大きさになりますか?」と聞いたのが、後にロケットを一緒に開発することになったきっかけです。
ロケット開発が面白くなってきた
ロケットの開発はどこまで進んでいますか?
「なつのロケット団」が開発する液体燃料ロケット「すずかぜ」(提供:SNS)
「すずかぜ」の打ち上げ (提供:nvs-live.com)
これまで、6基の小型の液体燃料ロケットの打ち上げ実験を行ないました。だいたい半年に1度のペースで打ち上げ実験をしています。2013年8月10日には、北海道の大樹町から、6号機となるロケット、『すずかぜ』の打ち上げを行ないました。『すずかぜ』の全長は約4.3mで、機体重量は113kg。今回の打ち上げでは最大高度6,535m、最大速度マッハ1.12(毎秒380m)を記録。打ち上げ後に、機体搭載カメラを回収し、GPS記録も取得しました。
まずクリアしたい目標は、単段式ロケットで高度100kmまで行くこと。それができれば、多段式ロケットへと進み、上段に小型の人工衛星を搭載することも可能になります。
日本で「なつのロケット団」の他に民間宇宙ロケットを開発しているところは?
僕たちよりも先に始めていたのが、北海道大学と、北海道赤平市にある植松電機によって開発が進められている、CAMUI(カムイ)というハイブリッドロケットです。CAMUIもまだ高度100kmを達成しておらず、いろいろな面で競争のようになっています。この競争が刺激になるんですよね。
だから、僕たちのように小さいチームが林立して、それぞれの特徴でグイグイ押してきてくれないかなと期待しています。最近は、都内の色々な大学で、ロケットエンジンの研究が行なわれていて、東海大は大樹町で打ち上げ実験も行なっています。なんだかこれは面白いことになってきたぞという感じで、ワクワクしています。
そこに科学がある
ところで、先生にとっての科学の面白さとは?
今まで知らなかったことを知ることです。僕は、何かが分かった瞬間の「ウオッ」という感覚が好きなんです。科学は、自分の身の回りのことが、なぜそうなっているかを説明してくれるじゃないですか。科学というと、いろんな数式が出てきて難しいというイメージを持たれがちですが、日常のあらゆるものが科学に繋がっているというか、科学は縁遠いものではなく、「そこにもここにも科学があるんだ」ということに気づいてほしいですね。
科学漫画を描く時に心がけていることはありますか?
漫画のストーリーを考えるときは、ただ説明や解説だけをしないようにしています。というか、何が分からないのか?ということが前提に来るように仕掛けています。あるいは、勘違いしやすい結論にわざと導いてから、ひっくり返すとか。分からないことを、一枚ずつめくって知っていく楽しさを知ってほしいですね。
特に子どもたちに伝えたいことはありますか?
一枚ずつめくって何かを知った時の「なるほど!」という感覚。ある知識をポンと渡されるよりも、ヒントを出されて、あれこれ考えて、やっと答えに辿り着く……分かった時の感動を味わってほしいと思っています。一度に全てを知るのも良いかもしれませんが、知識を覚えることよりも、順を追って分からなかったことを解明するプロセスの方を、楽しく感じてほしいと思っています。
今できることを最大限活かして、少しずつゴールに近付いていく面白さ。例えば、宇宙の研究。観測できる範囲が限られていて、その中で少しずつ宇宙の姿を解明しようとしていますよね。その面白さを伝えたいと思うし、その研究の根底にあるものは、「知りたい」という好奇心であるということを描いていきたいと思います。
今後はどのような漫画を描いていきたいですか?
