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はやぶさ2特設サイト

「はやぶさ2」の旅立ちを振り返って

小惑星探査機「はやぶさ2」は、
2014年12月3日、H-IIAロケット26号機によって
種子島宇宙センターから打ち上げられた。
相乗りペイロードの、東京大学と宇宙研が開発した
超小型深宇宙探査機PROCYON(プロキオン)と、
多摩美術大学が開発した深宇宙彫刻
ARTSAT2:DESPATCH(デスパッチ)、
九州工業大学と鹿児島大学が開発した
深宇宙通信実験機「しんえん2」も、
宇宙へと旅立った。
打ち上げ当日の各地の様子を紹介する。
(出典:ISASニュース 2015.1 No. 406)



写真:H-IIAロケット結合リング上の「はやぶさ2」と相乗りペイロード。左手前がPROCYON、左奥がDESPATCH、右奥が「しんえん2」。

「はやぶさ2」の宇宙探査

國中 均

「はやぶさ2」プロジェクトマネージャ

 「はやぶさ2」の目的をあらためて説明したい。探査対象の小惑星1999 JU3は、S型のイトカワとは異なる組成のC型であり、水や有機物を含む可能性が指摘されている。第一の目的は、その場観測や持ち帰ったサンプルの直接分析から太陽系宇宙の生い立ちや生命の起源に肉薄し、“宇宙科学” を前進させることにある。「はやぶさ1」ではたくさんの故障を起こしたけれど、これを克服してより完全な探査機を実現させるという “宇宙工学” 上の目的が第二だ。
 本稿では、第三の目的である “宇宙探査” に文字数を割きたい。宇宙技術の利用は、天文観測、超高層/磁気圏観測、無重力利用、地表観測・監視、気象観測、放送、通信、測位......と大変広範囲に及ぶ。さしずめ前半が科学、後半が衛星利用となろう。技術が進歩・成熟し、次の新しい領域への進出が可能となってきた。それは、地球を離れ太陽系宇宙に乗り出し、人類の活動領域を拡大させるとともに、地球に還元させる活動──宇宙探査(SpaceExploration)だ。
 後から人が行くために、まずはロボットでの宇宙探険から取り掛かろう。月周回衛星「かぐや」や「はやぶさ1」は、斥候として事前に探ってくるロボット探査の典型だ。特に「はやぶさ1」が先鞭をつけた「小惑星サンプルリターン法」は、日本の実情や国力に見合っていて、どこの国々も手を付けていない新領域として見いだされ、往復探査の高い波及効果が実証された。そのことは、NASAが小惑星サンプルリターンOSIRIS-REx計画として2016年に探査機の打ち上げを目指していることからもうかがい知れる。
 小惑星関連話題として、2013年にロシアでチェリャビンスク隕石による被害があった。小惑星衝突はまさに自然災害であり、これに対する予知と回避策を具体化させる必要があろう。「はやぶさ2」の打ち上げと相前後して実施されたNASAのオライオン宇宙探査船の飛翔実験にも着目しなくてはならない。これは最終的には火星有人飛行を目指すミッションであり、宇宙技術の洗練化のため2020年代には小惑星への有人探査の計画もある。それを実行するに当たり、小惑星に対する詳細な知識が不可欠だ。
 「はやぶさ1」が到達した小惑星は差し渡し500mといわれ、人類が間近で詳細観測した最も微小な天体である。日本は、他国に先んじて微小小惑星への往復能力と知識を有しているのだ。宇宙探査のための技術そのもの、その開発への動員力、得られる知見は、青少年教育や人材育成、大規模プロジェクト遂行能力、産業の活性化・波及効果などを含み、日本の財産であり、国際社会においての存在感をもたらす。その知識を隕石衝突回避や小惑星有人探査などに直接還元して世界協働宇宙活動に貢献しつつ、もっと先の将来の小惑星資源利用を射程範囲とすれば、日本の独自性や利益を保ちながら世界から一目を置かれ尊敬される立場を得られるはずだ。

(くになか・ひとし)

相模原管制室より

津田雄一

「はやぶさ2」プロジェクトエンジニア

 「これから小惑星探査機『はやぶさ2』を発進させる。そして、再び地球に戻ろう。Lマイナス7分12秒。探査機準備完了を宣言します」。普段は恥ずかしがり屋さんの國中プロマネからの意外な出来の訓示に、管制室は総員拍手。発射許可ボタンが押下され、天命を待つしかなくなった「はやぶさ2」管制メンバーの心が一つになった瞬間でした。
 打ち上げ管制初経験ながらてきぱき探査機手順を進行するNECの益田さん、地上系管制を小気味よくさばく米倉・長木両氏。山田隆弘先生の熟達の域のNASA・DSN(深宇宙ネットワーク)局とのやりとり。サブシステム担当各員の素早い応答。すべてがうまくかみ合って、完璧なクリティカルフェーズ運用でした。
 緊急時に備えてコマンダーの背後に控えていた、システム統括の私とNEC榎原さんは、まったく出番なし。人事を尽くした結果とはいえ、もっとカッコつけたかったなぁ。

(つだ・ゆういち)