『アステロイド・マイナーズ』 © YOSHITOH ASARI/徳間書店
「自分たちの日常は、どこまでも外へ続いている」ということを描いていきたいです。僕にとって「生活すること」が基本ですから、『アステロイド・マイナーズ』という作品に登場するのも、小惑星で暮らしているありふれた人間です。宇宙へ行くことは、決して珍しいことではないと言いたいですね。
今の日常の生活が当たり前になっていますけれど、例えば、酸素が欠落しただけで成り立たなくなります。逆に言えば、それらが成立すれば、どこででも人間は生活できるだろうという発想にもなるわけですから。宇宙で実際に人が暮らし始めたらどうなるかを見せたいです。宇宙へ行けばどんな生活になるのか、それがイメージできれば、より現実味が増すんじゃないかと思うのです。
例えば、生活のために必要な資源やエネルギーはどうするのか?とか。やはり、宇宙で資源を調達して、それを現地で使うのが一番合理的なんですよね。それを考えると、資源を期待できるのが小惑星。我々「なつのロケット団」でも、最終的には地球近傍小惑星あるいは小惑星帯までは行きたいと話しています。
いつも僕が思うのは、たとえ宇宙へ行っても、どんな場所でも人間は人間であるということ。生きて行かなければならないんです。その姿をリアルに描いていきたいですね。
宇宙大航海は日本人の手で
JAXAに期待することは?
有人宇宙飛行を早くやってほしいです。ヨーロッパ人が海外進出をした15世紀中頃から17世紀中頃までの間を、大航海時代と呼びますが、日本には大航海時代がありませんでした。海はヨーロッパ人が探検したけれど、宇宙のそれは日本人がやるんだという気持ちで挑戦してほしいです。日本人は狭い宇宙船向きの人種ですしね(笑)。日本人は、天井が低くて小さい部屋に慣れているので、狭い宇宙船内に長時間居ても不快に思わない。かえって狭い方が安心するんじゃないかと、僕は思っているんです。それに、なぜ日本は独自に国際宇宙ステーションに人を送れないんだろうって、悔しくなりませんか。
技術はあっても開発費用がありませんから。
いや、結局一番の問題は、そこで人が死んだら誰が責任を取るんだという流れになってしまうことですね。日本は責任の追求の中から、事故原因の究明に至る手順になっていますから、どうしても大きな飛躍を前にすると萎縮してしまう。一方、アメリカだと、何か事故が起きた場合、失敗の原因が何かを真っ先に考えて、それを取り除けば次は成功するだろうというドライな考え方をします。だから、何か事故があった場合、責任は問わないから全部正直に話させて、問題点を潰して前に進みますが、日本の場合は、責任を取らされるのが怖いから、みんな口を閉じてしまう。何か事故が起こる可能性があるなら、やらない方がいいという発想になるので、なかなか冒険的なことができない。でも、何かが起こることを恐れていたら、先には進めないんです。
その先の道を作るために
宇宙開発には時間と費用がかかりますが、それでもロケットの開発をする原動力はどこにあるのでしょうか?
確かにお金はかかりますね。今も、活動を記録するカメラは自前だし、開発拠点のある北海道へ行く交通費も自分で負担しています。時には、ロケットの材料を自分で買うこともありますが、これはメンバーみんな同じです。それでもロケット作りを止めないのは、「その先の道を作る」という気持ちがあるからでしょうか。自分たちのロケットを成功させたいという気持ちはもちろんあります。だけど、もっと若い世代、あるいは他の団体がそれを実現しても良いと僕は思っています。民間でもできるんだという流れを作って、その流れを将来に繋げたい。その思いがあるからこそ続けられるのだと思います。
とにかくやってみよう!という意気込みが大事なのでしょうね。
「ロケットを作ろう」と誘われて、断る理由はどこにあるの?!
……実はこれが、自分の一番正直な気持ちです。僕には、ロケット作りを止める理由がどこにもないんです。
あさりさんは、民間ロケットの開発を行なう「なつのロケット団」のメンバーです。どのようなきっかけで、ロケットの開発を行なうことに?
「なつのロケット団」 メンバー集合写真(提供:SNS)
『なつのロケット』 (C) YOSHITOH ASARI/白泉社
僕の夢は、日本人が日本のロケットで宇宙へ行くこと。でも、今あるロケットは、打ち上げ費用が1機数十億円で雲の上の存在。ましてや、日本独自の有人宇宙船は、開発の目処も立っておらず、実現の見込みは今のところないわけで。このままだと、自分が夢見た未来はやってこない。だったら自分たちでやるしかないと思ったんです。僕は技術者ではないので、現場では主に記録係と、ロケットを作る時に配管を切ったりといったお手伝いをしていますが。
いつ頃から行なっているのですか?
1997年に有志が集まって、H-IIロケットを使った、日本独自の有人宇宙船をやれないかという検討会が始まり、その後、他の既成のロケットエンジンを使った、新型ロケットで、同様の事ができないか?というふうに変化して行きました。そこから当時IT企業の社長だった堀江貴文さんに出資を持ちかけ、ロシアのロケットエンジンの購入を試みましたが、明らかに高い値段をふっかけられて断念。結局、一方的な交渉を避ける為には、たとえ性能が悪くても、自分たちでロケットエンジンを作れるという技術が必要だと分かりました。そこで、実際に作ってしまおうという話になったのが2005年の春でした。
その時中心になったのは、NASDA(現JAXA)の宇宙機エンジニアの野田篤司さんで、以前僕が野田さんにお願いして検討してもらった超小型ロケットの概念を実現しようということになりました。その超小型ロケットを描いたのが、漫画『なつのロケット』です。
先生の作品『なつのロケット』の主人公は小学生だったと思いますが……
僕たちがやっている民間ロケットの開発は、子どもの頃に思っていた夢を実現するために、いい年した大人がやっているわけですが、それは、幼い頃に買えなかった超合金(おもちゃ)を大人買いしているようなもの。それはちょっと寂しい気がしたんです。でも、フィクションの中だったら、小学生が夏休みにロケットを作って、人工衛星を打ち上げてしまってもいいじゃないかと。そこで野田さんに、「最小の人工衛星打ち上げロケットはどのくらいの大きさになりますか?」と聞いたのが、後にロケットを一緒に開発することになったきっかけです。
ロケットの開発はどこまで進んでいますか?
「なつのロケット団」が開発する液体燃料ロケット「すずかぜ」(提供:SNS)
「すずかぜ」の打ち上げ (提供:nvs-live.com)
これまで、6基の小型の液体燃料ロケットの打ち上げ実験を行ないました。だいたい半年に1度のペースで打ち上げ実験をしています。2013年8月10日には、北海道の大樹町から、6号機となるロケット、『すずかぜ』の打ち上げを行ないました。『すずかぜ』の全長は約4.3mで、機体重量は113kg。今回の打ち上げでは最大高度6,535m、最大速度マッハ1.12(毎秒380m)を記録。打ち上げ後に、機体搭載カメラを回収し、GPS記録も取得しました。
まずクリアしたい目標は、単段式ロケットで高度100kmまで行くこと。それができれば、多段式ロケットへと進み、上段に小型の人工衛星を搭載することも可能になります。
日本で「なつのロケット団」の他に民間宇宙ロケットを開発しているところは?
僕たちよりも先に始めていたのが、北海道大学と、北海道赤平市にある植松電機によって開発が進められている、CAMUI(カムイ)というハイブリッドロケットです。CAMUIもまだ高度100kmを達成しておらず、いろいろな面で競争のようになっています。この競争が刺激になるんですよね。
だから、僕たちのように小さいチームが林立して、それぞれの特徴でグイグイ押してきてくれないかなと期待しています。最近は、都内の色々な大学で、ロケットエンジンの研究が行なわれていて、東海大は大樹町で打ち上げ実験も行なっています。なんだかこれは面白いことになってきたぞという感じで、ワクワクしています。
そこに科学がある
ところで、先生にとっての科学の面白さとは?
今まで知らなかったことを知ることです。僕は、何かが分かった瞬間の「ウオッ」という感覚が好きなんです。科学は、自分の身の回りのことが、なぜそうなっているかを説明してくれるじゃないですか。科学というと、いろんな数式が出てきて難しいというイメージを持たれがちですが、日常のあらゆるものが科学に繋がっているというか、科学は縁遠いものではなく、「そこにもここにも科学があるんだ」ということに気づいてほしいですね。
科学漫画を描く時に心がけていることはありますか?