相模原キャンパス管制室の様子

胃の痛い時間

船瀬 龍

PROCYONプロジェクトマネージャ/東京大学 大学院工学系研究科 航空宇宙工学専攻 准教授/宇宙科学研究所 客員准教授

 2014年12月3日13時22分4秒、超小型深宇宙探査機PROCYONが「はやぶさ2」との相乗りで打ち上げられました。
 幸いなことに、私はこれまで1kgの超小型衛星CubeSatから300kgの小型ソーラー電力セイル実証機IKAROSまで自分のつくった衛星や探査機の打ち上げを何度か経験していますが、それらの経験と比べて、PROCYONの打ち上げから第一可視までの間は、とても「胃の痛い」時間でした。これは単に私がプロジェクトマネージャとして責任を負っているということだけが理由ではありません。
 PROCYONは、ロケットから分離した後、太陽電池パネル展開、デタンブリング(分離時に乱れた姿勢を静止させる制御)、太陽指向制御といった自動シーケンスがすべて成功しないと、第一可視を迎える前に電力が枯渇して死んでしまいます。詳しい説明は割愛しますが、深宇宙探査機であるが故の電源系・熱制御系設計の制約から、このようなシステム設計になっているのです。生存を重視したコンセプト(どんな姿勢になっても死なないような設計)でつくられる一般的な超小型衛星とは、設計が大きく異なっているところです。もちろん、入念な異常対応策の準備と地上試験を行っていたので、きっと制御に成功して無事に入感するはず、と信じてはいました。それでも心配しなければならないことの数は、これまで携わってきた衛星・探査機の比ではありませんでした。
 第一可視の前には、PROCYONの開発に携わった多くのメンバーが運用室に集まりました。皆が固唾をのんでPROCYONからの信号受信を待ちます......。結果、無事に入感。分離後の自動シーケンスや制御がすべて正常に実施されたことが、テレメトリから確認できました。運用室は、(私が経験したこれまでの打上げよりも、ひときわ)大きな歓声に包まれました。これが、たった50cmの小さな(でも、小惑星フライバイ観測など大きな夢[野望]も持った)深宇宙探査機の誕生の瞬間でした。
 PROCYONは、各種搭載機器のチェックアウト運用を順調に実施しており、本格的な深宇宙航行のための準備を進めているところです。PROCYONの最新運用状況は、公式Facebookページで紹介しています。ぜひご覧ください。
https://www.facebook.com/procyon.spacecraft

(ふなせ・りゅう)

世界で一番遠い芸術作品

久保田晃弘

ARTSATプロジェクト・リーダー/ 多摩美術大学 美術学部 情報デザイン学科 教授/ 宇宙科学研究所 客員教授

 フロンティアを開拓する宇宙探査の意義や可能性は、何も科学や技術に限った話ではありません。美術や芸術も同じように、常にはるか彼方を目指しています。今回ARTSATプロジェクトが「はやぶさ2」相乗りペイロードに採用されたことで実現した深宇宙彫刻ARTSAT2:DESPATCHは、半永久的に太陽を周回する「世界で最も遠い芸術作品」となりました。さらにDESPATCHは各種センサーデータからアルゴリズミックに生成された詩を送信し、世界各地のアマチュア無線家の協力によって、最終的には地球から470万km遠方からのビーコン電波の受信にも成功しました。
 “One small spacecraft for (a) team, one giant leap for ART” ──ARTSAT Project

(くぼた・あきひろ)

深宇宙彫刻ARTSAT2:DESPATCH

種子島より

嶋根愛理

打ち上げライブ中継MC/ 宇宙輸送ミッション本部/ 宇宙輸送系要素技術研究開発センター 開発員

 「はやぶさ2」の注目度の高さは予想していましたが、私のMCに対する反響はまったく予想外で本当に驚きました。確かにいつごろからか「トーンが高い」とか「キャラ声」だと言われることも多かったので、制作スタッフに「大人っぽく読みたいです!」と言ったところ、今回は放送時間も長いしアナウンサーと同じように 「地声のワントーン上!」と言われ、結果、あの雰囲気になりました。
 難しかったのが、実際の天候や打ち上げ、映像を見て感想を言うところでした。その場で考えなくてはならず、上昇していく機体が見えたり雲に隠れたりを繰り返していたので、思わず「そこそこの打ち上げ」と口走ってしまったのです。しまった、と思いましたが、母によると口癖だそうです(笑)。

(しまね・えり)

相模原パブリックビューイング会場より

山村一誠

 相模原キャンパスでは、抽選で選ばれた方など約120名が「はやぶさ2」の打ち上げを見守りました。二部に分かれたライブ中継の間には、プロジェクトメンバーが運用室から駆け付け、参加者に意気込みを語ってくれました。実は事前に「もし順調で余裕があれば短時間でも」ということでお願いしていたのですが、結局5名ものメンバーに来ていただき、豪華なパネルディスカッションが繰り広げられたのでした。
 相模原市では、このほか淵野辺駅前に300名以上、相模原市立博物館には約800名の方が集まり、「はやぶさ2」の出発を見送りました。

(やまむら・いっせい)

パブリックビューイングの様子

JAXA東京事務所より

橋本樹明

 我々「はやぶさ2アンバサダー」(広報担当)は、打ち上げ時は手分けして、いろいろな拠点やパブリックビューイング会場に分散することになりました。報道の皆さんが集まる所は、どう考えても打ち上げが行われる種子島か、探査機の運用を行う相模原。でも東京事務所(御茶ノ水)にも技術が分かる者が誰かいないといけないので、私が配置されることになりました。
 予想通り、静かな雰囲気で打ち上げを見守ることができました。実は不測の事態が起こった場合は東京事務所を中心に動くため、その際は皆さんが押し掛けて大変だったかもしれません。捨て駒となって、本当によかったと思います。

(はしもと・たつあき)