漫画のストーリーを考えるときは、ただ説明や解説だけをしないようにしています。というか、何が分からないのか?ということが前提に来るように仕掛けています。あるいは、勘違いしやすい結論にわざと導いてから、ひっくり返すとか。分からないことを、一枚ずつめくって知っていく楽しさを知ってほしいですね。
特に子どもたちに伝えたいことはありますか?
一枚ずつめくって何かを知った時の「なるほど!」という感覚。ある知識をポンと渡されるよりも、ヒントを出されて、あれこれ考えて、やっと答えに辿り着く……分かった時の感動を味わってほしいと思っています。一度に全てを知るのも良いかもしれませんが、知識を覚えることよりも、順を追って分からなかったことを解明するプロセスの方を、楽しく感じてほしいと思っています。
今できることを最大限活かして、少しずつゴールに近付いていく面白さ。例えば、宇宙の研究。観測できる範囲が限られていて、その中で少しずつ宇宙の姿を解明しようとしていますよね。その面白さを伝えたいと思うし、その研究の根底にあるものは、「知りたい」という好奇心であるということを描いていきたいと思います。
今後はどのような漫画を描いていきたいですか?
『アステロイド・マイナーズ』 © YOSHITOH ASARI/徳間書店
「自分たちの日常は、どこまでも外へ続いている」ということを描いていきたいです。僕にとって「生活すること」が基本ですから、『アステロイド・マイナーズ』という作品に登場するのも、小惑星で暮らしているありふれた人間です。宇宙へ行くことは、決して珍しいことではないと言いたいですね。
今の日常の生活が当たり前になっていますけれど、例えば、酸素が欠落しただけで成り立たなくなります。逆に言えば、それらが成立すれば、どこででも人間は生活できるだろうという発想にもなるわけですから。宇宙で実際に人が暮らし始めたらどうなるかを見せたいです。宇宙へ行けばどんな生活になるのか、それがイメージできれば、より現実味が増すんじゃないかと思うのです。
例えば、生活のために必要な資源やエネルギーはどうするのか?とか。やはり、宇宙で資源を調達して、それを現地で使うのが一番合理的なんですよね。それを考えると、資源を期待できるのが小惑星。我々「なつのロケット団」でも、最終的には地球近傍小惑星あるいは小惑星帯までは行きたいと話しています。
いつも僕が思うのは、たとえ宇宙へ行っても、どんな場所でも人間は人間であるということ。生きて行かなければならないんです。その姿をリアルに描いていきたいですね。
宇宙大航海は日本人の手で
JAXAに期待することは?
有人宇宙飛行を早くやってほしいです。ヨーロッパ人が海外進出をした15世紀中頃から17世紀中頃までの間を、大航海時代と呼びますが、日本には大航海時代がありませんでした。海はヨーロッパ人が探検したけれど、宇宙のそれは日本人がやるんだという気持ちで挑戦してほしいです。日本人は狭い宇宙船向きの人種ですしね(笑)。日本人は、天井が低くて小さい部屋に慣れているので、狭い宇宙船内に長時間居ても不快に思わない。かえって狭い方が安心するんじゃないかと、僕は思っているんです。それに、なぜ日本は独自に国際宇宙ステーションに人を送れないんだろうって、悔しくなりませんか。
技術はあっても開発費用がありませんから。
いや、結局一番の問題は、そこで人が死んだら誰が責任を取るんだという流れになってしまうことですね。日本は責任の追求の中から、事故原因の究明に至る手順になっていますから、どうしても大きな飛躍を前にすると萎縮してしまう。一方、アメリカだと、何か事故が起きた場合、失敗の原因が何かを真っ先に考えて、それを取り除けば次は成功するだろうというドライな考え方をします。だから、何か事故があった場合、責任は問わないから全部正直に話させて、問題点を潰して前に進みますが、日本の場合は、責任を取らされるのが怖いから、みんな口を閉じてしまう。何か事故が起こる可能性があるなら、やらない方がいいという発想になるので、なかなか冒険的なことができない。でも、何かが起こることを恐れていたら、先には進めないんです。
その先の道を作るために
宇宙開発には時間と費用がかかりますが、それでもロケットの開発をする原動力はどこにあるのでしょうか?
確かにお金はかかりますね。今も、活動を記録するカメラは自前だし、開発拠点のある北海道へ行く交通費も自分で負担しています。時には、ロケットの材料を自分で買うこともありますが、これはメンバーみんな同じです。それでもロケット作りを止めないのは、「その先の道を作る」という気持ちがあるからでしょうか。自分たちのロケットを成功させたいという気持ちはもちろんあります。だけど、もっと若い世代、あるいは他の団体がそれを実現しても良いと僕は思っています。民間でもできるんだという流れを作って、その流れを将来に繋げたい。その思いがあるからこそ続けられるのだと思います。
とにかくやってみよう!という意気込みが大事なのでしょうね。
「ロケットを作ろう」と誘われて、断る理由はどこにあるの?!
……実はこれが、自分の一番正直な気持ちです。僕には、ロケット作りを止める理由がどこにもないんです。
ところで、先生にとっての科学の面白さとは?
今まで知らなかったことを知ることです。僕は、何かが分かった瞬間の「ウオッ」という感覚が好きなんです。科学は、自分の身の回りのことが、なぜそうなっているかを説明してくれるじゃないですか。科学というと、いろんな数式が出てきて難しいというイメージを持たれがちですが、日常のあらゆるものが科学に繋がっているというか、科学は縁遠いものではなく、「そこにもここにも科学があるんだ」ということに気づいてほしいですね。
科学漫画を描く時に心がけていることはありますか?
漫画のストーリーを考えるときは、ただ説明や解説だけをしないようにしています。というか、何が分からないのか?ということが前提に来るように仕掛けています。あるいは、勘違いしやすい結論にわざと導いてから、ひっくり返すとか。分からないことを、一枚ずつめくって知っていく楽しさを知ってほしいですね。
特に子どもたちに伝えたいことはありますか?
一枚ずつめくって何かを知った時の「なるほど!」という感覚。ある知識をポンと渡されるよりも、ヒントを出されて、あれこれ考えて、やっと答えに辿り着く……分かった時の感動を味わってほしいと思っています。一度に全てを知るのも良いかもしれませんが、知識を覚えることよりも、順を追って分からなかったことを解明するプロセスの方を、楽しく感じてほしいと思っています。
今できることを最大限活かして、少しずつゴールに近付いていく面白さ。例えば、宇宙の研究。観測できる範囲が限られていて、その中で少しずつ宇宙の姿を解明しようとしていますよね。その面白さを伝えたいと思うし、その研究の根底にあるものは、「知りたい」という好奇心であるということを描いていきたいと思います。
今後はどのような漫画を描いていきたいですか?
『アステロイド・マイナーズ』 © YOSHITOH ASARI/徳間書店
「自分たちの日常は、どこまでも外へ続いている」ということを描いていきたいです。僕にとって「生活すること」が基本ですから、『アステロイド・マイナーズ』という作品に登場するのも、小惑星で暮らしているありふれた人間です。宇宙へ行くことは、決して珍しいことではないと言いたいですね。
今の日常の生活が当たり前になっていますけれど、例えば、酸素が欠落しただけで成り立たなくなります。逆に言えば、それらが成立すれば、どこででも人間は生活できるだろうという発想にもなるわけですから。宇宙で実際に人が暮らし始めたらどうなるかを見せたいです。宇宙へ行けばどんな生活になるのか、それがイメージできれば、より現実味が増すんじゃないかと思うのです。
例えば、生活のために必要な資源やエネルギーはどうするのか?とか。やはり、宇宙で資源を調達して、それを現地で使うのが一番合理的なんですよね。それを考えると、資源を期待できるのが小惑星。我々「なつのロケット団」でも、最終的には地球近傍小惑星あるいは小惑星帯までは行きたいと話しています。
いつも僕が思うのは、たとえ宇宙へ行っても、どんな場所でも人間は人間であるということ。生きて行かなければならないんです。その姿をリアルに描いていきたいですね。
JAXAに期待することは?
有人宇宙飛行を早くやってほしいです。ヨーロッパ人が海外進出をした15世紀中頃から17世紀中頃までの間を、大航海時代と呼びますが、日本には大航海時代がありませんでした。海はヨーロッパ人が探検したけれど、宇宙のそれは日本人がやるんだという気持ちで挑戦してほしいです。日本人は狭い宇宙船向きの人種ですしね(笑)。日本人は、天井が低くて小さい部屋に慣れているので、狭い宇宙船内に長時間居ても不快に思わない。かえって狭い方が安心するんじゃないかと、僕は思っているんです。それに、なぜ日本は独自に国際宇宙ステーションに人を送れないんだろうって、悔しくなりませんか。
技術はあっても開発費用がありませんから。
いや、結局一番の問題は、そこで人が死んだら誰が責任を取るんだという流れになってしまうことですね。日本は責任の追求の中から、事故原因の究明に至る手順になっていますから、どうしても大きな飛躍を前にすると萎縮してしまう。一方、アメリカだと、何か事故が起きた場合、失敗の原因が何かを真っ先に考えて、それを取り除けば次は成功するだろうというドライな考え方をします。だから、何か事故があった場合、責任は問わないから全部正直に話させて、問題点を潰して前に進みますが、日本の場合は、責任を取らされるのが怖いから、みんな口を閉じてしまう。何か事故が起こる可能性があるなら、やらない方がいいという発想になるので、なかなか冒険的なことができない。でも、何かが起こることを恐れていたら、先には進めないんです。
その先の道を作るために
宇宙開発には時間と費用がかかりますが、それでもロケットの開発をする原動力はどこにあるのでしょうか?
確かにお金はかかりますね。今も、活動を記録するカメラは自前だし、開発拠点のある北海道へ行く交通費も自分で負担しています。時には、ロケットの材料を自分で買うこともありますが、これはメンバーみんな同じです。それでもロケット作りを止めないのは、「その先の道を作る」という気持ちがあるからでしょうか。自分たちのロケットを成功させたいという気持ちはもちろんあります。だけど、もっと若い世代、あるいは他の団体がそれを実現しても良いと僕は思っています。民間でもできるんだという流れを作って、その流れを将来に繋げたい。その思いがあるからこそ続けられるのだと思います。
とにかくやってみよう!という意気込みが大事なのでしょうね。
「ロケットを作ろう」と誘われて、断る理由はどこにあるの?!
……実はこれが、自分の一番正直な気持ちです。僕には、ロケット作りを止める理由がどこにもないんです。
宇宙開発には時間と費用がかかりますが、それでもロケットの開発をする原動力はどこにあるのでしょうか?
確かにお金はかかりますね。今も、活動を記録するカメラは自前だし、開発拠点のある北海道へ行く交通費も自分で負担しています。時には、ロケットの材料を自分で買うこともありますが、これはメンバーみんな同じです。それでもロケット作りを止めないのは、「その先の道を作る」という気持ちがあるからでしょうか。自分たちのロケットを成功させたいという気持ちはもちろんあります。だけど、もっと若い世代、あるいは他の団体がそれを実現しても良いと僕は思っています。民間でもできるんだという流れを作って、その流れを将来に繋げたい。その思いがあるからこそ続けられるのだと思います。
とにかくやってみよう!という意気込みが大事なのでしょうね。
「ロケットを作ろう」と誘われて、断る理由はどこにあるの?!
……実はこれが、自分の一番正直な気持ちです。僕には、ロケット作りを止める理由がどこにもないんです。
浅利義遠(あさりよしとお)
漫画家
1962年、北海道生まれ。1981年に『木星ピケットライン』でデビュー。1987年より科学学習漫画『まんがサイエンス』の連載を開始し、現在も継続中。ロケット好きで、民間でロケット開発に挑む「なつのロケット団」に参加。その実録をまとめた『宇宙へ行きたくて液体燃料ロケットをDIYしてみた』が2013年に出版される。『なつのロケット』『アステロイド・マイナーズ』『小惑星に挑む』など、宇宙に関する作品多数。宇宙作家クラブ会員。
[2013年10月公開]